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食材工房のリットン

「じゃーん、試作品! 第一号!」  派手な掛け声とともに、目の前に差し出されたのは素朴な見た目の――いや、なんだろうなこれは……。 「……おが屑の塊か……?」 「ちょっと失礼っすよーって言いたいとこですけど、半分くらいその通りっす。サーセン小麦粉の代用品とかおれにはハードル高すぎた。半分くらいドンピシャおが屑っすけど、大丈夫ツナギはちゃんと卵使ってます! 油も入ってる! そうつまりそれはおが屑が主成分のクッキー!」 「なんだかわからんがその主成分で大丈夫なんだろうな……。おまえ、最近群青に出す前に俺で実験してないか?」 「ソンナコトナイデスヨー」 「冗談めかせば許されると思うなよ」  調子に乗るな、と一喝する場面なのかもしれない。  しかしハルイ相手に何を言っても、ゼノさまは甘いし優しい、と言われてしまうだけだ。  仕方なくため息を吐き出し、あやしい食物を一口齧る。  ざくざくとした歯触りはおもしろい。  おもしろいし、味はまあ、……これが甘い、という感覚なのだろうがしかし、おが屑の触感が完全に邪魔をしている。  食えない物はないとはいえ、これは完全に食い物の範疇外だ。 「……作り直しだ。おが屑はどう頑張ってもおが屑だ馬鹿者」 「え~~~やっぱ駄目かぁ……小麦粉むずいなぁ。プリンは一発で成功したんだけどなぁ~」 「ハルイ、あのな、挑戦は評価するが、甘味に関しては材料が限られているんだぞわかっているのか」 「わかってますよーぅ。いつも献血ありがとうございますゼノさまぁ~」  ……笑顔が胡散臭い。  宵闇亭の経費は、金に糸目なく。それが俺の経営方針である。もとより金が欲しくて運営しているわけではない。宵闇亭は、必要であるから存在している。  故に食材に関して、ハルイには『材料費など気にするな、好きなだけ要求しろ』と言ってある。  しかし先日ハルイが発見した新しい調味料――甘味料だけは別だ。  砂糖だとかハチミツだとか、何やらぶつぶつと呟いていたハルイだったが、今はその調味料の事を『黒ジャム』と呼んでいた。黒の種族が原料であるから、そう呼ぶのであろうが……。  唾液は効率が悪い。他の体液となると流石に俺も躊躇する。  仕方なくレルドに助言を求めながら試した結果、血液を原料とすることに落ち着いた。  正直なところ、あまり気持ちのいいものではない。  俺の血を舐めながら試行錯誤を重ねるハルイに、気持悪くはないのかと訊いたことがあるが、笑って首を振るだけだった。  曰く、『ジャパニーズは食えるものはなんでも食います』とのことだ。……おまえの住んでいた世界は、一体どんな悪辣環境だったんだ……? 「まあ、原材料の件については俺も手をまわしている。丁度今から来客の予定だ。ついでだからおまえも同席しろ」 「来客? え、レルドさま?」 「あんな疲れる奴がそう何度も来てたまるか……」 「えー、じゃあどうしましょ、お茶淹れる?」 「……ああ、頼む。甘味を、実際に食ってもらった方が話は早い。おが屑クッキーを食わせるわけにはいかないからな……」 「え~言ってくれたら、お客様用にちゃんと真面目にお菓子作ったのにさぁー」 「俺の試食用もきちんと真面目に作れ」  からからと笑う、声は涼やかで心地よいがほだされてはいけない。ハルイが上機嫌だとついうっかり甘やかしてしまいそうになる。だめだ。気を引き締めろ俺。  甘い、という表現が、あの舌にまったりと残る味を語源とするならば、確かに俺はハルイに甘いのだろう。  一度執務室を出たハルイは、ポットとカップを抱え、後ろにメイディーを引っ提げて舞い戻る。  メイディーはふらふらとハルイの後ろから手を出し、窓際のテーブルの上に熱魔法陣を敷く。  言葉らしい言葉をほぼ発音できないメイディーだが、魔法陣の構築についてはイエリヒも舌を巻くほどの腕前だ。  蒸して乾燥させた何かの葉を、水で満たしたポットにぶちこみ、魔法陣の上に置き熱する。完全に煮えたぎる前に熱源から降ろすことがコツだそうだ。  カップに注がれた液体は、白にうっすらと泥が混じったような色。そこに俺の血を煮詰めて作った黒ジャムを数滴垂らす。  ……材料だけ聞けばゲテモノなのだが、なんとこれがうまい。水と雑草と俺の血だぞ? とは思う。思うのだが、口に運ぶと華やかな香りが満ち、苦みと甘さが丁度よく舌に残るのだ。  …………まあ……俺の血なんだが……。  早いところ、この原材料だけはどうにかしたい。勿論、どうにかする算段はついている。  お茶の準備を整え、メイディーは厨房へと戻る。別に、俺が熱の魔法陣を敷いてもいいのだが、ハルイは『いや当主様自ら沸かしたお湯とかちょっとハードル高いんで』と言って譲らない。  ……おまえが暮らしていた世界の上下関係は、やはりここよりも厳しいのか……?  観察すればするほど、不思議な男だ。  こぽこぽと耳に心地よい音と供に、湯気が立ち上る。水なんぞそのまま飲めばいいだろう、と思っていた頃がもはや懐かしい。  飲食の嗜好品、というものを、俺は知ってしまったのだ。  茶の準備が整ったところで、執務室のドアが几帳面にノックされた。かるく五回。それが、目上の種族に対する、灰の種族の礼儀正しいノックの数だ。  そんな古めかしい作法を几帳面に守る男。それは――。 「……わ! イエリヒさんじゃん!」  勿論、かの愚かな程生真面目で、不憫になる程生きにくい外来塔のはみ出し者、召喚士イエリヒだ。  優雅にさっと膝を下げた後、ハルイに向かって笑顔を見せる。  それともう一人、同じ灰の種族が後に続いて膝を下げる。イエリヒよりも頭半分は背の高い男だ。 「お久しぶりですね、ハルイ。宵闇亭にも随分と慣れたようで、供に勉学に励んだ身としては感無量です。その服、格好いいですねぇ~動きやすそう」 「へへ、おれの世界の作業着なんだー。良いっしょ。あ、ゼノさま、お二方に椅子お持ちします?」 「いや、座る程の長話は――、ああ、いや、立って飲み食いするのも何だな。悪いが頼めるか」 「はぁい」  軽快な足取りで部屋を出るハルイの後ろ姿を眺め、イエリヒは嬉しそうに笑う。 「いやはや、本当にしっかり慣れてしまいましたね。正直なところ、すぐに音を上げてしまうのでは……と心配していたんですが。さすが、ゼノ様の地獄の語学研修を七日で切り上げただけはある」 「え。……あの、例の、猛特訓を? 宵闇亭名物の……最短でも十日は泣き声が止まないと噂の……?」 「ひどい噂が流れているもんだな。ここ最近は泣く前に一度休憩をはさむようにしている」  思わず口を挟むと、イエリヒの後ろの男は慌てたように肩を竦める。 「し、失礼しました、あの、決して、侮辱しているわけでは……」 「わかっている。軽口に腹を立てるほど度量はせまくないから安心しろ、リットン」  気にしていない、と一々言わなくては、俺は他人を威圧してしまいがちだ。俺にその気がなくとも、なぜか世界は『宵闇亭の黒館様は気難しい』と思い込んでいる。  軽く挨拶を交わしているうちに仕事の早い(その上身体に似合わず体力もある)ハルイが、椅子を二つ軽々と抱えて帰って来た。  デカい身体を委縮させ、もう一度膝を下げてから、リットンはイエリヒとともに椅子に腰かけた。  黒とも白とも違う、目に明るい色の髪をふわふわと……というよりはもじゃもじゃと、目にかかるほど放置した男。 「まあ、楽にしてくれ。ハルイ、おまえはこちらへ。……紹介するぞ、イエリヒは省略するがその横だ。彼の名はリットン。街の片隅の食材工房の主――要するに、農家だ」 「のうか……のうか!?」 「……農家あるんですね、みたいな顔だな」 「いやまったくその通りなんですけど。だってゼノさまが調達してくる食材、そこらへんに埋まってましたみたいな自然感がすげーんだもの。自然にできた奴を採取してんのかと」 「生憎とこの世界の自然はそこまで豊かではない。食料品はほとんどすべて、農家が生産している。といっても、俺たちが口にする食品はほぼ一品目だった」 「あー……カルブの実ね……」  ハルイはカルブの実が気に入らないらしい。  味といった味もなく、匂いも癖もなく、その上必要な栄養をすべて補える。まさに『これだけ食っていれば他に気を遣う必要はない』万能食物だったわけだが、『濡れたスポンジ食ってるみたい』と言って眉を寄せる。  我々にとって食事は、娯楽ではない。ただ栄養を取るだけの作業だった。故に、時折刺激的な味を好む同胞が根ルルシなどを食ってはいたが、基本カルブの実をひたすら摂取していた。  ニンゲンだって排泄に殊更贅沢な趣向は求めないだろう?  ただ義務的に排泄している最中に、もっとこうすれば楽しいのに、気持ちいいのにと言われても困る筈だ。我々は食事を、排泄や睡眠のように『ただ義務的にこなすこと』と認識していたわけだ。  故に、農家と言っても生産しているのはほぼ一品目。そう、件のカルブの実ばかりだった。  ハルイが、あれこれと食材を欲するまでは。 「おまえが口にしたふんわりした要望を、このリットンがきちんと練り直し構成し術式を編み上げて、そして安定生産できるまできちんと監督するんだ。とりあえず礼を言っておけ」 「え、ありがとうございま……え? 術式……?」 「ああ。……そういえば、おまえの世界では、土と光と水が命を作るんだったか。この世界では、食品を作るのは、魔術だ」  すべての源は、空気中に満ちている魔元素だ。  極端な話、俺たちの栄養は魔元素だ。ただ空気中からそれを大量に摂取するより、口に入れやすいように集めて再構築した方が早いというだけだ。  農家はまず、食物の設計図を構築する。  魔術により設計された種は、空気と水の中の魔元素を吸収しながら育つわけだ。 「というわけで、その設計図に少々手を加えれば、食感や味に変化を出すことも可能――ああ、いや、専門家がいるのだから、俺から説明しなくてもいいか。リットン、ハルイに説明してやってくれないか」 「え。いえ、ほとんど黒館様がご説明された通りです。はい。うん」 「そうか? 俺は専門的なことはあまりわかっていないが……」 「自分が口にしているものがどうやって構築されて、何が材料で、どう生まれるのか。きちんと把握している者は、あまりいません。さすが黒館様、お見事です」 「……褒めているのだと受け取るぞ。あとその、黒館様というのはやめろ、好かん。ゼノでいい。この館のものには、名で呼ばせている」 「え、は……え!? 名で!?」 「いいんですよ~リットン~、この方、このように変な方ですので。怒らないと言った事柄に関しては、びっくりすることに本当に怒らないんです。慣れるまでは多少コワイですがー」 「一言余計だ。話を続けるぞ。既知のように、我が宵闇亭では料理人を召喚し、現在働いてもらっている。このハルイがソレだ」  俺がぞんざいに指し示すと、ハルイがこそばゆそうに少し腰を折る。異世界の礼儀らしい。 「ハルイは様々な料理を作る際に、様々な食材を必要とする。サカナ、ニク、ヤサイ……すべて、この世界にはない。作るしかない。今までは明確に必要な素材を要求してこなかったが……この度、どうしても貴殿に作ってほしい『味』のものがある」  そう、それは勿論、俺の血――甘味料だ。  甘い、という感覚のない我々が、ハルイの言葉だけでその味を想像し、再現するのは些か困難な話だった。  だが今は、サンプルがある。  勧めた茶を飲み、ほう、と息を吐いたリットンは、丁寧にスプーンに垂らした黒ジャムを舐め、少々唸る。 「……あー……はい、初体験ですね。この味は……うーんでも、リリコの果肉の味から苦みを取って、うーんと強くした感じ、かも?」 「どうだ、いけそうか」 「何度か、試作をすれば、なんとか……ですが、このように雑味のない味に持っていくには、相当正確な魔法陣を敷く能力が必要です。もしかしたら、一から構築しなくてはいけないかもしれない。既存のものを弄るだけなら簡単なのですが、一から、となるとかなり面倒で……お恥ずかしながら、僕の食材工房にはあまり高度な術者がおらず、少々お時間が……」 「心配するな、そこのイエリヒを貸し出す」 『……えっ!?』  見事に二人の声がそろったな。  うん、息もぴったりだ。申し分ない。 「ちょ、ゼノさま、あの、わたし、完全に道案内係の気分で同行したんですけれども!? というかお忘れでしょうが実はわたしは外来塔所属の召喚士……っ」 「どうせ暇だろう。おまえの人生で忙しい時期とはつまり俺が群青ないし鉄紺を召喚し供に言葉をぶち込んでいる時だけだ。つまり今じゃない。要するに暇だ、よし、よろしく頼んだぞイエリヒ、金は出すから頑張れ」 「お金があっても使う暇がありません! わたし、農業は齧ったこともないんですよ!?」 「リットンは優秀だ。この数刻でもそのくらいは俺にもわかる。自分の力量をきちんと把握しているし、知識も経験も十分だろう。教えてもらえなんとかなる。幸いなことにおまえも頭はいい。俺の知る限り、この街で一番正確に魔法陣を敷ける男は、イエリヒ、おまえだ」 「う……」  横からハルイの『うわぁ』という声がこっそり聞こえたが黙れ、言いたいことはなんとなくわかるがとりあえず黙っていろと無言で睨む。  どうせ口が達者だのなんだのと言うつもりだろう。だが俺は、嘘は言わない性分だ。  リットンが食品生産者として優秀だと判断したことも、イエリヒをこの街随一の術者だと言ったことも、勿論どちらも本心だ。決して出まかせでも世辞でもない。  しばらく唸っていたイエリヒだったが、俺が引かぬことを察したのか、結局は降参した。  よし。とりあえずこれで、ハルイにねだられるたびに血を抜かれる事がなくなるだろう。 「ついでだ、ハルイ。この際ほしい食材の希望をたんまり伝えておけ。リットン、おまえにはこの宵闇亭への自由通行の権利を与える。俺が招かずとも、勝手に厨房で試食でも試作でもするといい」 「は、はい。ありがとうございます、黒……ゼノ様……っ」 「宵闇亭の裏側、礼を言う程麗しい場所でもないぞ?」  少しだけ意地の悪い気持ちになり、意地の悪い言葉を連ねてしまう。  男らの快楽の場、宵闇亭。そこに自由に出入りしていい、という許可を与えている者は少ない。召喚獣とはいえ、女と触れ合う機会も増える、と宵闇亭の従業員や業者を羨むものもいる。  しかし歓喜で上気した顔を隠さないリットンは、俺の予想とは違く、あまりにもさっぱりと首を横に振る。 「いいえ、大変光栄なことです。かねてより、宵闇亭の在り方を尊敬しています。それに、僕は、とても嬉しくて……ずっと、彼にお礼が言いたかった」 「……礼? ハルイにか?」  俺のことは気にせずに本人に言ってやれ、と言えば、リットンは礼儀正しく立ち上がり、ハルイの前で膝を落とした。  対するハルイは、驚いた表情のままカチコチに固まっている。 「ありがとう、宵闇亭の料理人。僕はきみに、とても感謝しています」 「感謝……? え、え?」 「食はね、この世界では優先順位がとても低い。だから、生産者である僕たち農家も、とても立場が低いんだ。でもきみは僕たちに希望をくれた。きみがたくさん、いろんな作物を作ってほしいというから、毎日楽しくて仕方がないんだ。きみのおかげで、毎日たくさん仕事がある。ありがとう、そしてこれからも、たくさん料理を作って、僕たちに、『忙しい!』って言わせてね」 「…………は、はい、そのー……ゼノさま、あの、こういう時礼儀的にはどうしたらいいの……っ」 「膝を落として普通に礼をしておけ。おまえ、俺に対してはいつでもぞんざいじゃないか」 「だってリットンさん、目がキラキラしてんだもん!」 「……言われ慣れていない言葉は、むず痒いか?」 「むず、痒い、っすー……」  褒められ、照れる。まっすぐにハルイを評価し、彼の行動に感謝するものがいる。その言葉が、ハルイに届く。 「でも、嬉しい……です」  ハルイが笑う。恥ずかしそうに、少し感動を堪えた顔で。  この微笑ましい一連の出来事に、俺は自然と口の端がほころぶ気持ちになった。 「……そうか」  良かったな。という意味を込めて、軽く頭を撫でる。  俺を見上げるハルイも、その目の前で口をぽかんと開けるリットンも、更に奥で目を白黒させるイエリヒも、俺は大して意識していなかった。 「…………笑った……?」  他三人の驚愕より、己の中に沸き上がった感情を咀嚼する事の方が大変だったのだ。  まずいことに気が付いた。気が付いてしまった。  俺は、ハルイが笑うと気分が良い。そして俺は、できればハルイには、俺の方を見て笑ってほしいと思っている。  ……まずい。まずいが、これはもう、仕方がない。  落ちてしまったものは這い上がれない、精々足掻いて噛み砕け。客に恋情を抱いた哀れな群青に、俺はこの言葉を与える。  それはどうにもならないものだ。落ちてしまった事実は、覆せない。ただ噛み砕き飲み下すしかない感情。そう、恋などというけったいなものは、そうやって徐々に忘れるしかない。  大変まずい。そして面倒なことに。  俺は、ハルイが好きなのだ。

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