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ガラクタ守のレルド
「なんでアンタまで付いてくんのよぉ~」
ガタガタと揺れる荷車の中で、優雅に足を組んだ既知――認めたくはないが恐らくイエリヒを抜けばほとんど唯一交流があるのだから既知と言わざるを得ない――の男、レルドは間延びした声で不満を漏らす。
不満を言いたいのはこちらの方だ。外に出るのならば、ある程度きちんとした身支度をしなくてはならない。宵闇亭の当主たる俺が、開襟シャツ一枚で出歩くわけにはいかない。
対面に座り、ハルイの手をしっかりと握った俺は吐き飽きたため息を再度、レルドに浴びせるように吐いた。
「黙れ。こいつの監督係は俺だ。文句があるなら今すぐ宵闇亭へ帰る」
「まーぁ、心がせっまーい男ぉ~。そーんなしっかり手なんか握っちゃって、心配ならそのチョーカーに紐でもつけておきなさいな」
「うちの方針は、労働者は平等かつ自由だ」
「はいはい、お優しいことですわねぇーほんっとアンタの店は平和でいいわ、気持が楽になっちゃう。あ、ハルイちゃんあんまり身を乗り出すと落ちちゃうわよぉ~あと嫌でもゼノときっちり手を繋いでなさい。この街、基本召喚獣は公共のもの、くらいのクソみたいな価値観だから。ご主人様と繋がってないと持ってかれちゃうわよ」
ぐっ、と、ハルイが息を飲み身体を引く。必然的に寄り添うような形になるが、仕方がない。ハルイを落とすよりは、べったりと寄り添っていた方が安心だ。
宵闇亭を出て数刻、四足歩行型の召喚獣を使役した荷車に揺られ、久方ぶりに街中を通る。
もう少し無難な道を選べないのかと抗議したものの、社会勉強のついでだと言われ黙るしかなかった。
「一生宵闇亭の中だけで生きるのがそりゃ理想よ。でも人生何があるかわかんないじゃないのー。ハルイちゃんは理解して想像して考察できる頭があんだから、知識は詰め込んでおくべきだわ。なーんも知らないよりは、一応知ってた方が本人も安心ってもんじゃないのー。ねぇー?」
にっこりと笑うレルドに同意を求められ、身体を硬直させていたハルイは慌てたように首を縦に振った。
「は、はい、あの……外、えーとわりと面白い、です。つかほんと男しかいないんすね……」
「そりゃそうよぉー、女はみーんな白館の中。子育てもぜーんぶ白館の仕事。育てられた子供はね、一定の年齢になると、男だけ街にぽーいって投げ出されちゃうの。だから、女はこの街を一切知らずに白館の中で生まれ、白館の中で子を産み、白館で子を育てて一生を終えるのよ。勿論、最大限の贅沢を貪りながら」
「……監禁されているわけではない、って意味?」
「そうよ~やっぱり察しがいいわねぇニンゲンは。そう、監禁ではない。アレは、守られているのよ、永遠に。このクソみたいな世界からね。ま、宵闇亭の召喚獣も似たようなもんだわね。ひとたび黒館から放り出されたら、この無情な世界が待っているのだもの」
白は女を守り、黒は獣を守る。館は男を守ってはくれない。
そのように揶揄されていることは知っているが、知るかという感想しかない。
人気のない道をしばらく進み、いざ荷車が止まった場所は、街の外れ。周りには見事に何もない。建物も、他人の気配も、何もかも。
そこにあるものといえばただひとつ、ガラクタ守のレルドの住処である、外来異物保管塔だけだ。
無駄にでかい塔。その中には、山ほどの『ガラクタ』が詰まっている。
「ようこそ~アタシの素敵なガラクタ塔へ! あ、もう手離してもいいわよ? ここ、アタシしか住んでないから。ちょっとゼノ、離しなさいよぉ、ハルイちゃん困ってるじゃないのぉ~」
「うるさい。おまえが一番信用できない」
「まーお気に入りのお人形さん取られそうっ、みたいな感じぃ? さっきアタシがハルイちゃんのおててギュッギュしたの、そんなにトラウマなのかしら~?」
「黙れ。さっさと要件を終わらせろ」
ぎろりと睨んだところで、こいつには効果などないだろう。昔からどんなに詰ってもどんなに睨んでも、レルドは臆したことなどない。ゼノの好意は暴言だ、と、嬉しそうに笑うだけだ。
山ほどの言葉を浴びせながら、レルドはガラクタ塔の扉を開ける。
久しぶりに招かれたが……相変わらず、わけのわからないもので溢れた不可解な場所だった。
隣のハルイも、ぽかんと口を開けたままだ。
「……これ、もしかして、ぜんぶ、異世界のもの、です?」
かろうじて言葉をひねり出したらしい。
それに応じる男は、にっこりと随分と嬉しそうだ。
「そうよぉ。これは全部、外来異物。召喚獣の召喚の際に、うっかり一緒に紛れ込んじゃったり、失敗して生き物じゃないもの召喚しちゃったり。そういう『異世界からきたけどこの世界にあってもどうしようもないもの』が、外来異物ってワケ」
「はあ。すげー。全然わけわかんねーもんが山ほどある……」
「でっしょお~? あの紫色のごつごつした何かとか、意味不明すぎて芸術的よね~!? ほら、見て頂戴ハルイちゃん! 御本もあるのよ! ほらほら、あはは、全然わからないの! ま、アタシたちの世界、文字なんかないものそりゃ読めないわッ!」
「あのー、文字がないっていうの、結構不思議なんですけど」
「ま、そうでしょうねぇ。読み書きできる文化から見れば、原始的でしょうね。ずぅーっと昔はね、あったのよ文字。この世界にも」
「え。じゃあ何でいま――」
「過去にねぇ、たくさん戦争があって、たくさん同族が死んだのよぉ。そんでその原因であるものは、一切合切処分された。その一部が、文字だったってことねぇ。文字って言うか、たぶん、書物かしら。思想を書きつけて多くの他人を唆した罪を、当人じゃなくて文字が背負っちゃったのねぇ」
「ひえ……なんかそれ、なんつーかこう……極端っすね……」
「そうよぉ、基本馬鹿なのよぉアタシたち! ま、座んなさい。アタシだってお茶くらい出せんのよ。……ああ、ゼノは知らないでしょうね、お茶。だって黒にも白にも灰にも、食の嗜好品の概念が皆無だもの!」
黙って見てなさい、と言われ、非常に癪ではあるが、口を噤む。
俺たちを座らせたレルドは、筒状の容器に液体と、匂い袋のようなものを入れる。熱の魔法陣の上にそれを置き、しばらくすると何とも言い難い、不思議な香りが漂ってきた。
容器をひょいと持ち上げたレルドは、小さな取っ手がついたグラスに、中身の液体らしきものをとぽとぽと注ぐ。
「はーいどうぞ~。ちょっと見た目はアレだけど、味は普通だと思うわ。ごめんなさいねェ、透明な水がない世界で」
「いや、白い水、慣れました……」
「そう? 適応能力高いのねぇアナタ。仕方がないからゼノにも恵んであげるわぁアタシ特製のそこらへんに生えてる草のお茶。がばっと飲むんじゃないわよ、熱いんだからそれ」
……なぜわざわざ、飲む前に熱する必要があるのだろう。冷えたままの方が飲みやすいというのに。
しかしハルイを真似てゆっくりと口をつけたその液体は、なんとも言い難い、不思議に落ち着く味と香りがした。
ほう、と息が零れる。
熱いせいで一気に飲むことができないが、一口ずつ、含むたびに口の中が温かく喉と内臓が温まる。
「おお……すっげー。なんか見た目ミルクティーっぽいのに、ほうじ茶の味する……」
「あら、前はウーロン茶って言われたわ。国の違いかしらねぇ……ハルイちゃん、地球のどこのひと?」
「えーと、ジャパン、って言ってわかります?」
「メイドインジャパン! やだ、モノづくりの国の子だわ……」
お茶を堪能している俺を置き去りに、レルドとハルイは俺の知らぬ話を始める。
まあ、仕方ない。俺は異世界の知識は疎い。
群青とも鉄紺ともよく話すものの、宵闇亭に居るものの話しか知らないのだから、勿論ハルイの語るチキュウという場所の知識は微塵もなかった。
……確かにここは、いつか訪れなくてはいけない場所だった。
レルドは変わり者として有名だが、知識の多さに関しては随一だ。
純血の黒の種族にして、白館での子作りを拒む、異端の者。
それゆえ種を切り落とされた、もう男ですらない者。
女でも男でもないレルドは、街の営みから外れ、生き方すらも外れてしまった。各種族と街への不可侵を条件に、レルドは一人、異物に囲まれその管理を任されて暮らしている。
俺は料理を知らない。調味料というものを知らない。
ハルイの料理に関して、明確に力になれるのは俺ではなく、ガラクタ守のレルドに違いない。
だからまあ、いつか引き合わせなくてはなぁ、と、思っていた。本当だ。だがこのように、嵐の如く拉致されるとは思いも――。
「はい、じゃあハルイちゃん、ちょっとこっちいらっしゃいな」
……唐突にハルイの手を取られ、うっかり掠め取られる。
思わず睨むものの、アンタは茶を飲んでなさいと一喝される。くそ。悔しいが俺は恐らく、この二人の会話には入れない。
仕方なく傍観するつもりで、浮かしかけた腰を落とす。
「え、なんです?」
「お砂糖の秘密よ~。もう察してると思うけど、アタシたちの間に『甘い』って概念、基本ないのよ。キャンディとかフルーツとかないの。味覚としては感じられる筈なんだけど、そもそも甘い食べ物が存在しない」
「果物、ないんだ……」
「ないわねぇ~白館なら栽培してるかもしれないけど。あそこ、お抱え料理人のために新種の作物バンバン作ってるから。でも残念、白館以外の場所には存在してない――と、みせかけて~~~実はとーっても身近なところにあーるーのっ」
レルドはハルイの手を取り、腰を抱く。
……いやおまえ、何してるんだ。と思ったのは俺だけではなく、ハルイも同じだったようだが、如何せん腕の中からは抵抗ができないらしい。
「おま……ッ」
「あ、あの、レルド、さま、何、」
「ま、騙されたと思って試してみなさい。はいハルイちゃんお口、あーん」
馬鹿者、何故素直に口を開ける!
レルド、貴様何故ハルイに口を……――――――!?
「……………っ!」
思わず立ち上がった俺の目の前で、ハルイの唇はレルドのそれとしっかり重なっていた。
驚愕と怒りで声が出ない。
……怒り? いや、何で俺は怒っているんだ? わからん。わからん、が、とにかく今すぐあの男を殴りたいことだけは明確だ。
ハルイが泣いたら殴っていた。
けれど唇を離したハルイは、驚愕の顔こそ晒していたが、決して憤ってはいなかった。
その口から出たのは、思いもよらない歓喜の声だ。
「甘い……!」
「そーよー。ねー? 面白いでしょー? あらゼノ、アンタそんな面白い顔できんのね? ていうか座りなさいよ、お茶零すわよぉ」
……俺のこの怒りは、一体どこにぶつけたらいいんだ?
呆然とする俺の目の前で、きらきらと目を輝かせたハルイと、ドヤ顔のレルドは会話を続ける。
「宵闇亭には召喚獣しかいないし、お客はみんな白館に招かれない灰色の種族ばかり。だから誰も気が付かなかったのねぇ。そう、なんと、アタシたち黒の種族の体液はね、甘いのよ」
俺がこの時のレルドの言葉の意味を、きちんと理解したのは、随分と後になってからだった。
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