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平和なある日の来訪者

 というわけで、おれの今世の日常は始まった。  ゼノさまは忙しい忙しいと煩いけれど、うはは、あれは比喩でも大袈裟な表現でもなかった、そう、宵闇亭は基本的にくっそ忙しい!  この世界は、っていうかどうやらこの天体は地球と同じく傾いているらしく、白期(白夜)と黒期(黒夜)が繰り返す、らしい。  そういや夜になんねーな、この世界夜とかねーのかな、と思っていたけど、おれが召喚された時期はたまたま白期だったみたいだ。  夜とか朝とかは外の明るさで判断できない。  宵闇亭の営業は、夜の帳が降りてから――ではなく、夕刻を告げる鐘の音から始まる。  群青たちは昼過ぎにのっそりと起きだし、飯食って蒸し風呂に入って化粧して着飾って客を待つ。  その間にも鉄紺ことおれたち裏方は、掃除やら洗濯やら食事作りやらなにやらと、とにかくありとあらゆる仕事をこなす。  どう見ても人手不足の宵闇亭の中で、専用のアシスタントをつけてもらったおれは結構優遇されてるのかもしれない。いや、うん、メイディーがいないとおれ、火を使えないだけなんだけどさ。  この世界、なんと『火』がない。『火』を起こす、という概念がない。  何かを熱するには魔法というか魔術めいた能力で、えいやーっとやらないといけないのだ。 「よっしゃメイディー、今日もよろしくおねがいしますっ!」  しゃきーん、と額に手を当てて敬礼すると、厨房の頼れるアシスタントことメイディーは『ンギュ!』と独特の声を発する。  メイディーは真っ黒な影みたいな細長い人型のなにかで、左の手首に鉄紺色の石付きブレスレットを巻き付けていた。  おれの言葉は通じるけど、メイディーの方からは言語を発せない、という目印だ。  といってもメイディーはわりとおしゃべりだ。ギュッギュ、ギュッギュとよく声を上げてるし、最近は笑ってる声と悲しんでる声の区別もつくようになった。メイディーは基本怒らないから、怒ってる時の声はまだよくわからない。  仕立て人のニスヌフが作ってくれたTシャツと作業用ツナギ服、あと髪の毛ぐわっと固定するカチューシャと、スニーカー。これがおれの仕事着だ。  シェフっぽい服とかエプロンとかいろいろ悩んだけど、似合わねーなと思ってやめた。動きやすい服が一番だろ、うん。そう思うことにする。  工房のダールトン(ちょっと笑顔を見せるようになってきた)に片っ端から揃えてもらった調理器具とキッチン用品が、おれとメイディーの担当である厨房の武器だ。  壁に打ち付けた黒い板に、ダールトン制チョークで本日のメニューをバーンと書く。 「今日のハルイ特製まかないメシは、じゃーん! リゾットとオムレツ! です!」 「ギュー!」  うーん、メイディーは良い奴だなぁ。  メニューとかまだよくわかってないだろうに、声を上げて盛り上げてくれる。最高の相棒だ。顔黒くて表情とかわかんねーけど。  異世界料理人を任されてから、えーと……たぶん、人間感覚で二週間くらい経ったと思う。  おれはすっかり環境には慣れたけど、仕事はまだ不安が付きまとう。  いうておれ、ただの一般人だしなぁ。  レシピのストックとかないし、教養もまあ普通程度だったから、いきなり異世界で食材&調味料を代用しながらレッツクッキング! とかハードルがくっそ高いわけだ。  例えば酒が必要、ってなった時、酒ってどんな成分で何をどうやって作るの? みたいな知識がぼんやりしているからきびしい。  物理とか理科とか社会とか、何のためにやってんだこの勉強、と思ってたけど。いま思えばちゃんと身に着けときゃよかったと思うよ。  まさか異世界で調味料を生産しなきゃいけなくなるとは、思ってもみなかったよ。  おれが料理人としての不安を日々募らせている理由は、レシピの少なさだけじゃない。  この世界、食材はまだしも、調味料が異常に少ないんだ。 「オムライスなぁ、ほんとは砂糖入れたいんだよなぁ……あとケチャップかけたいけど、あれもトマトに砂糖入れて煮込んでるようなきがすんだよなぁ……」  塩はある。正確には塩のようなものだ。これは最初からゼノさまに教えてもらっていたから、原料が花の種であることも知っていた。  あとニンニクっぽい実と、コショウっぽい葉っぱもある。  食って死ぬような毒は何もない、というゼノさまの言葉を信じて、おれは先日メイディーと供にお庭探索~探せ、調味料っぽいものの旅~に出かけた。  どうやら本当に毒やら細菌やらウイルスみたいなもんがないらしい。ないのか、おれたち召喚獣の身体にはきかないのか知らんけど、事実として何食っても確かに死なない。具合が悪くなることもない。  そうなるともう、世界すべてが食材の卵だ。  庭園の植物を片っ端から見分し、葉を舐め、実を食った。メイディーは横でギュッギュギュッギュいって応援してくれてた。  そうして手に入れたのは、前記の香辛料もどきだったわけだけど。  いやー、きびしい。ふつうにきびしい。  塩とニンニクとコショウがあれば、まあ大概のもんはおいしく頂けるのは知ってるけどさ。それは自分が食う場合って感じだ。  人様に――しかもほぼ女性である群青に――振舞うには、毎度同じ味付けってわけにもいかない。  砂糖。やっぱ砂糖は欲しい。  一人暮らしの最初の買い出しはやっぱ、砂糖と塩と醤油と味噌じゃん? あと酢とみりん。  醤油と味噌はまあおいといて、砂糖だ。欲をいえば片栗粉と小麦粉欲しい。あんかけってバリエーションあっていいよね。うん。片栗粉ほしい。  もう定期的に植物採取して実験を繰り返すしかないんだろうけど、目当てのものを見つける前におれのレシピが枯渇しそうだ。  卵料理は大概作った。チャーハン、卵焼き、目玉焼き、スクランブルエッグ、あとは卵入り雑炊。  正直おれが味見した時点では『まあ、食えなくもない、普通』くらいの味だったんだけど、おれの料理はどれもこれも大絶賛のうちに群青の腹の中に消えていった。  やっぱゼノさまに要相談かなぁ。  もしかしたら、料理って文化を持ってる召喚獣他にいるかもしんないし。知識的なモノとして、誰か知ってる可能性もあるし。  そもそもおれ、宵闇亭から一歩も出たことがない。  街ってやつを見たこともないからどうなってんのか知らんけど、客の男たちを見ていると普通に人間と近い社会が形成されてんじゃない? って思う。なんとなく、市場とかそういう場所もありそうだ。  お願いしたら考慮してくれっかなぁ。  ゼノさまはくっそ忙しい人だけど、くっそマメな野郎だ。  イケメンのくせにやたらと気遣いができる。イケメンのくせに逐一声をかけてくるし、イケメンのくせにおれの要望にはすぐに対処を示してくれる。イケメンのくせに。  おれ、ホントにイケメン苦手なんだよね……。いや、顔を見てるだけなら眼福だなぁとは思うけど、人生イケメンに関わっていい思いをしたことが微塵もない。  その割にイケメンと縁を切れない生活だった。クソみたいな男親も、クソみたいな彼氏も、まあその、イケメンだった。  ……おれが面食いでヤバい奴当ててるだけでは……? とは思うけど、うん。  数々のトラウマのせいで、おれは基本イケメンには近づきたくないマンとなっている。  だから正直さ、あんまりさ、ゼノさまにも近寄りたくないんだけどさぁ……でもやっぱ、責任者はゼノさまだしなぁ。  他に相談する人もいねーし。メイディーは最強の相棒だけどギュッギュしか言えねーし。ニスヌフもダーさんも自分の仕事以外はノータッチだし。  ……砂糖があれば、もうちょい、料理の幅も広がる。  せめて果物っぽいものがあれば代用できそうなのに、なんでか見かけたことがない。なんでだ。この世界の生態系どうなってんだマジで。甘いものって概念がねーのか。……いや……ないのかも……。  なんてうだうだ考えながら手を動かしていた時だ。  ――耳慣れない、カンカンカン! という金属を叩いたような音が響いた。  来店の鈴の音とは違う。夕刻の鐘とも違う。そもそも、宵闇亭はまだ開店していない。 「……面倒だな」  訝しんで厨房から顔をだしたおれの隣には、いつのまにか黒いイケメンが立っていた。  急に声が聞こえてきてびっくりして、ちょっと飛び退いちゃったじゃんかこのやろう。イケメンなんだからもっと存在感を出しながら移動しろ、おれがびっくりすんだろうが。 「……っくりしたぁ。ゼノさま、風呂の修理終わったの?」 「終わらん。終わらんがダールトンに任せて来た」 「ダーさん万能……」  昨日から調子が悪い、とクレームばっかりだった蒸風呂の様子を見ていたらしいイケメンは、なんかしっとりと水っぽい。  シンプルなシャツを腕まくりしていて、ついついそのー……え、わりと筋肉ついてますね、なんて見ちゃいそうになるから素肌は基本仕舞ってほしいですね。 「で、面倒ってなんすか? あのカンカンって音、非常事態ベル?」 「そのようなものだ。あれは営業時間外の来客を知らせる音だ」 「来客に、なんか心当たりあるんですか?」 「まあ……そろそろ来るかな、とは思っている奴がいる。あえて連絡はしていなかったが、相変わらず耳が早い年増だ」 「ちょおーーーーっとおおおお! きっこえてるわよそこのぉー! ボンクラ黒館野郎ぉおお!」  キーン。と、耳の奥をつんざくような声が響く。  思わず耳をふさいだおれの隣で、しれっとした顔のゼノさまも同じように耳をふさいでいた。  厨房は宵闇亭の一階、大広間の奥にある。  従業員通路の向こうに、背の高い人の影が見える。ゼノさまよりもたぶん、背が高い。けれどなんか、妙にしなっとした滑らかな立ち方をしている。  壁に手をついて優雅に足を組むその人は、カツカツと踵を鳴らして歩く。 「まーったく、ほんっと、アンタ毎度毎度失礼ねぇ、失礼が服を着て歩いてるみたいだわぁ。非礼、横暴、その上無愛想。まったく、宵闇亭がお似合いったらないわね」 「どういう意味だ、レルド」 「あら、褒めてんのよ。こんなしんどい建物、アンタじゃなきゃ軒並み全員壊れてるでしょうからね。よくぞ保っているもんだわぁ……でもね、珍しい子を独り占めはいけないわよ。いくらアンタが召喚優先順位の高い宵闇亭でも、ニンゲンを隠すのはいけないわぁ」 「隠してはいない、外来塔には詳細を申請している。そもそも、おまえに通達する義務はないだろ」 「あーるーでーしょーーーーーー同じ黒の種族のよしみとか! 友人としての配慮とか! アタシへの! 心遣いとかッ!」 「すべて無い。少し音量を落として話せ、おまえの声はうちの群青連中よりも煩い」  ……最初のインパクトは、『うわぁ、すごい元気なひと』。  すごい元気なそのひとは、ガツガツ喋りながらカツカツ近づいてくると、ゼノさまじゃなくっておれの前に立った。  背が高い。異様に高い。ゼノさまより、メイディーより高い。  おれの後ろから前に出ようとしたメイディーを、ゼノさまが静かに制す。  背が高くて、きれいな黒髪を肩のあたりでぱっつんと切りそろえたその人は、ゼノさまと同じ金色の目を細め、ゼノさまとは似ても似つかない嬉しそうな顔でにんまりと笑う。 「あらぁ、かわいいわね。かわいい。うん、随分とかわいいわ。え、いいわね? やだ……ほしい……」 「やらん。おまえ、俺に非礼だなんだと言うが、ハルイに対しては礼を欠いてもいいのか」 「ハッ! それもそうねぇ、やーだアタシったらついかわいい子相手に我を忘れるところだったわぁ。はじめまして、ようこそアタシたちのくそみたいな世界へ。アタシの名はレルド、アナタはハルイちゃんっていうの? やだー名前もかわいい……」 「はあ。その、モガミハルイです、よろしくお願いしま……ぎゃっ!?」 「声もかわいい~~~! はーキューティ。かわいいの大洪水。しかも礼儀正しい。完璧。ほしい」 「やらんと言ってるだろうハルイの手を離せ」  きゅうにぎゅっと両手を握られ、ヒエッてしてるおれの前で、ゼノさまが男の手をビシっと叩く。 「え~~~? いいじゃないの、ちょっとお貸しなさいよ。ていうか借りてくわハルイちゃん。アタシ、ハルイちゃんとお話したいのよぉ~そういうわけでっ」 「待っ、レルド! どういう訳でもハルイは宵闇亭の……っ」 「知ってるわよぉ、料理人でしょう? アンタも珍しく白館に見栄張ることもあんのねぇなんて思ってたら、やだわぁ、群青の為だなんてお人よしが過ぎてコメントに困るわね。アタシ、この子の料理になんて興味ないわよ。でもきっと、この子はアタシに興味深々☆ だと思うわよ~」 「それは、どういう……」 「ねーハルイちゃん、アナタ、結構研究熱心だって聞いたわよ~? もうペッパーとガーリックの代用品に気が付いた」 「…………え?」  いや、今この人、公用語じゃない単語を喋った。日本語でもない、それは確かに英語だ。『ペッパー』と『ガーリック』。胡椒と、ニンニク。 「……地球の食材、知ってんの……?」 「もっちろーん。ま、全部じゃないけどねぇ。だってアタシは耳ざといオトコよ。アタシは、ガラクタ守のレルド。外れの森の手前に住む偏屈な変わり者。ハルイちゃん、今日はアタシのお家でおしゃべりしましょ? ね? きっと来たくなる」  だってアタシ、砂糖の在処を知ってるもの。 「……い、行きます!」  思わず何も考えずにおかっぱ男の手を握り返す。  隣でゼノさまが絶句していた気がするけど、おれはもう『砂糖』という言葉しか耳に入っていなかった。

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