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料理人の下ごしらえ

 嫌なことがあったとき、おれの取る手段は二つだ。  その一、ただ耐えて時間が過ぎて風化するのをまつ。  その二、考える暇もないくらい忙しくして現実逃避する。  前者は無理だし圧倒的に後者を実行すべきなんだけど、なんとこんな日に限って宵闇亭はクソほど暇だった。 「いやぁ、うん……実は本格的な黒期直前って、割と暇なんだよね」  おれが無駄に時間をかけて淹れたロイヤルミルクティー風庭の草の茶を飲みながら、ユサザキさんがふわっと苦笑いする。それに応えるのは、だらりと椅子に掛けた灰の二人だった。 「あー。皆さん黒期こそ宵闇亭! って感じで逆に我慢しますよねぇ何故か。わたしはそもそも、利用しないので街の方のお気持ちはいまいちわかりませんが……」 「僕も、……個人的には共感しませんけど、黒期までギリギリ耐えるという者もいますよ。農園の従業員も、白期に宵闇亭を利用する者は少ないですね」 「節約ですかね〜まぁ、高級店ですからね〜」  イエリヒさんとリットンさんの会話から察するに、どうも黒期ってやつは性欲が高まるっぽい。定期的に白館で搾り取られる色の種族とイエリヒさんには、たしかに無縁の話なんだろうクッソまた思い出したもう白館関係の言葉は全部地雷にしたいってのに。  時は真夜中、場所は宵闇亭。ゼノさまの執務室。  主人のいない部屋の中には、男ばかりが四人集う。  本日宵闇亭の当主代行のユサザキさんはわかるし、テンションどん底のおれを慰めながら送り届けてくれたリットンさんもわかる。リットンさんには茶の二杯くらいはご馳走させてほしい。  でも出迎えてくれたイエリヒさんは、なんのためにここにいるのか、よくわからん。いつもイエリヒさんに無茶振りするゼノさまは居ないのに。  って思ってたのが顔から垂れ流しだったらしい。眉を下げたイエリヒさんは、野次馬じゃありませんよと笑う。 「わたしだって、友人の心配くらいしますよぅ」 「ゆうじん。……ゼノさま?」 「ちっがいますよ! あなたのことですハルイ! もう、ゼノさまが独り占めなさるからハルイの交友関係が狭くなるんですよーせめてわたしくらいは友としてカウントしてください」 「あ。……僕も、ぜひ」 「え? あ、……友達、なの? おれたち」 「嫌ですか!? もしやハルイ、嫌なんですか!?」 「あーいや……なんか、イエリヒさんとリットンさんは、友達っつーか兄貴みたいな感じだったから……」  そっか、友達なのか。  じんわりと恥ずかしくなってきたおれの前で、兄という単語の意味をユサザキさんに説明された二人は机の上に崩れ落ちて悶え始めた。いや、そんな照れることでもなくない……? と、思うけど、この世界では家族とか血縁とか、ちょっと特別すぎるのかもしれない。  おれはシンプルにこう、優しいにーちゃんが二人できちゃったなーみたいな感じだったんだけどさ。 「はー、その、サラッと他人に甘いところにゼノさまはころっとやられてしまったんでしょうねぇ……」 「あー……そう、なの? おれはあんま、なんつーか……おれなんかのどこがいいの? ってずっと不思議だけど……」 「でもハルイくんは、ゼノさまが好きなんでしょう?」 「す――」  き、なんだろうか。いや、好き、だとは、思うけど。  でもゼノさまは黒館さまで、宵闇亭の当主さまで、たぶんこの世界の中でもわりと偉くて、いろんなひとに尊敬されてて、たくさんの人に好かれてて……おれなんかより、もっとふさわしい人、いっぱいいそうじゃない?  例えば、白館の中の、たくさんの美人とか。  群青の中の、誰かとか。  なんか本人が居ないせいで、どんどん気持ちが沈んでくる。  いま目の前にゼノさまが居たら、くだらないことになやむな俺の恋情にもう少し気を遣え、とか怒ったふりして口説いてくるんだろうけど。……あの人はいま、白館だ。  あー、くそ。いちいち、思い出してはオエッてしちまう。  事あるごとに沈みまくるおれを手招きして、手をとって見あげたのはユサザキさんだった。 「ねぇ、ハルイさん。僕は実は、結構きみのことが好きなんだ」  ふんわりと笑う、ユサザキさんの言葉は今日も柔らかい。 「だからきみにも、僕を好きでいてほしいなぁと思うよ。簡単なことだよ、とても、シンプルなことだ」  簡単なこと。  とてもシンプルなこと。  ――立場とか、職場とか。人種とか、性別とか。そういうの、うだうだ考えなくてもいいのだろうか。  おれの手を握ったユサザキさんは、首を傾げてにっこり笑う。優しい顔に、なんだかグッときて涙が溢れそうになった。  そういや俺は、周りの大人に優しくされた記憶もない。  いつだって一人で踏ん張って生きてきて、一人で生きることに慣れすぎていたのかも。 「ゼノさまのこと、好き?」 「……いままさに知らねー女とえっちしてんのかと思うとぶん殴りたいくらいには」 「あはは。それってすごく好きってことだ。殴るのはやめて差し上げてほしいけど、ちょっと拗ねるくらいはしていいんじゃないかな。僕だってきっと、きみの立場なら泣き喚いちゃうもの」 「………………やっぱ、」 「うん?」 「やっぱ、やだーーーー……」  ゼノさまが誰かに触んのやだ。おれ以外に触んのやだ。喋んのも嫌だし、チヤホヤされんのも嫌だし、いま白館にいるって思うと叫びそうになるくらい、嫌だ。  嫌で嫌で、ついに耐えきれなくなって、ユサザキさんに抱きついてしまった。なんならマジで涙が出た。はは、はー……びっくり。おれ、泣いたのなんて、いつぶりだろう?  おれの背中を優しく摩ってくれたユサザキさんは、ゼノさまが帰ってきたらお伝えしなきゃね、と呟いた。そしてなぜかとてもさっぱりした声で、とても嬉しそうにこう言った。 「よし、じゃあ、まずはお風呂かな」  …………なにて? 「……え、なに……風呂……?」 「きみはいつもきれいにしているだろうけど、ほら、準備が必要でしょ? 経験があるなら、わかると思うけど……」 「え。え? え、いや、わかる、けど、なんか、わかっちゃいけない話題の、ような」 「ほら時間がないからさっさとやっちゃおう! ゼノさまがいつ帰ってきてもいいように。だってきみの気持ちが固まっているなら、あとは準備をするだけだ」  そりゃ、そうだけど。  いやでも急にそんな『さっさとえっちする準備しようぜ!』とか堂々と言われても。困るし恥ずかしいし困る。  でも面食らってるおれを置き去りに、執務室の面々は一斉に立ち上がる。 「そうと決まれば、食事の準備も必要ですかね! メイディーに頼んできましょう。ゼノ様は基本的に白館で出されたものを極力口にしませんから、腹を空かせて帰ってきますよ〜」 「あ! 僕もお手伝いします……!」 「それではわたしたちは厨房へ行きましょうか。ええと、部屋の掃除は……必要ないですね、掃除するほど物もありませんものねぇ」 「香油はどれを選んだらいいかな。ああ、服も揃えないと。僕は、教えることは生業だけど、あまり実務経験はないからそういうもののセンスがないんだよね……」 「いや、あの、みんな、落ちついて。ね? そんな、みんなの手を煩わせるようなことじゃ――」 「ハルイちゃーーーーーん! やっとやっとやっと決心したのねーーーーーー!」  バーン。って感じに執務室のドアから雪崩れ込んできたのは、ユツナキちゃんさんを筆頭にした群青ねーさんたちだった。  えええ……。なんで勢揃いしちゃってんのあんたたち。仕事はどうしたんだよ。  つーかカザナパイセンとユツナキちゃんさんはまだしも、なんでフールーさんも居るんだ。あなたは止める係でしょ? いやきっと止めに来たんでしょ? って思ったのに、くそほど美人な宵闇亭のナンバースリーは、くそ真面目な顔でおれの前に歩み出ると、腕を組んで真剣に唸る。 「うーん……髪の毛はともかく、お肌の調子がよろしくありませんね。まだ宵の口ですし例年通りならまぁ、間に合うでしょう。ユツナキ、パックの準備をしてください」 「はぁ〜い! わたしね、香油はね、あおいお花の香りがいいと思うのっ! ゼノ様はいつも青の花がお気に入りだったわ!」 「ユツナキが花を切りまくった後に作った香油、今こそ使いどきだな!」 「カザナちゃん! その話はもうみんな忘れたのっ! ザキちゃんにもゼノ様にもたくさん怒られたからもう忘れてほしいのーっ!」 「悪いなユツナキ……アタシは記憶力もバツグンないい女だからさ……ゼノ様が数日前にポツリと漏らした『ユノー族の衣装はハルイに似合うだろうな』って言葉もきっちり覚えてんだぜ……」 「さすがですカザナ。すぐにニスヌフに依頼しましょう。ハイ、ユサザキはハルイさんをお風呂へ! このお部屋は私共が麗しい閨に変身させてみせましょう!」  いやいやいやいや。  なんでそんなやる気なの。なんでそんなやる気満々でおれを差し出そうとしてんの。  しかもフールーさん、止めるどころか完全に仕切っている。いつもの真面目な様子からは考えられない暴挙だ。なんか変なもんでも食ったの? 三日前くらいのクッキーとか食べたんじゃないの?  呆気に取られているうちにユサザキさんに担がれて、そのまま風呂に連行させられそうになる。  いやいやいやいやいや! 「ちょ……、待っ……! 待って待ってマジで待って……っ! フールーさん、あの、いや、なんで!?」 「なんで、とはどのような意味でしょうか」 「いやいやいや、だってさ、みんなはそのー……ゼノさま、大好きなんでしょ? 毎晩取り合ってんじゃん! それなのに、おれが、ゼノさま、占領しちゃっていいの?」 「かまいません」 「そ、即答ー……」 「むしろ大歓迎なのですよ、ハルイさん。だってあの方は、ずっと、なににも心を惹かれぬ方でした」  フールーさんはすこしだけ笑う。笑った気がする。……いつも真面目な顔を崩さない人なのに。 「私達は、宵闇亭が好きです。最上の生活とは言いません。けれど、決して悪くはない。そして私達は、黒館様を敬愛しているのです。黒館様にいただいた恩をお返ししたい。けれどあの方は、何もかもに興味がない。何を差し出しても、もちろん喜んでくださいますが……けれどやっと、やっと! 黒館様が求めるものができた!」 「……あー……それって、おれ……?」 「勿論! あなたです、ハルイさん! さぁ、さっさと黒館様に食べられてしまいなさい! 私達は、あなた方を心から祝福します!」  だって大好きなんですもの、と、心から笑ったフールーさんは綺麗すぎて息をのんだしちょっと引いた。  好かれすぎでしょ、ゼノさま。  あんたがみんなに好かれすぎてるせいで、巻き込み式でおれまで祝福されちゃってんだけど。  笑顔で手を振るフールーさんに力強い声で『いってらっしゃい!』と言われ、ユサザキさんに担がれたまま執務室を後にする。暇で暇で客が居ないはずの宵闇亭は、祝福と歌で溢れていた。  労いましょう、わたしたちの黒館様。  差し出すのは愛しい料理人。  おいしいごはんを作ってくれる、おいしいおいしい料理人。  さぁさ、さっさと食べられてしまいなさい。  ……即興の歌なんだろう。そんなクソほど恥ずかしい歌があちこちでお祭りみたいにハミングしてる。 「……お祭り騒ぎっすね……」  もう抵抗もツッコミも諦めて、ぐったりとした声で苦笑する。  恥ずかしいしギャーッて感じでワーッてするけど、さっきまでの沈んだ気持ちよりは断然マシだ。 「お祭りだからね。僕たちは、ハルイさんとゼノ様が大好きなんだよ」  ユサザキさんの声は柔らかい。絶対に嘘じゃないから恥ずかしくてまたギャーッとした。  そういえば、誰かに恋を祝福されたのも、たぶん、生まれて初めてだった。

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