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真夜中、執務室にて

「き…………」 「…………」 「……きもちいい…………」  ぐ、っと息をつめていたハルイが、心底心地よさそうに言葉を吐く。  やたらと静かだったから気に入らないのか、ニンゲンとやらに快感はないのか? 別の場所がいいのか? と訝しんでいたが、どうやら俺の心配は杞憂だったらしい。 「そうだろう、そうだろう。……だいたいの種族は頭部のマッサージを好むものだ」  まあ、たまに『足の裏を強く噛んでほしい』などと突拍子もない要求をされることもあるが。大概の二足歩行種は、俺の指を快く受け入れる。  宵闇亭が門を開けてから数刻後。  最初の客を取り、恙なく部屋に引きこもった群青たちを見届け、あとの仕事を任せると俺は執務室に引き上げた。  奥の寝室には、異様に緊張した面持ちで寝床に腰かけるハルイが居る。  ろくに説明もされなかったのだろう。群青たちは少々感情的で、かなり言葉が足りない。特にユツナキはその筆頭だ。アレはほとんど本能でしか動かない。笑い泣き怒りそして欲望のままに言葉を吐く。  カザナはまだマシな方なのだが、如何せん何事も面白おかしくしようとする節がある。あの二人に連れて来られたのだから、まあ、面食らい固まる現状もわからんでもない。  ハルイとは別の意味で緊張していた俺は、さてまずはお茶でも飲ませたほうがいいのか? と一通り悩んでみたものの、他の群青と同じように接することにした。  ユツナキはそれを望んだのだから、それでいいのだろう。  後々感想をねだられたハルイが、いつもと違う待遇を受けていては、群青も納得しない筈だ。ハルイを慮り、わざわざ今日を譲ったのだから。  カウチの下にクッションを敷き、手を取って立たせたハルイをそこに座らせる。そしてカウチに座った俺はおもむろにハルイの頭部に手をかけ――マッサージを始めた、というわけだ。  徐々に力が抜けたハルイは、今はすっかり俺の足に身体を預けている。 「うう……これはご褒美……紛れもないご褒美です……ゼノさま、毎晩こんなことしてんの? 群青さんたちに?」 「毎晩ではないが、乞われれば労う」 「あー……なんか、ゼノさま夜中つかまんないんだよなーって思ってたけど、これが原因かぁー。……きもちいい、よだれでそう……」 「出してもいいが俺に付けるなよ。……随分と安心したような顔だな。一晩付き合う、と聞いて、よからぬことを想像していたか?」 「……だって、そりゃ、そんな言い方されたら性的な行為かと……」 「性行為で疲れてる奴らに、褒美として性行為してどうする」 「仰る通りでー……」 「……性行為がよかったか?」 「え。とんでもない、あの、マッサージ最高。最高です!」  慌てたように姿勢を正すものの、俺の足の間から逃げるようなことはない。  ひとまずその信頼に満足し、ごりごりに凝っている頭から首、そして肩に――いや、おまえ、笑えない程凝っているな本当に……。  俺はハルイが好きだ、という自覚がある。そんな俺にとって、今晩は俺こそ褒美だと浮かれてもいいものだが、これだけ疲労している従業員を、当主として放っておくわけにはいかない。  確かにユツナキの言う通り、俺はハルイに対して不誠実だったかもしれない。  ハルイは泣き言を言わない。  できないことはできないと言うし、できなかったことは詫びる。けれど基本的に『やりたくない』『もういやだ』などと仕事を投げ出すことはなかった。  あれもこれも、ハルイに任せておけばとりあえず無難に大丈夫だ。そう思っていた節がある。無理をさせていたかもしれない。そして俺は、無理をさせていた上に労わなかったかもしれない。  ひっそりと自省しつつ、仕事はどうだ、と声をかければ、足の間の愛おしい青年は軽やかに笑う。  俺が好きな、すこし軽くはねるような笑い声だ。 「質問の範囲でっかいなぁー……えー、でも、仕事……厨房の仕事は、結構慣れて来た、かな? って感じですー。まあもう二か月くらいだしそりゃ慣れるよって話だけど……」 「にかげつ?」 「あ、えーと、おれんとこのカレンダー……ええとね、七日で一週間、約三十日で一か月、十二か月で一年って感じで」 「また中途半端な日数だな。どうして一週間は七日なんだ?」 「……え、なんでだろ。宗教的な何かかな? えーすげー気になるググりたい……」 「ググる、とは?」 「辞書を引くみたいな……あ、だめだ、辞書もないんだったここ。うーん……詳しい人に訊く? かな? レルドさまに尋ねる、みたいな?」 「やめろあいつの話をするな無駄に腹が立ってくる。一度思い出すとあの顔は頭から離れなくなるんだ」 「あはは。濃ゆいっすもんね、レルドさまのキャラ。ゼノさまは、レルドさまとは長い付き合いなんです?」 「まあ、それなりにな。断じて友人ではないがな。知人とも言いたくないが他に何といいようもないから仕方ない。あいつの話はやめだ、やめ。俺は、おまえの話が聞きたい」  俺はいつも、群青の話をきく。  どういう世界にいたか。どのように生きたか。いまはどんなことに楽しみを見出しているのか。辛くないか。悲しくないか。笑っているか。困ったことはないか。  それと同じように――多少は、個人的な興味もあったが――尋ねたつもりだった。  しかしハルイは、珍しく遠くを見るようにして、困ったように笑う。 「んーあー……おれかぁ。おれの話、うーん……」 「……話したくないか?」 「え、いや、そういうわけでもないんですけど。おれの話、たぶんそんな楽しくないんじゃないかなぁーと思って」 「娯楽にするために訊いているわけじゃない。俺は、おまえを知るために聞きたいと思う。それじゃダメか?」 「……いっけめーんなのにメンタルもいっけめーんなのどうかと思うー」 「褒めているのかそれは」 「ホメテマス」  本当だろうな……。なんだかあやしいが、ハルイが少し笑ったので、まあ、良しとした。  なんでもいいから、話せ。おまえの話が聞きたい。  もう一度そう促し、やっとハルイの話は始まる。 「ホントに面白くないし、っつーか胸糞悪いかもしんないっすからね? えっと、生まれた場所とかは言ってもわかんないから省略。とりあえず親が屑でした」 「……待て。おまえの人生、そこからもう、なんというか、……不憫だったのか? 親というのは、おまえを産んだ両親ということだろう? 地球は家族制度、だったな?」  あらゆる世界には、あらゆる生活様式がある。  子供を育て社会を形成する種族には、群れの制度と血縁制度がある。一定の人数の群れで子を育てるか、血のつながりで家族を作るかだ。  この世界は前者の制度を取っているが、ハルイのいた場所では家族が子を育てる筈だった。 「まーなんつーか、子供とか作るべきニンゲンじゃなかったんすよねーたぶん」 「女か、男か。どちらに問題があったんだ」 「どっちも。女親は馬鹿で面食いで子供が嫌いだった。男親は顔だけは良くっていつも浮気してて結局全部捨てた」  わりと自力で生きてました、とハルイは軽く言葉にする。けれどその言葉の響きに、引っかかる何かを感じた。  ハルイは、許していないのだろう。過去の不幸の原因である親を。 「学校はどうにか……あ、子供のうちは勉強する義務があるんですけど。それはどうにか行ったんですけどねー。飯はおれが作ってたし、掃除とか洗濯もほとんどやってたなー。でもおれ、一人じゃなかったからどうにか生きてたんだと思う。弟と妹がいたから」 「ああ。同じ母体から生まれる子か」 「そう。兄弟っていうの。あいつらが居たから、おれが頑張んなきゃーって思えたっつーか。野垂れ死んでる場合じゃないっつーか。だからとにかく働いた。働いてるうちに、気がついたら女親が酒に溺れて依存症になっちゃってて、その上変な男につかまって借金作っちゃっててもう大変だったなぁーおれよくあんとき生きてたなぁ」  俺にはわからない言葉が混じる話だ。酒とは何だろう。依存症とは病気の一種だろうか。  わからない言葉は多いが、ハルイの人生があまり暖かく微笑ましいものではなかった、ということはわかる。  少し、労わるように肩を撫でると、こちらを仰ぎ見たハルイがほらねと笑う。 「楽しくない話っしょ? やっぱレルドさまの話してたほうがよくない?」 「いい。続けろ。おまえの人生は、そのあとすぐに途切れたのか?」 「あー……いやもうちょい色々あったかなぁ。借金返すためにとりあえず水商売に入って知り合ったホストの家に転がり込んで、セフレみたいになっちまってまわされて、いやこれはさすがにと思って抗議したら家政婦みたいな扱いに――」 「待て。待ってくれ。……まわす、という表現は、耳慣れないがそれは」 「あー。……たくさんの男に弄ばれて?」 「…………おまえはその体験を、乗り越えたのか?」 「え? あー、どうかな。なんか考えると吐きそうになるから忘れてるだけかもしんないっす。でも最後の方はもう感情とか死んでて、よくわかってなかったかも。今久しぶりに思い出して、おえーってしてる、けど、ゼノさまがさぁ、優しく撫でてくれるから平気」  だからそんな顔しなくていいですよ、と笑われ、初めて、己の眉間に力が入っていることに気が付く。  性行為が神聖なものだとは思わない。  下劣なものだとも思わない。  ただ、強姦はいただけない。そう思う。俺なんぞが主張するのもおこがましいのかもしれないが……手を伸ばしたハルイに眉間を撫でられ、笑われ、どうにか息を吐いた。 「今は、あいつらどうにかちゃんとした大人に保護されてるといいなって、それだけは心配かな。どうしようもねーけど、おれ、向こうでは死んじゃってるみたいだし。……ほらぁーだから言ったじゃん楽しくないですよって!」 「……今は」 「うん?」 「今は、辛いことはないか。悲しいことはないか。吐きそうになることはないか」 「うん。ないです」  即答だった。  悩む様子すらなく、すぐに頷くその言葉に、何故か俺の方こそ救われたような気がした。  ハルイの人生がどの程度の不幸なのか、俺にはわからない。その世界の社会を、貧困を、暴力を、ルールを、俺は知らない。  けれど今、その全てから解放されているというのなら、再び命を与えてしまった傲慢も、少しは許されるだろうか。 「おれ、今ホントに結構ちゃんと楽しいっすよ。正直死んだ後にもっかい働くのだるいなぁってちょっと思ってたけど、いまは、働くのが楽しいってすごいなーおもしろいなーって思ってます。ずーっとおれ、ただ金稼ぐためだけに働いてたから」 「二度目の命は、苦痛ではないか?」 「うーん。……正直、ラッキーだったなぁ、って思ってます」 「……幸運?」 「うん。だってたぶん、おれを召喚してくれたのがイエリヒさんで、雇ってくれたのがゼノさまって、すごい幸運なことなんだろうなーって思うし。おれの前の人生がやばかったのは、運が悪かったなーってことだと思うんですよね。まあ、おれの努力が足りなかっただけかもしんないけど」 「…………おまえの、」 「え? はい」 「おまえの今の生活が心地よい、と感じるのは、ひとえにおまえの努力の賜物だ」  宵闇亭は確かに、召喚獣にとっては恵まれた働き口であろう。  しかしこの館は働かぬものを匿う余裕はない。向き不向きは考慮するとして、そもそもやる気のないもの、努力をしないものは召喚の契約を解除、または館から出て行ってもらうこともある。  ハルイが『居心地が良い』と言えるのは、ハルイが毎日身を粉にして働き、俺と従業員の信頼を勝ち取ったからにほかならない。  おまえが頑張ったからだ、ともう一度明確に告げる。  俺を見上げたままだったハルイは、小さく唸る。 「……言われ慣れないことは、むず痒いか?」 「うん。……褒められ慣れてないんですよぅーおれ、ほんと、お礼だってあんま言われないのにさぁー。ゼノさまも他のみんなも、すぐに謝るしすぐにありがとうって言うから、そわそわしちゃうんすよ」 「挨拶は友愛の基本だ。おまえの世界では、礼を言われた時に返す言葉はないのか?」 「……ドウイタシマシテ?」 「あるじゃないか。胸を張ってその言葉を言っておけ。ついでに笑っておけばいい。群青も鉄紺も、ハルイが笑うと気分がいい、と言うからな」 「…………あの、ゼノさま」 「なんだ」 「……ありがとう、ございます」  ふ、と自然と笑みがこぼれる。ついでに先ほどハルイが口にした文言を真似て返せば、ハルイがまたむず痒そうに笑った。  どういたしまして。発音が合っているのかはわからんが、俺はこの言葉が少しだけ気に入った。 「別に、礼を言われるようなことは何もないがな。従業員を労わるのは当主の仕事だ。話が聞きたいとねだったのは俺だし、思ったことを素直に口にしている。ああ、そうだ……話ついでに、おまえに言っておきたいことがある」 「え、なに? 改まってそういう前置きされるとちょっと怖い……」 「まあ聞け、大したことじゃない。おまえのことが好きだ」 「………………は?」  ああ、今のは……中々、貴重な顔だったな。他の誰がどんな突拍子もない悪戯をしても、拝めない顔だろう。心底驚愕し、何を言われたかさっぱり理解できない、という顔。  まあそうだろうな。おまえは、本当に無防備に俺を信用していた様子だったから。 「え、待っ……え? なに、え? 誰が、ええと、すいません主語がよくわかんな……」 「俺が、おまえを特別に好いている、という事実を告げた。まあ、心に留めておけ」 「え!?」  言わずともいい言葉だったのかもしれない。言うべきではなかったのかもしれない。しかし己の不器用さを鑑みた結果、下手に隠しても周りに迷惑をかけるだけではないか、と考えただけだ。  ユツナキに手を引かれるハルイを。メイディーと笑い合うハルイを。レルドと俺の知らない話をするハルイを。リットンと真剣に試作品を作るハルイを。  ……俺以外の手を取り笑うハルイを見るたびに、気持を殺せる自信がない。  言ったからどう、ということでもないのだが。 「…………え!?」  驚愕を隠さないハルイの顔を見ていたらなんというか……もしかしてはやまったのか? と。思わなくも、なかった。

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