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麗し芳し宵闇亭:03 リットン
「いいひとなのは……わかるんです、けど……」
僕の言葉を受けて苦笑いを零すのはハルイくんで、わははと元気に笑ってくださるのはイエリヒ召喚士だった。
すっかり通いなれた宵闇亭の、すっかり慣れてしまった厨房の中。なにかお手伝いを、といういつものセリフを口にした僕に与えられたのは、花を分解する仕事だった。
皆で山ほど収穫した花は、麻袋に入れられてそこかしこに積み上げてある。宵闇亭は花の匂いでいっぱいだ。
男三人、厨房の端で椅子に座り、ちまちまと花びらをむしっていく。
作業自体は楽なのだけれど、いつもの五倍くらいは疲れているような気がする。きっと、気のせいじゃないと思うし、原因は花狩りっていうよりも、思う存分僕とハルイくんを質問攻めにしたミノトさんのせいだと思う……。
ちなみに彼も手伝いたがっていたけれど、適材適所だとフールーさんに連れていかれて今は中庭に居る筈だ。なんとなく助けられたような気がする。ていうかなんで僕はあの人に気に入られたのかさっぱりわからない。僕は召喚獣ではないのに。
「ミノトさんね~まあ、言っちゃえば変な人ですからねぇ。敏感に感じ取ったんじゃないでしょうかね、リットンの変な人オーラを」「え。同類だと思われた的なこと……? ていうか僕は、あの、皆さんに変な人だと思われているんです!? え……え!?」
「いやぁ、どっからどうみても変人でしょうに。灰の種族で、宵闇亭の表ではなく裏が大好き! なんて相当珍しいでしょう」
……そう言われると確かに、あまり、反論ができない。
僕は娼館に興味がない。正直に言ってしまえば女性が苦手なのだが、勿論宵闇亭の群青は女性ばかりではないし、僕のような灰に合わせた召喚獣もたぶん、たくさんいるのだろう。
そうは思うものの、なんというか、そういう行為をしたいという感覚がとにかく薄く、結局『宵闇亭に興味を持たない』珍しい灰扱いされてしまうわけだ。
黒館は、灰の種族の精を抜く。白館に招かれない哀れな灰の、溜まった毒を抜く場所だ。
いわば癒しの空間であり、僕もそれは理解しているんだけど……うーん、興味が湧かないものは、やっぱりどうしようもない。そんなことより新しい野菜の構築図式作りたい……と思うし。
みたいな話を言い訳がましくだらだら、零すと、ぺっぺっと花弁をむしっていたハルイくんが首を傾げた。
「なんか、あれっすよね。みんなあんま娼館行くの恥ずかしい、みたいな感覚ないんすね」
僕とイエリヒさんは、顔を見合わせてから同じように首を傾げる。
「恥ずかし……くはない、かな。僕が宵闇亭の表に興味がないのは、単純に女性そのものが得意じゃないってだけだし……」
「白館に招かれて致す行為すら『苦行』って感じですからねぇ。性行為や自慰行為の感覚が、他の世界とは違うかもしれませんね。なんというか、排泄に近いのかも……大っぴらに語るものでもありませんが、別に後ろめたいものでもないかなぁというか。そもそも、こちらの男は定期的に精を抜かないと病気になりますからね」
「え。え!? そうなの!?」
「おや、あなた宵闇亭の従業員なのに知らなかったんです? あー、まあ、料理を作るうえでは特に関係ないですねぇ……ゼノ様、変なところで説明端折るからなぁ……」
というわけでイエリヒさんがハルイくんに説明したのは、灰の種族ならだれもが知っている常識だ。
この世界は魔元素で満ちている。それは我々の活力であり、命の元だ。
しかしこれは体に溜まりすぎると、やがて腐って毒になる。腐らぬうちに、どんどんと外に出さねばならない。
女は生理で、男は射精で外に出す、と、そういう風に教えられるのだ。
「え、じゃあリットンさんは定期的にオナニーし――痛いッ!」
「ハルイ~よろしくないですよ~そりゃ生理現象の解消に関して我々は恥少なめとは言いましたけど、プライバシーっていう概念はあるんですよぅ」
「あ、いえ、大丈夫ですイエリヒさん。僕、そのー生まれつきそういうものが溜まりにくい体質らしくて。実はほとんど無害なんです」
「へ~……女性ホルモン多めですね毛が生えない男、みたいな感じ……?」
「ええと、ほるもん? とかいうのはわかんないけど、そういう特殊体質も、僕以外にも若干いるみたいだし」
「はー。それは確かに、興味もなくなるでしょうね。娯楽として楽しむには少々お高いですもんねぇ宵闇亭は特に」
「……あれ? イエリヒさんてリットンさんちに入り浸りなんでしょ? ほぼ暮らしてるみたいなもんだって聞いたけど。リットンさんの体質、知らなかったの?」
「ハルイ~ですから~プライバシーって概念はあるんですよ~」
「いたたたたた!」
何度も頬を抓られて、確かに痛そうだ。でも、二人と話していると、とてもホッとする。
僕はあまり、他人が得意ではない。そんな僕が新しく友人と言えるものを手に入れることができたのだから、宵闇亭自体にはとても感謝していた。
他人は相変わらず得意じゃないけど。……特に、ぐいぐい来るタイプは若干苦手だ。というか、どんなタイプだろうが初見はどうしても緊張が先に立つ。
イエリヒさんときちんと緊張せずに話せるようになったのも、本当に最近のことだ。
いや、あの、今は別の意味でずっと緊張はしているのだけれど! その話は、置いておくとして!
「しっかしギャリオさん、懐かしいですね~わたしあんまりエンカウントしないんですよね~。いつでも~辛口~ギャリオさん~わたしが召喚~したんですけどね~」
「あ、そうなんだ……でもあの人、結構サラッと順応したんじゃ? できる男っぽかったし」
「いやぁ~そうでもないですよ。ていうか相当大変でしたね。わたしもあまり召喚に慣れていない駆け出しの頃でしたし、何より彼、言葉を必要としない種族だったので――」
「……なにて?」
「コミュニケーションに言葉を介さない種族ですよ。まあ、そりゃいますよ、そういう文化の方も。こちらとしては似たような見た目、似たような文化圏、似たような言語感覚の者を優先的に召喚したい! とは思っていますがなんとこれ博打なので。だから当然、いろんな方がいらっしゃいます。読心系の種だとね、うふふ、大変なんですよー何と言ってもあちらはこちらの心を読めたとしても、こちらは何もわからない」
「あー……そうか……頭の中の気持ち自体で会話できちゃえば、声や言葉が、退化することもあるんですね……」
「リットンお聡いー。まったくその通りです。必要ありませんからね、言葉なんて。直接やり取りできるなら必要ない。でも、わたしたちは言葉と声の文化なんです。なんと文字もない。これはもう、喋って貰わないと困るんですよね」
「……え、ギャリオさん、めちゃくちゃ普通に喋ってたけど」
「叩き込んだんですよ~~~いやぁ思い出したくないあれは史上最悪の戦いでした。思い出したくないので封印します。別の話をしましょう」
「つか、じゃあ、ギャリオさんは心の中読めるってこと?」
「別の~話を~しましょうと言っているのにぃ~ハルイ~~~」
恨めしそうなイエリヒさんには悪いが、僕も少し気になる。二人で話の先を急かすと、イエリヒさんは珍しく少々嫌そうに眉を落とした。
「ええ、まあ、うん、はい。そうですね、ギャリオさんは心を読めます……というか、勝手に人の感情がわかってしまう、って感じでしょうかね? 彼、匂いでわかっちゃうんですよ。感情が」
「匂い……あー……それで、あのガスマスクしてんの……」
「あれ、宵闇亭ダールトン製なんですよ~。アレをつけていると随分と楽なんだそうですが、そうでもしなければ匂いの洪水で頭が狂うと言ってましたね。感情の匂い、というものがどんなものか、わたしには想像もつきませんが」
「まあ、芳しくて気持ちいいって感じの匂いじゃねーよ」
スパン、と頭の上から降って来た言葉に、三人が同時にびっくりして飛び跳ねてしまった。
声の主は厨房の入り口に立つ、顔面マスクの人だ。
ハルイくんより、イエリヒさんよりも細く見える。それなのに背は高いから、ちぐはぐで少し怖い。
「イエリヒ~~~本人のいないところでする噂なんつーか知ってっか陰口っつーんだぞーつかおまえやっとトモダチできたの? マジで? 良かったなおめでとう?」
「ムキィーわたしにだってトモダチくらい居ますからぁと言えないところが本当に腹立たしいです! わたしは! あなたが! 苦手です!」
「知ってるよばーか。オレはてめーのその無駄に素直なとこ割と好きだよ」
ふらっと近寄って来た彼は、僕の方を見て顔を傾げる。
「アンタがリットン? ユサザキが中庭の木を伐りたいから手伝ってくれって名指しだよ。行ってやんな」
「えっ、あ、はい!」
なんと、彼は僕に用件を告げに来ただけらしい。ていうか木……? 木を切るって言った? え、どれを……? いや、確かに宵闇亭の従業員はみんな線が細いし、ゼノ様ですらわりと細いし、力仕事は任せてくださいと胸を張った過去はあるけど、木を……切る……?
と、廊下に出てからいささか不安になった僕の背中を、トン、と叩いたのは、いつの間にか隣に立っていたギャリオさんだ。
ヒイ。びっくりした。
普通にびっくりしたし、この人、なんか妙に気配がない。
「腕力で切るわけじゃねーみたいだぞ。なんか、切る道具はあんだけど、支える奴がほしいんだそうだ」
びっくりした後に『感情を嗅ぎとる』という、イエリヒさんの言葉を思い出す。今の言葉は明確に、僕の言葉にしていない思考についてのレスポンスだったからだ。その事実に、つい、肩が強張る。
……僕は、その、あまり他人に対して強い言葉を使うような人間ではない、という自負はあれど、清廉潔白だと胸を張れるだろうか。こんなことを考えている事自体が、とても、失礼なことなのではないだろうか。
「……いや、別にそれが普通だから落ち着け。安心しろ、緊張して当たり前だ」
え、あ、そうなんだ……?
そっか、うん、それは少し安心する言葉だ。少なくとも、僕は彼の気分を害してはいないらしい。
「つかアンタ、クソ程良い奴だなオレの方が不安になるな……。さっきミノトに絡まれたんだろ。悪かったな、アレは誰に対しても十割好意で押しきるとこがあるから、まあ、そういう災害だと思って仲良くしてやってくれ」
「あ、はい……その、僕こそあまり、こう、コミュニケーション能力が高くなくて御不快にしてしまうかも、しれないんですが……」
「アイツもオレも、この屋敷で御不快になった事なんかねーから、まぁ大丈夫だろ。ああ、それと、これはただの雑談なんだが、安心しろ。あの鈍感馬鹿召喚士、アンタのソレに微塵も気づいてねーから」
「………………」
ソレ、と言われて胸のあたりを親指で指し示される。
何の話だ、と訊きそうになり、いや、違うこれ、結構大事な話だと気が付き、うわぁ……という気持ちと供にしゃがみ込みそうになる。ちょっと踏ん張ってしまった。あと顔を覆ってしまった。
恥ずかしい。しんどい。でもちょっと安心した。よかった。いや、良かった……のか……?
「アンタも物好きだな。ま、宵闇亭に関わる奴なんか全員物好きしかいねーわな。まー顔はそれなり……あー、顔しか褒めるとこなくねーか……?」
「いや、その、他にもあります、けど、あのギャリオさんこの話はどうかご内密に……」
「言いふらすわけねーだろこちとら客の自覚はあんだよ。いつもだったらスルーすんだけどさ、流石に不躾すぎる自覚はあっからよー。でもあんたが良い奴だったから、腐れ縁のオレから助言しとこうと思ってさ」
「じょげん」
「アンタ、体質的に毒が溜まりにくいっぽいけどな、操立てしてっと体にわりーぞ。いつ不調になるかわかんねーしな。さっさと丸め込んじまえ、アイツはアンタが思うよか馬鹿だ。押せば倒れる。押せ。全力で行け」
断定された……。
ええ……そうなのかな……というか僕は、押して良かったのだろうか。
せっかくの友情、せっかくの友人。そう思って何度も立ち止まった気持ちが、少しだけ前を向く。
勝手に僕の事情を読み取り、勝手に助言をぶちかましたギャリオさんは、無責任にじゃあそういうことで中庭はよ行ったれ、と手を上げて颯爽と歩き出してしまった。
ひょろりとした猫背の彼は、ふらっふらと宵闇亭の中を歩く。
「げ! ギャリオじゃん!?」
途中、山ほど花を抱えたカザナさんとぶつかりそうになって、しばし足を止めた彼の背中は、なんだかちょっとご機嫌っぽかった。
「よう、同類。元気だったか?」
「一緒にすんな読心型変態野郎!」
「オレのどこに変態要素があんだよ暴言が雑なんだよ主体性ナメクジ女ァ」
……なんかすごい暴言のやり取りしてるけど、いや、あれは仲がいいんだよな? と思うことにする。うん。そうに違いない。
というかギャリオさんて。
「……もしかしなくても……いい人……だな……?」
そんな事実に気が付き、僕は少しだけ重かった気持ちがふと軽くなったような気がした。
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