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欲色ユツナキ、仮色カザナ

「リットンさんって、イエリヒさんのこと苦手なんです?」  ぐるぐる、鍋をかき混ぜていたリットンさんの手が、ぴたりと止まる。  それなりの広さのおれの城、もとい厨房は、赤リリコを煮詰めた甘ったるい匂いが満ちていた。  おれはメンディーが一生懸命臼で挽いてくれたくれた小麦粉に油と水を足してこねて、なんとなく伸ばして適当に石窯(メイディーの熱魔法陣とダーさんの合作だ)に突っ込んだところだ。  時刻はたぶん昼過ぎくらい。宵闇亭の一日の中で、比較的静かな時間だ。  試作品の小麦モドキを持ってきてくれたリットンさんに、なにか手伝うことはないかと訊かれたから、ありがたくジャム作りをお願いした。リットンさんは結構頻繁に顔を出して、結構頻繁に料理作り体験をしたがる。  自分が作ったものだから、どんな風に調理するのかぜひ拝見したい。  そんな風にキラキラとした目で縋られて、無碍にできる奴がいたらそいつは外道だ。だってリットンさん、めっちゃいいひとなんだもんよ。  いいひとだから、ついついおれも調子にのって、普通の友達みたいに話してしまう。そんでうっかり言葉を吐きすぎた後に、『やっべ、このひと召喚獣じゃなくって灰の種族だった~』と冷や汗をかく、ってのを繰り返していた。  よくゼノさまに、おまえは一言多いと言われるけど、ほんっと気を付けたいと思う。ゼノさま相手ならともかく、他の色の種族はたぶん、ゼノさまみたいに優しいだけじゃないだろうと思うから。  まあ、でも、リットンさんも優しいけどな。うん。 「……さーせん。ええと、立ち入ったことをさらっと聞いちゃった……いまのはナシで――」 「あ、いや、びっくりしただけで! ええと、イエリヒ召喚士のことは、別に、嫌いとか苦手とかじゃないんだよ。ほんとうに、ちょっと、緊張してしまうだけで……」 「きんちょう。……え? イエリヒさんに対して?」 「ハルイくんは彼に召喚されて、ずっとゼノ様の元にいるから、この街のことはあまり知らないのかもしれないね。なんというか、イエリヒ召喚士もゼノ様も、一般の色の種族……特に灰色の僕なんかが声を聞くのも恐れ多いって感じで……」 「えー。でもイエリヒさんも、灰の種族でしょ?」 「そうだけど、彼は特別エリートだから」  知らなかった。というかイメージが沸かない。おれは残念ながら、ゼノさまに無茶振りされて悲しい顔で愚痴をこぼしているイエリヒさんしか知らない。  その話本当か? と訝しんでいるのが顔から出ていたらしく、リットンさんは優しく眉を下げる。まあ、顔半分くらい隠れてんだけど。 「外来塔は知ってる? 召喚獣が召喚される場所なんだけど……」 「あ、はい。それは知ってる」 「イエリヒ召喚士は外来塔の召喚士なわけだけど」 「うん」 「この街の外来塔の召喚士は、彼以外はすべて白の種族なんだよ。イエリヒ召喚士は、灰の種族唯一の召喚士。まあ、要するに、ものすごくすごい人ってこと」 「…………うっそ」  流石にそれはすごいことだって、おれにもわかった。  この世界は白と黒の種族って奴がすごく権力を持っていて、そんで優遇されてて、灰の種族は下級労働者扱いされているってかんじの認識だ。  たまに宵闇亭の客を眺めたりするけど、ほとんど全員灰の種族、だと思う。少なくとも真っ黒の髪をした男は、ゼノさまとレルドさま以外見たことないし。  あれだけたくさんいる『一般市民』の中で、一目置かれる召喚士。それがイエリヒさんってこと、らしい。  え。すごい。おれ、そんなすごい人と気軽にハイタッチとかしちゃってたの? え、やばい。 「まあ、でも、ハルイくんが気にすることじゃないよ。僕も、恐れ多いというか、尊敬する気持ちが強すぎるだけだから。……ところでこのジャム、どのくらい煮詰めたら完成?」 「あ、はい、分量半分くらいになったらオッケーかな? そろそろスコーンもどきも焼きあがる――」 「あーーーー! ハルイがおいしいの作ってるーーー!」  バーン!  ってかんじに唐突に厨房に飛び込んできたのは、目に眩しい原色だった。  会話を遮られたおれとリットンさんは、思い切り飛び上がってしまう。なんなら厨房の端っこで一生懸命小麦粉モドキを加工していたメイディーも『ギュ!?』って声を上げてた。 「っくりしたー……あのね、カザナさんね、ドアはノックしてから開けろってゼノさまも言って――」 「わっ、なにそれ新種のゲル!? うおっ、赤ッ! うける! くっそ甘い匂いすんじゃん! おやつじゃん!?」 「わーーーーー!? あの、だめです、熱いですから……! 熱いです、から!」  厨房に躊躇なく飛び込んできた原色女こと、群青のカザナさんは、きゃっきゃと無邪気に赤リリコのジャム(出来立て熱々)の鍋に手を突っ込もうとして、すんでのところでリットンさんに取り上げられた。  グッジョブ、リットンさん。デカい男はリーチも長い。リットンさんが頭の上に掲げた鍋に、おれの胸くらいの身長のカザナさんはどうあがいても届かない。  つかこの世界の住人(と一部召喚獣)、火に縁がないせいで熱に無頓着すぎて怖い。 「ちょっとくらい味見したっていいじゃん? どうせうちらが食うんだし?」 「料理は完成してから食うもんなんですー。これはまだ完成形じゃねーの! ちゃんと後で異間にもってくから!」 「メシ? おやつ?」 「これはおやつ!」 「じゃあアタシあれ! アレがいい、あの黒くて苦い飲みもん!」 「はいはい珈琲もどきね。了解したんで、とりあえず厨房出ておとなしく――」 「カザナちゃん~~~どこ~~~かしら~~~ああ、やだー……厨房かしらー……カザナちゃん探してるから仕方ないよね? だってわたし、カザナちゃんとはお友達だものね、お友達は急に消えたお友達を追いかけるものよね? 絵本だって叙事詩だってそうよね? というわけで失礼しまぁーすうふふハルイちゃんこんにちわぁ~甘い匂いするぅーふふふ」  やっべ。ユツナキちゃんさんまで来た……。  思わず『わぁ……』って呟いちゃったおれに気が付いた黒髪美女――ユツナキちゃんさんは、唐突にクッと眉を寄せると、グワッと泣きそうな顔になる。 「うっ……そう、だよね……わたし、迷惑だった、わね……? ハルイちゃんのお仕事は、群青ちゃんのお相手じゃないものねー……うっ……うっ……ぐすっ」 「ユツナキちゃんさんと喋んのは楽しいっすよ! 泣かない! ちょ、ほら、泣くな美人! でもここ厨房だから! あぶねーもんいっぱいあっから群青さんたちが来ちゃいけないとこだから!」 「やっぱさぁ、禁じられると燃える、っつーか?」 「もういいから二人ともこっから出て! クッキーやるから!」  仕方なく美女と美少女の背中を押して、後でリットンさんのお土産にしよっかな、と思っていたクッキーを押し付けると、煩い群青ズはにっこにこの笑顔で満足そうに厨房を出た。 「リットンさんすいません、ジャム熱いうちに瓶に詰めちゃって。メイディー、窯ん中、焼けてたら出しちゃって頼んだ」 「ギュ!」 「うふふ。メイディーちゃん今日も優秀ねぇ~かわいい~。ハルイちゃんもかわいいしおいしい~」 「いやおれはうまかないでしょクッキーの感想とまじってるっしょ……二人とも、そのクッキー他の群青さんたちには内緒だかんね? ずるーいって言って全員で手を出されても困っから」 「勿論! まかせろ! アタシ様は約束は守る女ッ!」 「じゃあ金輪際厨房襲撃はやめて熱い鍋には触らんって約束して」 「鍋は気を付けるけど、厨房は襲撃したい。おもしろいから」 「遊び場じゃねーんですけどー」  厨房は日々、ダーさんとメイディーの手によって進化している。今やちょっとしたレストランもびっくりじゃね? ってくらい調理器具もそろっていた。勿論その中には、包丁だってある。  危ないものは触るな、って言ったところで、群青たちは聞いちゃいない。だってこの人たちのほとんどは、調理器具のうちどれが危ないかもわからないんだ。  子育てしてる人ってこんな気分なんかなー……。  何度も駄目って怒鳴ってるうちになんかふっと疲れちゃって、ちょっと泣きそうになったりする。泣かんけど。いざとなったらゼノさまに言いつけるし。  とにかく立ち入り禁止! と怒ってますよアピールすると、二人の群青はちょっとだけ息を飲んでから各々、それぞれ最大限の謝罪をする。 「うう……ごめんなさい~……反省してる。してるわ。ほんとうよ。ほんとう。だから怒っちゃいやよハルイちゃん~~~……」  しなを作ってよよよ……と泣く、ウェーブした黒髪が印象的な背の高い美人が、ユツナキちゃんさん。 「……悪かったよ。だって、甘い匂いしたからさぁー」  サイケデリック満載な洋服で細い身体を着飾った、少年みたいな活発系美少女が、カザナさんだ。 「ハルイのお菓子、うまいじゃん? この前はほとんど食えなかったから……」 「あれはぁ~カザナちゃんが勝手にお茶を飲み干しちゃったからルーちゃんにお仕置きされちゃったんじゃない~」 「おまえだってアレだろうが、庭の花全部刈り取ってゼノ様にめっちゃ怒られてたじゃんか」 「いまその話してなぁーい! だってハルイちゃんにお花あげたかったんだもん!」  おれとおれの菓子、モテモテだなおい。  ちょっと引きつった顔晒しちゃいそうになったけど、ため息一つでどうにか飲み込む。  女の園、娼館。  って聞いたら、そりゃドロドロした世界を想像してしまう。けどこの宵闇亭の娼婦、群青たちは、そんなものとは縁のないさっぱりとした気質の人が多い。  まだ全員ちゃんと把握してるわけじゃないけど、とりあえず主要三人――売上上位三人は、おれに対してかなり好意的に接してくれる。  虐められたらおもしれーなぁと思ってたのに、いざ顔を突き合わせてみれば、すっかり懐かれてこのざまだ。  ゼノさまなんか、庭でみんなのオモチャにされてるおれを遠くから眺めては、耐えきれないって感じで笑ってんだよ。なんて男だ。助けろと思う。  ……まあ、マジで嫌われたりいじめられたり無視されたら、それはそれで面倒だろうし、好かれる分には問題……ないのかなぁ~これ……うん、まあ、ないってことにしておく。とりあえず。 「はいはい、二人はそれ食ったらさっさと部屋に戻って。この後お茶会っしょ? お茶と珈琲と菓子、ちゃんと持ってくから!」 「ふふふ~ハルイちゃんが来てからぁ、みんなのおしゃべりの時間、すごくおいしくなってグレードアップしたわぁ~。かわいいしおいしいしハルイちゃん最高だいすき~」 「ユツナキは誰だってかわいいしだいすきだろうがよ」 「特別! 特別に好きなのッ! あ、もちろんカザナちゃんも大好きなのよ? ほんとうよ? でもほらハルイちゃんはお菓子の分も上乗せでしょ? そうするとちょっと好きが溢れちゃうっていうかぁ……もうぜーったい帰らないでねハルイちゃん。ずうーっとここにいてねハルイちゃん。ねっ、ねっ?」 「いや帰りたくても帰れねーっしょ一回死んでるんだし……」 「はっ……! あああそうだったわ! わたしもハルイちゃんもカザナちゃんもルーちゃんも、みんなみんな死んで……うっ……ううう……悲しくなってきちゃったぁー……」 「大丈夫だハルイそんな顔すんな。こいつの情緒不安定なんか気にしてたら心臓もたねーから。あとでジャムちょっと多めに口につっこみゃ忘れっから」 「……それなら、いいけどさ」  なんか、はらはらと涙を流すユツナキちゃんさんを見ていたら、そういやこの人たち毎日身体売ってんだよなぁそれが仕事なんだよなぁ、なんてことを思い出しちゃって、ちょっと、何とも言い難い気持ちになった。  元の世界で死んで、目が覚めたら異世界だった。  そのあといきなり『女だな、じゃあ娼婦で』って言われたってことでしょ?  おれを召喚した時、ゼノさまは謝った。二度目の命で労働を強制することの非礼だと言った。  おれはまあ、生きてるからには生きなきゃだし、料理作れって言われたからまあやるよって感じだったけど。やっぱり、群青になるかもって思ったときは、正直キツイと思ったから。  なんてことをぼんやりと考えてしまったことは、おれを見上げる美少女マンにはバレていたらしい。  ガサツなガキにしか見えないのに、カザナパイセンはびっくりするくらい察しがいい。(つーことは普段のガキみたいな悪戯の数々は、確信犯的行いってわけだけど、その話はまた今度しようなパイセン) 「お、どしたハルイ。……同情しちゃってんのか?」 「同情……えー、そうかなぁ、これ同情? だと思う?」 「しらねーよ他人の気持ちなんか。アタシ読心系の種じゃねーもん。でもま、おまえが『異世界で娼婦なんかやらされて可哀そう』って思っちゃってんならそれはちょっとちげーかもよ。少なくとも、アタシは結構楽しい。まあ、嫌な時もあっけど、総合してハッピーの方がでけーかな? って感じだし」 「……嫌になんねーの? 疲れたりとかさ」 「普通に生きてりゃ誰だってそういうことあんだろ。ご褒美もらえる宵闇亭のほうがマシじゃん」 「ご褒美?」 「ご褒美だよ、ほら、つかれたーってなったときにさぁ、ゼノ様がほらぁー」 「……うん?」  ゼノさまが? なに? ごほうび?  なにそれおれ知らないけど。  って素直に言ったら、カザナパイセンだけじゃなくってユツナキちゃんさんまで『うそぉ!?』みたいな顔してた。 「え。なに……ほんとに心当たりないんすけど……」 「うそ~~~ほらぁ! 疲れたぁもうやだぁやだやだ仕事したくないやだぁ~~~! ってなったときに、ほら! ゼノ様、一晩お付き合いしてくださるでしょ!?」 「……ひと、ばん……?」  え。  いやほんとなにそれ。待って、何、それ。 「え。ハルイこっち来てどのくらい経ったっけ? なんか白期のど真ん中くらいじゃなかったか? もう十の一週を五回は過ぎたんじゃ」 「五十日! うそぉ! ハルイちゃんそんなに頑張ってるのに!? そりゃハルイちゃんはぁ、強くて明るくて格好よくてかわいくてえらい子だけど、弱音吐かないからってそんな、ひ、ひどい……! ハルイちゃん頑張ってるのに~~~!」 「つか、ゼノ様さぁ、ちょっとハルイに冷たくね?」 「え。……え、そう……かな……?」 「わかる~~~! 業務的っていうかぁ、仕事振りすぎっていうかぁ! お料理じゃないことまですぐにハルイちゃんに言いつけるじゃない! ひどい! 横暴! ゼノ様横暴よね!? そんなにお仕事いっぱいいーっぱいやらせてるのに、ご褒美もあげてないなんて……っ」 「まあ、ちょっとないよな~。ユツナキなんか十日に一晩はゼノ様占領してんのに」 「だって! 悲しくなっちゃうんだもの! 泣いて死ぬまえに俺の部屋の扉を叩けって言ったんだもの!」 「うっわ、かっこよ……そういうとこだぞゼノ様……」  うん、それはおれもそう思う。  なんか呆然としているうちに話に置いて行かれちゃったけど、とにかく群青たちは定期的にゼノさまから一晩『ご褒美』をもらってるらしい。  でもそれ群青さんたち用のご褒美でしょ? って恐る恐る確認したところ、鉄紺だって対象内! と二人に怒鳴られた。こわい。ていうかその、おれはそのご褒美の中身がすごく気になるんだけど。  娼館、夜、イケメンの当主と仕事に疲れた娼婦たち。って並べると、そのー、よからぬ想像が膨らんでしまう。  おれが悶々としている間に、涙をぬぐったユツナキちゃんさんは、くっと細い顎を上げて、両手をぎゅっと握る。 「わたし、決めたわ! ハルイちゃん、ちょっと来てッ!」 「え!?」  なんか決意に満ちた顔のユツナキちゃんさんに、襟元をぐっと掴まれてぐいぐいと引っ張られる。  痛い痛い痛いですまじで! わりとマジで苦しい!  一生懸命ついていかないとマジで首が締まる。ユツナキちゃんさんはスラッとしていて四肢が長い、そしてデカい。縦にでかい。  たぶん、人間よりも若干巨大な種族なんだろう。そんな人に本気で引っ張られたら、そりゃしんどいです。  引きずられるように階段を上がり、ひょこひょこ駆け足でついてきたカザナパイセンと供にたどり着いたのは、二階の奥のゼノさまの執務室、という名の自室だった。  コンコンコン、と三回ノック。  なんかこの街では伝統的に灰の種族は五回、黒と白の種族は二二回ノックするしきたりらしいんだけど、ゼノさまは(たぶん皮肉とネタを込めて)群青は三回、鉄紺は四回ノックをするようにと教育していた。  ユツナキちゃんさんは返事とか待たない。強い。この人ほんと強い。 「ゼノ様ぁ! ゼノ様ゼノ様ゼノ様ぁーーー!」 「……何だ一体騒々しい、ユツナキおまえはいつもいきなりすぎ――」 「あのね、わたし、今晩ね、ゼノ様をご予約してたでしょ!? でもね、あれ、キャンセルします! だってだって、ハルイちゃん、すごくがんばってるのに、かわいそうなんだもの……っ! だからね、ゼノ様、わたしね、今晩のゼノ様をハルイちゃんに譲るわ!」 「…………は?」  うん、あの。……たぶん、おれも同じ気持ちだよゼノさま。

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