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宵闇亭の料理人
熱く湯気を纏うニギの実。
まんべんなく油がいきわたり、熱で凝固した怪鳥の卵が混ざる。漂うのは、根ルルシの少々刺激的な匂いだ。
皿の上にこんもりと盛られたその料理――チャーハンとやらに、先ほど使い方をきいたばかりの道具、スプーンを差し込む。
ひと匙、口の中に放り込む。
まず感じたのは熱。俺はあまり、というか基本的にこの世界の住人は熱した食い物を摂取する習慣がない。
どんなものでも食えるし、どんなものでも毒にはならない。わざわざ手間をかけて火を入れるより、そのまま食った方が圧倒的に早いからだ。
熱い。が、舌の上に広がる味に、思わず息を飲んでしまった。
ああ、これは、確かに――。
「……うまい」
張りつめた空気の中、ほう、と息を吐いたのは俺の隣に立っていたハルイだった。
「よかっ……あ~~~~」
「……なんだ、腰を抜かすほど嬉しいのか」
「え~~~そりゃそうですよー……だっておれ、料理人で採用されなかったら群青さんの仲間入りかもしれないのに」
「選択肢に入れる、と言っただけだ。なにも明日から身体を売れとは言ってない」
まあ、俺たちと同じ価値観を持っている種族ならば、同性相手に身体を売ることへの抵抗感はわからなくもない。
色の種族は、随分と性の概念がねじ曲がってしまった。
管理された生殖行為と、発散の為の疑似性交。ほとんどの男が生涯経験するのは前者ではなく、後者。つまり、宵闇亭での召喚獣との性交だ。
子を成さない性行為に、正しいも間違いもなくなってしまった。どんな行為であれ、どんな相手であれ、快楽を得られればどうでもいいのだ。勿論、男が相手だろうが気にするものは少ない。
色の種族は、時折精を放たなければならない。その面倒な発散の手助けをする当館は、それなりに重宝され、召喚獣たちも丁重に扱われている。
「娼婦といっても、好き勝手乱暴されるような職ではない。知らん男に身体を触られるのが嫌だ、と言われてしまえばどうしようもないが……召喚獣の中では、宵闇亭の群青は随分と待遇がいい部類だぞ」
「はあ。まあ、三日もこの建物の中うろうろしてればなんとなく、治安がいいのはわっかりますけどー……」
「おまえは三日で随分と慣れたようだな。ダールトンは『指示がわかりやすくていい』と褒めていた」
「え、まじです? ダーさんおれには割と塩ですけど? そっかぁ、表情変わんない系の種族なのかな?」
「ドワーフは心を開くまでが長いと聞いた。本格的に厨房を作るなら、工房の強力は必要不可欠だろう。ダールトンとは気長に絆を深めればいい」
「……本格的に、厨房、作っていいんです?」
「ああ、頼む。というか、ぜひ、宵闇亭の料理人として雇用させてほしい」
まだしゃがみ込んだままのハルイに手を差し伸べ、ぐい、と引っ張り上げて立たせる。そのまま礼に乗っ取り手を握ると、驚いたように半身を後ろに引いた。
「……なんだ、おまえの世界ではこの動作は失礼にあたるのか?」
「え、いや、そんなことは、ないです、けど。イケメンがいきなりこう、近寄るとおれのイケメン拒絶センサーが過剰反応するというか……」
「いけめん?」
「イケてるツラのヤロー」
「……ハルイ、こちらの言葉で勝手にスラングをつくるのはやめろ」
群青たちが絶対に真似をする。
げんなりとしたものの、とりあえず気を取り直して手を握ったまま、足を踏み出し腰を落とす。召喚の日にイエリヒが行った筈だ。これは、公式な場での礼のひとつだ。
「モガミハルイ、貴殿を我が宵闇亭に迎え入れたい。宵闇亭は娼館だ。娼婦は群青、群青は夜の華、群青なしでは我らの世界は成り立たぬ。だがこの宵闇亭、裏方あっての繁盛だ。群青も鉄紺も、働くものみな平等が俺の信条だ」
「てっこん?」
「宵闇亭の群青以外の裏方の総称だ。仕立て人、掃除夫、工房、化粧師、番頭、そして、今日からその中に厨房が入る」
俺に手を握られたままのハルイは、一瞬息を飲み、その後に小さく『厨房』と繰り返す。
「俺と一緒に、宵闇亭で働いてくれるか、ハルイ」
勝手に召喚し、勝手に職を与え、勝手に労働を迫っているというのに、ハルイはふっと息を吐いて笑った。
「ええと、あんなもんしかできないけど、おれでよければ。厨房担当、できるかぎりがんばります。つってもそんな、客に出すような上等な料理できるかわかんないっすけど……」
「いや、おまえの料理は客には出さない」
「……え?」
「そこらへんの男に食わすにはもったいない。おまえの料理は貴重だ。この世界では、ほとんどの者が口にすることを望む新しい娯楽だ。料理はすべて、宵闇亭の従業員にふるまう。それに、おまえの料理は上等だった。『あんなもの』などと言うもんじゃない。俺は実は根ルルシは嫌いなんだ。それが、二口も三口も食べたいと思えた。こんな体験は初めてだ」
「お……おう」
「……なんだその反応は。おまえの世界では賛美も失礼に当たるのか?」
「え、いや、あの、違う、違うんですよえーと……おれなんつーか、普段褒められ慣れてないから。こう、普段言われないこと言われると、恥ずかしくなっちゃいません? わーってなる。わーって」
……そういうものだろうか。
俺に対しての従業員の態度は大概同じだし、ほとんどの客は遠巻きに眺めるだけで声をかけてこない。言われ慣れないこと、というものが具体的に想像できず、中途半端に首を傾げてしまう。
まあ、礼儀を欠いていないならいい。
腰を上げた俺は、それではと次の仕事を言いつける。厨房の構築期限、食材の確保について、必要なものがあれば引き続き工房のダールトンへ、なにか不便があれば話せる群青か鉄紺か俺をつかまえろ――。
さっと小さな黒い板を取り出したハルイは、見たこともない白い細長い棒のようなものでささっと何かを書きつける。
こいつの言うところの、『メモ』というやつだろう。握りしめた棒はダールトンに作らせたのかもしれない。
文句のひとつも漏らさずにすべての注文を書きつけたハルイは、俺の言葉が終わってしばらく経つと、こちらを見上げたまま首を傾げた。
「あ、以上です?」
「……以上だ。おまえ、順応能力が高すぎて少々気持ち悪いな……」
「うわ、なにそれ失礼っすね? でもそういやたまに言われます。おまえ諦めんのはやすぎって。なんでかなー、結構くそな人生送って来たから? かな?」
「おまえは、今世を諦めてただ俺に従うことにしたのか?」
「え? いや、全然。全然そういうのじゃないですよ。いままでは無茶振りされても諦めてはいはいーって順応して生きて来たって話。おれ、今世は自分に正直にバリバリ我儘に生きてみよっかなって思ってるんで」
「正直は、まあ、いいことだとは思うが。……あまり、俺には迷惑をかけない方向で頑張ってくれ」
「はぁーい」
あやしい返事だ。
妙に楽しそうなのも少々不安だ。
雇用の説明をして、こんなに楽しそうな奴も珍しい。チキュウという土地は、とんでもなく過酷な労働を強いていたのだろうか。
「とにかく今日から励んでくれ。今のうちに何か聞いておきたいことはないか?」
「聞きたいこと……」
「そうだ。俺は正直多忙だ、定期的に声をかけてやれないかもしれない。些細なことでも構わない。答えられる範囲ならば、なるべくは応じる」
ハルイはしばらく顎を叩き(考えているときの癖なのかもしれない)、その後に至極真剣な顔で俺を見た。
「ゼノさま、おれを召喚した時に『自分の死期を覚えているか』って質問しましたよね?」
唐突すぎる言葉に、うっかり眉が跳ね上がる。まあ、確かに、そんなようなことを訊いた、と思う。いや、訊いた。俺は言葉が通じる召喚獣の大半に、その質問を浴びせるからだ。
「ああ、まあ。言ったな」
「そのあと、なんか言いましたよね? イエリヒさんは、ゼノさまは訳さなくていいと言ったから言わない、って教えてくなかった。あれ、なんて言ったんです?」
「…………それを、今訊くのか、おまえ。他に質問はないのか、本当に」
「ないですよ。まだなんも始めてないんだから、何がわかんねーのかわかんねーもん。さっきなるべく答えるって言ったじゃん」
「……あー」
別に、大したことではない。
自死でなければそれでいい、と言っただけだ。
素直にその言葉を告げると、ハルイは怪訝そうな顔をする。
「自殺だったら嫌だ、ってこと?」
「いや、違う。まあ、そうなんだが、違う、つまりだな……死に救いを求めた魂に、再度生の苦痛を背負わせずに済む、と……いや、自死でなくとも、俺はおまえたちに無駄な労働を強いているのだが……」
「…………ゼノさま」
「なんだ」
「ゼノさまって、あのー……実はすげーいいひとですよね?」
「…………は?」
なんだそれは。
つまらない冗談はよせ、と言おうとした口は、うまく言葉が出ずに開いたままだ。それにハルイは、決して揶揄っているような雰囲気ではなかった。心底真面目に、真剣に、俺のことを『いいひと』などと称したのだ。
黒の宵闇亭の当主たる俺を。
黒館様、と蔑称交じりに呼ばれる俺を。
――なんと、答えたものか。否と言うのも違う気がするが、肯定するのもどうかと思う。これは素直に、そんな事を言われたのは初めてだ、と言ったほうがいいのだろうか。
俺が口を開こうとしたとき、執務室(というわけでもなくただの自室なのだが、大概仕事をしているからこの名で呼ばれている場所だ)のドアがギシギシと鳴った。
「あっ」
というのは、俺でもハルイでもない、ドアの向こうからぎゅうぎゅうになって室内を覗く、色とりどりの群青たちの声だ。
「……何をしている、おまえたち」
呆れ、息を吐く俺に対し、群青たちは臆することはない。働くものみな平等、の精神には勿論俺自身も含まれるからだ。
宵闇亭の当主は俺だ。しかし、命令を下す以外、単純に各々の仕事をこなしている瞬間の俺達は対等なのだ。
「えー……ゼノ様のお部屋からなんだかいい匂いがしてきたものでぇー……」
「新しい子!? それ、新しい子でしょ!? 群青!? 鉄紺!?」
「わぁ、キレイな五本指! 色の種族と似てんだねぇ!」
「ねーねーあれ、この前食べたやつじゃない? ほらぁ、白館のクソヤロウがー祭りの時に散々自慢してたアレー」
「あっ、ほんとだ、えっ、ちょ、押さないで、むり、つぶれるっ」
「ゼノ様ずるーい! あたしたちもおいしいご飯たべたーい!」
「うるさい一気に喋るな耳が割れる。……ハルイは今晩正式に迎え入れ、従業員に名を示す予定なんだ、俺の予定を滅茶苦茶にするんじゃない。まて、こら、入ってくるな、わかった、そのメシはおまえたちにやるから落ち着いてまず部屋から出ろ!」
思わず叫ぶと、各々歓喜の声を上げて、パッと廊下に散っていった。手の早い者が、さっさとハルイのチャーハンを攫って行く。
くそ。いや、元々残りは群青たちに味見させるつもりだったが、せめてもう一口くらいは食うつもりだったのに。
ふー、と息を吐く俺の横で、ハルイはけたけたと笑う。……まあ、泣くよりはいい。楽しそうに笑うのならば、今生は辛いと泣くよりずっといい。
「取られちゃいましたね、チャーハン」
「一口しか食ってないんだが……」
「……ゼノさま、実はチャーハンついでにおれのまかないメシで卵かけご飯作ったんだけど、食う?」
「…………食う」
なんだそれは、とは聞かない。ハルイが説明してもどうせ俺はわからないし、どうせそれはうまいに違いないからだ。
軽やかに笑ったハルイは、持ってきますね、と部屋を出る。出た瞬間に『うわ』と声が聞こえたが、群青に捕まったのだろうか。まあ、ハルイは器用だから助けに行かずとも、勝手に厨房まで逃げきるだろう。
さて、残されたのは俺ひとり。
「……………いいひと……?」
ああ、うん。
確かに、言われ慣れていないことを言われると、どうにも、こそばゆい気分だ。
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