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熱と釦と約束事

 子を育てる種族とは、いつなんどきでも育児に追われるのだろうか。どんな状況であっても、子を抱きながら仕事をこなすのだろうか。  もしそうだとするならば、今の俺の状態は子守に限りなく近いのではないか。  ……と、無理にでも健全な労働に例えてみるものの、膝の上のハルイから立ち上る熱はごまかしようもない。  真夜中、宵闇亭は各部屋に緩やかな明かりを灯し、商いに精を出す。  群青は客を招き、鉄紺は舞台裏を駆け巡る。  ハルイも本来ならば厨房で、群青の食事と間食を作っている時間だ。だが今日の厨房は見習い料理人ことメイディーが一人で回している。  執務室、いつものテーブルの上には様々な硬貨がぶちまけられ、それを数えるクソ程面倒な仕事をこなす俺の膝の上には、ぐったりとしたハルイが乗っていた。  ハルイがそれなりに強力な媚薬を、頭から被ったのは夕刻すぎのこと。  なにか体調に不備があっては困る。そう思い、執務室に連れ込んだはいいものの、寝台の上もカウチの上もハルイは嫌がった。  曰く。 「……誰かに触ってた方がなんか楽なんですー……」  ……とのことだ。  仕方なく、膝の上に招き仕事を開始したものの、まったくもって身が入らない。  集中できる方がおかしいだろ。どういう状況だこれは一体。  欲情中の想い人を膝の上に乗せ、硬貨を仕分けし数えるだなんて。何かの罰か? レルドが目にしたら、向こう一年はネタにされるに違いない。  赤い顔で息を吐くハルイは、なんというか……煽情的というよりは不憫だ。心配が先に立ち、こちらも欲情どころではない。  まあ、その、多少は、意識をしない、こともないが。……そもそも、こんな風にべったりとくっつくこと自体が稀だ。媚薬を浴びていようがいまいが関係ない。  手持無沙汰なのかなんなのか、ハルイは先ほどから俺の胸あたりのボタンをカツカツと爪で弾いている。 「……ハルイ、くすぐったい、やめろ」 「えー……なんかこう、指先動かしてたほうが、意識が紛れていいんですよ……ジッとしてるとムズムズするっていうか、っあーーーーみたいになるっていうか、てかゼノさまはあの薬、使ったことないの……?」 「精力剤は時と場合により使用するが。宵闇亭に常備してある媚薬に関しては、俺は飲んだ記憶はない」 「え、どう違うの……」 「前者は強制的に射精を促すもの。後者は、性的興奮を高めるものだ」 「……きょうせいてきに……しゃせい……」 「仕方ないだろう。白館に招かれた俺たちは、嫌でも子供を作らされるんだ。今日は気分ではない、と言って逃れられるものじゃない。……何か飲むか? 随分と体温も高い。水分を取った方がいいんじゃないか?」 「いらないーですー……。いらないです、けど、ゼノさまぁー」 「なんだ」 「えっちしたい」 「しない」 「……うん、ですよね。ふふ……そういうとこ、好きです」  熱で浮かされているのか、どうも先ほどから発言がおかしい。  時折思い出したかのように性的な行為へと誘うものの、俺が断固拒否すると嬉しそうに笑う。  どうせ本心ではない。いや、身体の為には性的欲求を満たしてやる方が、良いのかもしれないが……薬が原因で一晩を共にすることを、ハルイが望んでいるとも思えなかった。  ……いや、これは俺の我儘なのかもしれない。  ハルイの為を思うなら、欲を開放してやる方が優しさなのではないか。したくない、というのは、こんなきっかけで床を共にしたくないという俺の我儘なのか。  俺の我儘、といえば、先ほどの一件そのものが、我儘だったのかもしれない。 「おまえには本当に迷惑をかけた。俺にできることであれば、大抵のことは善処するが、こら、ボタンを弄るのは、やめろと……!」 「えー……? 別におれ、ゼノさまに迷惑なんかかけられてない、と、思う、けど……なんかされましたっけ……?」 「俺の我儘で、皆にいらぬ心労を掛けただろう。おまえは群青になる決意をし、鉄紺たちも身体を売るつもりでいた。ユサザキにも、群青にも、すべての宵闇亭の従業員に迷惑をかけた」 「……でも、それって、予約通りにどうにか仕事をこなしたかった、からでしょ?」 「俺が客に謝りキャンセルを促せばよかっただけだ。それなのに、皆の申し出に甘えてしまった。それに――」 「それに?」 「……ハルイが挙手した後に、やはりキャンセルにしてもらおう、と言い出せなかった。他の従業員の身体を売っているのに、ハルイだけは売りたくない、などと、そんな我儘を言える筈も……」 「ふはっ」  唐突に、顎の下から笑い声が上がる。  俺は割合真面目に話していたつもりだったから、若干睨むように視線を下げてしまった。 「……笑うところか、今のは」 「え、あの、だって、なんか……えー、ゼノさま、わりと普通っていうか、俗世な感じで悩んじゃってるの、微笑ましいっていうか……。だってさ、みんな、きっと、誰も怒んないよ。ゼノさまがちょっとくらい我儘言っても、ひどーい贔屓だーこれだから黒館様は横暴なんだーまったくこんなひどい場所で働けるのはなんて幸運なんだーって、きっと笑うだけなんだ」  ……ああ、うん。言いそうだ。  言いそうだ、と思ったら心の荷が、少しだけ軽くなったような気がした。 「ゼノさま、ちょっと自意識過剰なんすよー……案外、みんな、自分のことで手一杯っすよ。あとで怒られたら、そんとき話聞いて謝るか考えればいいじゃんー……」 「じいしきかじょう……」 「え、初めて言われた系?」 「おまえの言葉は大概が初耳だ。そんな風に俺に気安く言葉を投げる奴は、イエリヒくらいしかいない。そしてあいつはもう少し性格が悪い」 「うはは。はー……確かにーイエリヒさん、結構いい性格してるよねー……」 「ハルイ。あのな、話し相手になってくれるのはありがたいが、だから俺の服のボタンを弄ぶなと……」 「やめてほしけりゃ、ちゅーしてください」  思わず、息を飲む。  先ほどのように否、と即答しなかったのは、見上げるハルイが思いのほか真剣な顔をしていたからだ。  我慢がきかない。その上傲慢で我儘だ。こんな俺を好きになってほしい、だなんて笑わせる。そう思いながらも、吸い寄せられるように唇を重ねてしまった。  舌が熱い。いつかの記憶にあるよりも、ずっとずっと、熱い。 「……っ、ん……………ふ……ぁ……」 「…………口を開けろ。息をしないと、しぬ」 「……召喚獣でも、死ぬんです…………?」 「致命傷を受ければ死ぬ。窒息だって死因になりえるだろうよ。……なんだか甘ったるいな。何か食ったか?」 「あー……さっき試作品の飴を食べた、ような気が……」 「飴?」 「ええと、甘くて、丸くて、硬くて、ころころしてるやつ」 「まったくわからん、おまえ語彙力も馬鹿になってるな……」  ついつい、微笑ましく思い笑いが零れてしまう。俺の零した息を奪うかのように、ハルイは積極的に唇を重ねた。  甘い。熱い。そのうえとろけるように苦しい。  俺のものになればいいのに、と思う。思いながら腰を抱き、何度も熱い舌を転がす。  唇がふやけそうになったあたりで、熱い身体の想い人は降参を告げる。 「……余計煽ってないか、これは」 「はー……でも、なんかしてないと、落ち着かないんですー……」 「では俺の仕事を手伝え。このレートがバラバラの小銭どもの時価を計算せねばならん。おまえは計算が得意だろ」 「えええ……いや、暗算はいま厳しいなぁ……」 「頑張れおまえならできる。俺はこの仕事が一番嫌いなんだが、残念ながら従業員の中で一番計算に明るいのが俺らしい。解せない。おそらくフールーあたりは簡単にこなす筈だ。解せない。絶対にできないふりをしているに違いない」 「あー。能ある鷹っぽいもんなぁフールーねーさん……」 「……ボタンを弄るな、と、次に言わせたら寝台に押し倒すぞ」 「えー? ……じゃあちゅーして」 「この一角の計算が終わったらな」 「…………ゼノさまー」 「なんだ、今日はやたらと煩いな本当に」  嬉しいのだが、どうにも憎まれ口が出てしまう。照れ隠しに罵倒するなど男としてどうか、と思うがしかし、にやにやと脂下がりそうになる顔をどうにか保つには、いつも通りの態度を心掛けるしかない。  それなのにハルイは笑う。少し、泣きそうな顔で。 「ありがとうございます。……なんか、いろいろ」 「大雑把な礼だな」 「……おれね、本当に、良かったなぁって思ってるんです。あのまま死んじゃわなくて、良かった。ゼノさまに召喚してもらって、良かった。ここが、宵闇亭でよかった。……しんどいときに、ゼノさまがくそみたいにおれにあまくて、よかった」 「……………」 「だから、えーと……あれ、なんだっけ。すごいお礼言わなきゃって思ったんだけど、うー……あたまがぐわーっとするー」 「薬が切れたら、考えればいい。言葉なんざいつでも聞ける。俺は明日死ぬわけではないし、おまえだってそうだ」 「なにそれフラグっぽいからやめてください死ぬとか言わないで泣くぞ」 「……今日のおまえの情緒はどうなってるんだ……」 「ぐっちゃぐちゃですよ。だっておかしくなってんだもん」 「ああ、まあ……そうだったな。他はともかく、俺が膝を貸している件について、ありがたいと思ってくれるなら、後で褒美でも寄越せ」  少し茶化した方が、ハルイの心労も減るだろう。そう思っただけの軽口だったが、ハルイは思いの外嬉しそうに笑った。 「了解です。ええと、明日の夜食は卵かけご飯グレートにします」 「ぐれーと……? まあ、食わせてもらえるならありがたいが、いや……もっと他にないのか……」 「えー。じゃあ、一日デート券」 「…………………本気にするぞ」  抱き寄せ、悪戯にボタンを探す手をつかまえ、至近距離で覗き込んだハルイは嬉しそうに『うん』と頷く。  デート、とは、恋仲の二人が出かけることだということくらいは知っている。俺とハルイは恋仲ではない。俺が一方的に好いているだけだが……その日だけは、手を繋いでもいいのだろう、と思うことにする。 「元気になったら、ゼノさまと、デートします。……だから、いまは、ちゅーしてゼノさま」  ありがとうぜのさま、ごめんねぜのさま。  うわごとのように繰り返すハルイが泣いているような気がして、背中をさすりながらキスをした。

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