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白と黒の料理人

 モガミハルイの前世は、料理人ではなかったという。  聞くところによれば、料理の世界にもプロはいるらしい。調理し、提供し、代わりに金を受け取る職業。ハルイは、そんな料理人とはかけ離れた仕事をしていたのだろう。  白館の特設厨房に立っていた男は、忌々しい白い服に、白い帽子をきっちりと被る。背の丈は、並ぶハルイよりずいぶんと高い。  シェルファは彼を『中華の達人である』と紹介した。なるほど、ハルイとは違い、もとの世界でも本職であったのか。  固い笑顔で調理台まで進んだ男は、時折ハルイがやるように腰を折って礼を伝えたようだった。なるほど、佇まいの堂々たる様は、確かにハルイをしのぐ……というかハルイは緊張すらしていない様子でいつも通りすぎるのだが。  たぶん負けますけど頑張ってきます、とへらりと笑ったハルイに、俺はどんな言葉をかけたらいいのかわからなかった。  頑張れと言っていいものか。無理をするなと言うべきか。……本心では勿論、おまえの実力を存分に発揮して存在感を知らしめてやれ完膚なきまでに、思ってはいるが、実質この勝負の景品である俺自身がそれを言うのは……どうなんだ、と……。  あれよあれよと、俺の意思など関係なくさっさと景品に祭り上げられ、反論の暇も余地もなく両館の料理人対決は始まった。  ハルイが勝てば俺は義務を果たさず帰宅できる。負ければ無駄にノルマが増える。全く馬鹿げた勝負だ。  ハルイの為に使い慣れた調理器具と材料を慌てて運んでくれたリットンは、今は広間の隅でかちこちに固まったまま佇んでいる。  調理は粛々と進み、女達による試食も粛々と進む。  審査員が群青であったならば、料理が運ばれるたびに耳に痛い歓声が飛び交った事だろう。白館の女たちは、明るい歓声も忌憚ない感想も漏らさない。くすくすと笑いながら、ただ料理を口に入れる。  先程から白館の料理人をちらちらと盗み見るハルイは、自信などつゆほどもないらしい。  それはそのはずだ。  ここは白館。審査員は全て女。慣れぬ場で、腕に覚えもない料理の勝負だ。  当たり前のように勝敗はーー。 「勝者! 黒館・モガミハルイ!」  ……そう、ハルイの圧勝だった。 「………………えっ!?」  あからさまに己の耳を疑った状態で放心していたハルイは、俺が隣に立ち良かったなと頭を叩いた事で、やっと自我を取り戻したようだ。 「え!? な、なんで……なんで!?」 「なんでもなにも……おまえの方が上だったというだけだろう」 「で、でも、こんなアウェイ……敵陣なのに!?」  まぁ、普通はそう思うだろうな。  ここは白館。とはいえ、勝敗を決める者は白館の主人ではなく、女達だ。白だろうが黒だろうが、男は女には逆らえない。そして彼女たちは、俺たちの事情など微塵も考慮しないのだ。  女たちにとって、だれが仕掛けた勝負だとか、勝敗により何が起こるかなど知った事ではない。ただ、シンプルにうまいかまずいか。  そのシンプルな勝負に、ハルイが勝った。それだけだ。 「まぁ俺は、おまえが勝つと思っていた。……贔屓目ではなく、おまえの努力の賜物だ」 「えええ……でもさ、だってさぁ……おれの料理、ご馳走っていうより家庭料理っつーか……カテゴライズしたら賄い飯だよ?」 「だが、おまえは毎日宵闇亭の為に腕を振るい、毎日群青の声を聞いている。リットンやイエリヒにも感想を求め試行錯誤しただろう。おまえの作る料理は、チキュウの料理とは違う。この世界の住人の為に作った、この世界の料理だ」  白の料理人が並べた料理は、いつかの祭りの際に俺が目にしたものとほとんど変わらない。チャーハン、なにかのスープ、それに熱を入れてソースのかかった食材。  俺も食ったが、不味くはない。だが、ハルイの料理の多彩な味には到底及ばない。  ハルイがメイディーと共に庭を探索して集めたニンニクとコショウ。レルドから教えられ、リットンとイエリヒが作り上げた赤リリコの砂糖。麦の粉挽きは手の空いた鉄紺と群青の内職になった。そして、迷宮のような街の片隅で見つけた、唐辛子の実。  ハルイが作った料理は、赤リリコのクレープ。セロリのきんぴら。根野菜の白シチューに、卵かけご飯。  クレープ以外は俺の好物だがそれが偶然なのか意識してのことなのか、まぁ後で聞こう。 「もう一度言うぞ。おまえの、努力の賜物だ。ラッキーでも贔屓でもない。毎日身を粉にして働き、皆と語り合ったから培えたものだ」  ぐっ、と、ハルイが目に力をいれる。……ああ、おまえは泣きそうになると、そんなふうに我慢をするのか。 「あっぶね……ここが宵闇亭だったら泣いてた……」 「いま泣いてもいいぞ。懐くらいは貸す」 「た……卵かけご飯で勝っちゃったの……?」 「卵かけご飯はうまいだろ。なにが問題なんだ」 「だってさー……まさか、勝っちゃうとは、思ってなくて」 「……不満か?」 「いや、そりゃ、嬉しいっすけどー……」 「なら素直に喜べ。一緒に帰れるぞ」  ふと笑いかけてやると、ようやくハルイがほっとしたように息をした。来た時のように手を握り、よくやってくれた、ともう一度頭を撫でる。  俺だけ責務を逃れてもいいものだろうか……などと己を責めるのは後だ。今は、とにかくさっさと帰ってハルイを労いたい。  視界の端で憤慨するシェルファも、うなだれて震える料理人もどうでもいい。まぁ、向こうの方がよい素材を使ってはいるのだろう。だが味のわからぬものを想像することは難しい。いくら素材を作る施設が整っていても、白館のように余計な発言を許さぬ環境では、かの料理人もやりにくかったことだろう。 「……そういえばおまえ、やたらと向こうの料理人を気にしていたが」 「えっ」  ふと、気になったことを口にしただけだった。しかし、途端に曇るハルイの表情にひっかかりを覚える。 「なにか気になることでもあるのか?」 「えー……いや、あー……べつに……」 「そうか? まぁ、おまえがそう言うのなら……」  かまわんが、という俺の言葉を遮ったのは血管が切れそうなシェルファ……白館だ。 「申せ! 其方、この者と同じ世界の獣だろう!」  勝てると踏んだ勝負に惨敗し、今やプライドもなにもズタボロなのだろう。珍しく声高く叫ぶその様は、醜悪すぎて見るに堪えない。 「えっ、はぁ、まぁ……同じ時代かは知らねーっすけどたぶん世界は一緒だと思いますよ。でもその人、えーと……中華の達人? って言ってたんですよね?」 「……そうだ。そのように此方は聞いた。この料理はチュウカ料理、で間違いないのであろう? ガラクタ守もたしかにそのように……」 「はぁ。まぁ、チャーハンと中華スープは中華っすけどぉ……いやでもその人たぶん、中国人じゃないと思いますよ……? 英語喋ってるし」 「なに? 其方は此奴の言葉がわかるのか?」 「いやほぼわかんないです。ディスイズアペンなんで、おれ。でもその人がどう見ても白人でどう聞いても英語喋ってんのはわかるし。あとたぶん……このあげた野菜っぽいのはフライドポテトだし、そっちの肉もどきはローストビーフにしか見てねーんすけど……中華……かなぁ……? と、思って」 「…………つまり、此奴は、詐称をしている、と?」 「いやそこまでは……! ほら! ここの世界の食材って難しいし! 英語ペラペラな中国人かもしんないし! アメリカとかイギリスの中華料理屋の人かもしんないしっ!」  まずい。雲行きが怪しい。  シェルファの声色でそれを察したらしいハルイが焦り、言葉を重ねてフォローを入れるがもう遅い。  だがシェルファ自体も薄々、疑っていたことなのだろう。見たところ白館の料理人の作る料理は、以前見たものとほとんど変わらない。要するに、それしか作れないのではないか? と、俺でさえ疑う。  それでも様々な素材を切り、熱し、加工する術だけで切り抜けてきたのかもしれない。素材そのまま、ほぼカルブの実のみを食っていた俺たちにとって、多少でも手を掛けた料理はそれだけでも目新しい。 「………謀ったか、料理人」  腹の底から憎しみが滲むような声が響く。  手を握るハルイがびくりと身を震わせるその声に、嫌々ながらも俺は息を吐いた。 「やめろ、シェルファ。どうせおまえのことだ、才能を活かして働くかいますぐ死ぬかと脅したんだろう。本職ではないにしても、料理を振る舞えることに変わりはない」 「だが此奴は『できる』と言ったのではない。『得意だ』と言ったのだ。おまえの料理人は料理が殊更得意ではないと言う。そのようなものに、見目も味も量も質もすべて劣る……そんなものを作る料理人が、玄人のわけがない。謀ったのだ! この! 白館を!」 「興奮するな、五月蝿い。おまえが契約者じゃないのなら、言葉の行き違いもあるだろう。召喚術の通訳は、万全ではない」  とはいえ、まぁ……謀ったのだろう。気持ちは理解できるが、この流れはいささかまずい。  シェルファは阿呆だ。そして馬鹿だ。白館の仕事においては筒がなく回す器量があるくせに、性格に難がある。とにかくプライドが高い。そして馬鹿にされることと、嘘を嫌う。  俺たちは代々、殺し合って数を減らしてきた愚鈍な種族だった。文字、宗教、謀略……いままで種を減らす元凶となったものを憎み、禁じたのは高貴な馬鹿どもだ。  白も黒も、身分が高ければ高いほど禁忌を嫌う傾向がある。  要するに、嘘が嫌いなのだ。  ……だがな、シェルファ。言葉もわからぬ、友も居ない。そんな場所に唐突に呼び出され、なにか為せさもなくばもう一度死ね、などと言う方がおかしい。どうしておまえは、その気持ちに寄り添えないんだ? 「もうよい、殺せ。もう、用はない。食事の製法はすべて把握しているだろう。此方にはもう必要はない」 「えっ……こ……!?」  シェルファの言葉は、翻訳されていないのだろう。  不安げにあたりを見回す料理人の代わりに、声を上げたのはハルイだった。 「なんだ、黒の料理人。なにか此方に言いたいことでも? 其方には関係のない話ぞ」 「いや、まぁ、そうだけど、でもほらおれが勝たなかったら、その人いきなり死ねとか言われなかったわけでしょ!?」 「まぁ、そういうことになるわなぁ……どうした? 同情か? なら代わりに其方が死ぬか?」 「死なねーよなんでだよヒトの命なんだと思っ……っあー! くそ! 召喚獣! クソみたいな扱い! すぎんだろ!」  全くだ。  その通りすぎて俺も何も言えない。本来はシェルファのような態度が当たり前なのだ。宵闇亭はこの世界の生ぬるい例外だと笑う、レルドの声が蘇る。 「ゼノさま……っ」  ハルイが手を握る。泣きそうな顔でおれを見る。やめろ、痛ましくて俺の方が辛くなるだろうが。 「おれ……おれさぁ、正直他人に同情とかする余裕なんかないし、別にすげー親切なわけじゃねーよ。でもさ、だって、あのひと……おれが居なかったら、こんなことになんなかった。……おれのせいで、死ぬんじゃん」  それはさすがに、きつい。と、ハルイは絞り出すように声にした。  そんなことはない、とは言えなかった。  勝負を提案したのは白館だ。しかしハルイはその勝負に乗った。そして勝った。元を正せば俺がハルイを召喚したから。さらにその元といえば白館が料理などという文化を世に知らしめたからだが……たしかに、ハルイが居なければ、奪われる命はなかった。そう言わざるを得ない。  きちんと言葉にできてえらいな、という気持ちと、もういいわかったから、という気持ち。背中を叩く俺の手から、そのどちらも伝わっているだろうか。伝わっているといい、と思う。 「ゼノさま、すいません。……あの人、助けてあげてください。おれ、負けでいいから」 「わかった。……そんなしょげた顔をするな。どうせ俺は、今期のノルマをこなすつもりで来ているからな」 「…………ぬか喜びさせちゃってすいません……でも……」 「いい。気にするな。俺もさすがに目に余る」  ハルイの頭をなでる。わかったから、と力を込める。ごめんなさい、と謝る必要などない。俺だって見知らぬ奴でも、たった二人の同族が死ぬのはごめんだと想像できる。  シェルファを呼び、ハルイの負けでいいと告げる。そのかわり、その男を今後も料理人として雇えと言えば、非常に嫌な顔をしたものの『条件ならば仕方ない』となんとか言わせることができた。  今は状況がわからない料理人も、そのうちに通訳の召喚士から、ことの顛末を聞くことだろう。その時にいっそ死にたかったと恨まれるか、感謝されるかはわからない。わからないが、ハルイは最善の選択をした。俺はそう思う。  さて、手を繋いで帰るつもりでいたが……。 「リットン、すまないがハルイを宵闇亭まで送ってくれ」  こうなってしまえば、仕方ない。さっさと終わらせるしかない。  気持ちを入れ替え、俯くハルイの顔を無理に持ち上げる。  ……なんて顔をしているんだ、おまえ……。そんな顔をされたら、俺は調子に乗ってしまう。 「店の事はユサザキに、特に群青の事はフールーに任せてある。今頃メイディーが一人で焦っている頃だろう、早く帰って手伝ってやれ。すまないが、三の間の扉が開きにくい件、ダールトンに確認しておいてもらえると助かる。言ったかどうか覚えていない」 「……やっぱメモシステム採用しましょうよ。ゼノさまとダーさん、いっつもおんなじ事おれに言付けしてくんだけど……」  敢えていつも通りに言葉を返しているつもりなのだろう。だが、言葉の端が震えている。俺のシャツを掴む手に、力が入りすぎていて、若干痛い。 「今から文字を覚えるよりおまえに言ったほうが早い。すぐに走ってくれる素晴らしい伝言係だ」 「おれは厨房担当なのー……」 「あとそれから、」 「まだあんの?」 「まぁ聞け、大事なことだ。帰ったらおまえを抱く」 「…………、……っ」  息を呑む、その顔のなんと可愛らしいことか。 「疲れていようが夜だろうが昼だろうが知るか。いいか、抱くぞ。いいな? ……だから、そんな顔をするな」 「……行かないで、って、言いてぇー……」 「言わないおまえが好きだよ」 「なにそれ、ずっる……ばか……すかし……」 「かわいい暴言は帰ったら存分に聞く。だから、ほら、離せ。……行ってくる」  ハルイは好きだとは言わない。待っているとも、抱いてほしいとも言わない。だからと言って嫌だとかやめろとも言わない。  けれど俺の左手の指輪にキスを落とし、濡れたような声で『行ってらっしゃい』と言ってくれた。  今は、それで十分だった。

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