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麗し芳し宵闇亭:05 ハルイ

 特に関心がなかったものだって、世界から消えちまえばなんとなく懐かしくなるもんだ。  砂糖の時にそう思ったもんだけど、いざ目の前にジャーン、と登場した弦楽器らしきものを見て咄嗟に懐かしい! と思ってしまった。  そう、懐かしい。なぜならばこの世界、歌はあるくせに楽器がないのだ。 「……すっげー! ちゃんと! 音楽じゃん!」  器用に弦を弾く演奏を終えたミノトさんに、パチパチと最大限の拍手を送る。  昼過ぎ、まったりと暗い宵闇亭の中庭のベンチ。  花がすっかり刈り取られた庭は、いつの間にかユサザキさんの手によってスッキリ整えられていた。今や香油づくりのせいで充満する花の匂いから逃れられるのは、中庭だけだ。  あとは執務室もわりと匂い少な目だったけど、あそこはゼノさまがせっせと仕事してることが多いしなぁ。レート計算とか、これ幸いと計算作業に巻き込まれるし、ぼんやりとお茶するような場所じゃないし。  みんなは華やかでいいじゃないのって言うけれど、おれはやっぱ『メシの時くらいは花の匂いはちょっと』と思ってしまう。和食は特に強い匂いもないから、日本人特有の感覚なのかも? 強い匂いの花をテーブルに飾るのはマナー違反! みたいなの、どっかで見たような気もする。  花の匂いはそりゃあ、華やかだと思うよ?  思うけど、どうしても、トイレの芳香剤のイメージがとれねーんだよおれは……うーん、これも日本人特有かなぁ……。  なんてどうでもいいことを考えつつ、おれが逃げ出してきた中庭には先客が居て、ポロンポロンと音楽を奏でていたわけだ。  演奏を終えたミノトさんは照れくさそうに頭を掻き、素人なりに頑張って覚えたんだ、と笑う。 「私は楽器を知らないからね、どうにか楽器職人の召喚獣に頼んで、一番簡単な曲を教わったんだ。これでも、本物の演奏に比べれば、子供の悪戯のような腕前だ」 「いやすげーっすよ。おれのとこ、似たような楽器あるから、これ割とめんどうくせーの知ってます」 「なるほど、ハルイくんの世界はとても高度な文明があったんだね。音楽と叙事詩と宗教は、やはりそれなりの言語と社会性がないと発生しない……と、お師さんは言っていたなぁ」 「お師さん?」 「ん? ああ、外来異物塔のレルド様だよ。私は昔、そうだね、今の職業を名乗るより前はずっと、お師さんと一緒に召喚獣の研究をしていたからね」 「……え。初耳」  全部初耳すぎて正直楽器どころじゃなくなった。なんだそのおもしろそうかつ、重そうな話は。  昔は、ということはその研究は結局成し遂げられなかったということだ。だって今のレルドさまは、まるで隠居した老人のように振舞っている。  ガラクタ守の変人レルド。そう言う風に自嘲気味に笑うあの人は、知識は悪だから気をつけなさい、とよく口にする。  それってつまり――。 「まあ、研究は結局、頓挫してしまったのだけれどね」  ……まあ、そういうことだろう。  知識は悪だ。耳にタコができるくらいレルドさまが繰り返す言葉は、たぶん、この世界への捨て台詞なんだろう。  日本っつーか地球では、勉強してる方がえらいっつーか、知識はつけてなんぼみたいなとこあったじゃん?  馬鹿でも怒られたりはしないけど。色々知っている方がなんとなく得も多いイメージだ。  それなのにこの世界は『知ることは罪だ』と言う。  前世のノリで何故なぜどうして? と軽くつっこむと、レルドさまもゼノさまも困ったようにはぐらかす。そんな世界で正々堂々と『研究』なんてものが出来たのか。相当前の話なんだろうか。……そうだとしても、たぶん、苦ばっかりの日々だったんだろうなぁという予想はつく。  ちょっと気になるけど、深く突っ込んだら失礼な感じかなぁ。  なんてことを考えていたおれはふと、ミノトさんにじーっと見つめられていたことに気づくのが遅れた。 「なんすか。……え、顔に食いカスとかついてる? それとも変な寝癖ついてる? 変な寝癖あるなら、昨日断固腕枕を主張したこの館の主人のせいだと思います」 「いやぁ、寝癖も食べ物もついていないが、きみは……黒館様と、随分気やすい関係だと聞いたのは、本当なのだねぇ」 「あー……うん、まぁ。それなり、に?」 「ふふ。きみの種は、照れると赤が差すんだね」 「お、ジゴロ今日も元気だなオイ。あんまナチュラルに口説いてくるとギャリオさんにチクりますよ?」 「うっ……く、口説いている、つもりはない、のだけれど……」  まぁ、素なんだろうけどよ。  よくよく考えたら、この世界には恋愛の駆け引きなんてもんほとんどないはずだ。  恋がない。愛がないとは言わないけれど、恋人を目指す駆け引きがないのなら、口説き文句だって存在しないだろう。  だからミノトさんがポロポロこぼす甘い言葉は、単純にミノトさんのキャラっつーか、良い人ゆえに口から出ちゃうシンプルな賛美なんだろう。  この世界ではそれでいいかもだけど、召喚獣相手だとちょっとまずくない? 大丈夫? なんて他人事ながら心配になっちまうのは、この人がどう見ても不器用だからだ。  うーんなんだろ……リットンさんみがあんだよな……。  見た目が似てるわけじゃない。リットンさんは田舎の農業系大学で牛の世話とかしてそうだけど、ミノトさんは都会の経済学部ってかんじだ。高卒のおれのド偏見である。  外見は違えど、二人ともなんつーか、素直すぎて生きにくそう。世の中ってやつはイエリヒさんくらいひねくれていた方が楽に渡れるもんなんだ。 「私の言葉が、きみにとって不快だったのならば謝りたい。まったく他意などなく、純粋に美しいものを誉めたい、という欲求に従っただけなんだ……!」 「はいはい、わかってる大丈夫、察してます。だから手を握んのやめてくださいおれの彼氏が超気にすっから」 「はッ! ま、またやってしまった……すまない、興奮するとつい……というか、黒館様はそうか、きみに触れた者に難色を示すのか……」 「あー、いや、別に下心なきゃミノトさんが怒られることはねーと思うよ? 『単純にお前が触れられる事が不快だこれは俺の我儘だ』とか言うと思うけど。つーかミノトさんはギャリオさんが誰かにぎゅーってされたら嫌じゃねーの?」 「…………な、なぜ?」 「え。だって好きなんでしょ?」 「………………」  この時の目の前の男の反応を、できれば携帯カメラで収めておきたかったなぁ、と思う。失った文明を、恋しく思う瞬間だ。  ミノトさんはその綺麗な目を驚愕! って感じにかっ開いてから、固まった表情のままぐわーっと赤くなる。  ゼノさまの血はちょっと黒っぽい赤だけど、灰の人たちは人間と近い血の色なのかもなぁ。いつのまにかミノトさんの顔は、火を吹きそうなほど真っ赤だ。 「…………え、もしかして、バレてないこと前提でした……?」 「………………その……ギャリオには、私の気持ちを隠しておく事はできない、と、承知しているが……まさか……そんなに私はわかりやすいのかな……?」 「まぁ、うん、どう見ても好きじゃん、みたいな……」 「そうかぁ……どう見ても……」 「ていうかまさか、ミノトさん、告白してない……?」 「…………バレているとは思うが言葉で彼を求めたことは、その、ないんだ……そうか、私はそんなにアレなのか……ううう恥ずかしい棚の隙間に挟まりたい……」  穴があったら入りたい的な慣用句か? あんた隙間に収まるようなコンパクトなサイズじゃなかろうよ。 「でもさ、召喚獣と恋人関係になる人もいるんでしょ? 別に男女じゃなくてもあんま気にしないみたいなの、聞いたことあるし」 「ああ、うん、まぁ……聞かない話ではないね。けれど私はそのー……灰の種族として、召喚獣に対して特別な関係を迫るのは、その、強要に近しいものがあるのではないか、という思いが、あり……」  あー。なるほど、身分差的なお悩みか。  まぁ、放り出されたら大変だぞ! ってあんだけ刷り込まれてるおれだって、ゼノさまに嫌われたらやべーんじゃ? くらいの想像はできる。  たしかに普通の召喚獣は、『ご主人様にある程度逆らえない』みたいな感じなのかも。  いやでも、ギャリオさんが普通かどうかっつたら、普通じゃないと思うけどな……。どう考えてもあの人、ミノトさんよか強いだろ。召喚獣としては珍しく人権を与えられてますみたいな話、イエリヒさんがしていたはずだ。  あの人、嫌なら嫌って言うだろ。絶対好かれてんだろ。  と、思うものの、おれが背中を押していいものか。おれ、この世界の恋愛感覚初心者だしなぁ。もしかしてフールーさんとか、あの辺に相談した方がいいんじゃ? ユツナキちゃんさんは参考にならなそうだけど、群青はわりとみんなコイバナがお好きーー。 「いたーーーー! ミノトちゃん! はっけん!」  おれの思考を遮ったのは、ドーン、と響いた声だ。  その後に駆けつけてきたのは、いま一番特に求めてないあわてんぼうハプニング美女、ユツナキちゃんさんだった。  おう……。あれだ、その、この人まじでトラブルの匂いを嗅ぎつけてるのか? って思う時あるよね……。  まだ少し赤さの残る顔に笑顔を咲かせ、ミノトさんはユツナキちゃんさんに向かってさっと立って膝を下げる。うーんジェントル。おれなら若干きゅんとするに違いない完璧な紳士だ。 「やぁ、ユツナキさん。今日も麗し――」 「ミノトちゃんあのね、あのね私、謝りにきたの……! ミノトちゃんが困ってると思って余計なことしちゃったのね、悪いことだったのね、ルーちゃんとゼノ様とザキちゃんにたくさん怒られて、うう……でも! 私が悪いのだものッ!」 「一体何の――」 「昨日はいきなりチューしちゃってごめんなさい! 私、少しでもミノトちゃんの具合が良くなればと思って……! 私の役目じゃなかったのね、ほんとうにごめんなさい! うわーん反省してるわ本当よだから嫌いになっちゃいやーよ……!」 「ええと……」 「キニシテナイヨーって言ってやんな。ソイツぁ、『ヨシ』を貰えるまで納得しねーペットみたいなもんだぜー」  ふらり、と声が降ってくる。  気がつけばおれの横にはガスマスクのおにーさんがぬうっと立っていて、普通にビビりすぎて『ヒィ』みたいな声が出ちまった。  っくりした。この人ほんと、気配がない。  ギャリオさんの助言通り、ユツナキちゃんさんに縋り付かれたミノトさんは、気にしていない大丈夫だからと繰り返す。  やっとユツナキちゃんさんを納得させ、その背中を見送ったミノトさんは、ぐったりとベンチに寄りかかり軽い息を吐いた。  この人が疲弊している顔、初めて見たかも。ユツナキちゃんさんの扱いは慣れてても大変だ。お察しします。 「彼女はなんというか、元気だね……エネルギーの塊といった感じかなぁ。――ギャリオ、街を見てくるんじゃなかったの?」 「部屋が空いたっつーから、切り上げてきたんだよ。よう、料理人、うちの奴の相手ご苦労様だ。厨房、花まみれにしてわりーな。まあ、もうちょいの辛抱だ、耐えてくれ」 「……文句まで全部バレちゃうの、なんか申し訳ねーっす」 「気にすんな、全部口にしちまうオレが悪いって思っとけ」  相変わらずぶっきらぼうに言葉を投げる人だ。でも、嫌味な感じは一切しない。  カザナパイセンはこの人のことが苦手らしい。フールーさんは個人的な感想はありません、と言っていた。ユツナキちゃんさんは大体どんな人でもだいすき以外の感情持たないから置いとくとして……おれは今のところ、ギャリオさんのこと割と好きだ。 「…………ギャリオさんてさ、」 「うん?」 「言葉を聞きながら感情を嗅ぐんでしょ? それって、どんな感じ?」  おれが聞いてわかるのか知らねえけど、ちょっと気になってたことだ。  実はギャリオさんとは、ゆっくり話す機会があんまりない。  ミノトさんはその辺をふらふらしてよく群青につかまっているけど、ギャリオさんはゼノさまに個人的に頼まれた『仕事』があるらしく、あんまり暇そうにしている時間がないのだ。  次に会えるのは、いつになるのかわからない。そう思って、疑問を口にする。おれは宵闇亭から出ることは少ないから、出会いは割と貴重なんだ。  ちょっとだけ口ごもったギャリオさんは、考えるように腕を組む。ガスマスクのせいで全然顔は見えないけれど、たぶん、顔を顰めて唸っているんだろう。そんな感じがする。 「あー……なんつーかなぁ。言葉なんてもんは感情そのままストレートなわけがねーんだよ。これの意味はわかるか?」 「はあ、まあ、なんとなく」 「オレの世界では、言葉はなかった。口はただ飯を食うための道具だった。だがここは違う。おまえんとこもそうだったと思うが、口で話して耳で聞かなきゃ誰とも意思の疎通なんざできやしねぇ面倒くせぇ頭がいてぇ、今でもたまに嫌になる。ハルイ、おまえの世界には文字って奴、あったか?」 「おん? うん、はい。ありました」 「文字があんだろ? なんでもいい、思い浮かべろ。その横に、本来の読み方じゃねぇカナが振ってある。耳に入る言葉が全部それだと思え。さて、おまえはどう思う?」 「……面倒くせぇ……」 「ソレ」  ずっとそんな感じだよ。  からりと苦笑いじみた声を零したガスマスクメンは、じゃあなミノト貰ってくぜとひらひらと手を振る。  ちょっと足を引きずりながらついていくミノトさんも、優しい顔で手を振ってくれる。その後ろ姿を見ながら。 「…………面倒くせえけど、嫌じゃないのか」  だから、きっとここで生きているんだろう。  たぶん、ギャリオさんが生きている理由って、ミノトさんなんじゃないかな。……わからんけど。そんな、たいそうなことじゃないのかもしれないけど。  でもなんとなく、あの二人にもおれの知らない物語がたくさんあるんだろうな、と思って、ちょっとだけわくわくした。

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