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麗し芳し宵闇亭:06 ギャリオ
オレの二人目の主人は、嘘のつけない男だった。
はじめましてと挨拶した瞬間から、ミノトの言葉は笑えるくらいに正直だった。
その頃にはもう、言葉の聞き方のコツみたいなもんを取得していたオレは、いやコイツ逆にすげーな? と三日くらいは悠に呆れた。裏表が無いにも程がある。要するにそれはこの世界では『馬鹿』ってことだ。
馬鹿みたいに正直で、馬鹿みたいに加減ができない。馬鹿じゃん。そう、ミノトは性格が良すぎるただの馬鹿なのだ。
頭はいい癖に、なんでか言葉に関してはどストレートすぎて、一見どうしてただの馬鹿だ。
ただしオレもこの世界は初心者なわけで、ミノトには随分と助けられたもんだ。
まぁ、そりゃ、色々ありますよ。
オレは召喚獣の中でも珍しい読心型。他人の心を嗅ぎ、言葉の嘘を暴く男だ。その上、それなりの財を生み出す『調香師』の職を入手済みときたもんだ。
いくらご主人様がぴったり横に張り付いていても、いくら後家人が宵闇亭でも、阿保と馬鹿(これはミノトが馬鹿だっつーのとは別の文脈の『馬鹿』だ)は山ほどいる。
知識を遠ざけ教養を捨てた世界だ。
特にプライドすら常から踏み躙られている灰なんざ、明日の昼飯の事くらいしか考えていない奴がごまんといる。
オレに手を出したらどうなるとか、オレを奪ったあとにどうするとか、そんな事まで考えちゃいない。
推して知るべし、中々壮絶な旅路なわけだ。
言うて、こちとら二度目の無駄な人生だ。
死んだら死んだでそれまで。せっかく覚えた言葉はもったいねーし叩き込んで下さった奴らには申し訳ねーが、まぁ、山ほど作った香油の価値で相殺してほしい。
そんな感じでふらふらと旅を続けているもんだから、ミノトにしてみりゃ心労が絶えない事だろう、ふはは、いやー……そこは申し訳ないとは思うわ。うん。
悪いとは思っている。だからオレは、別にいつ死んでもいいとかそんなに命は惜しくないとか、そういう本心はできるだけ隠す。覚えたての嘘をつく。それはひとえに、オレの隣の馬鹿の為だ。
いやぁ、最近は、明日死ぬのはちょっと困るな、くらいには思ってるよ。本当だって。だってさ、明日死んだら馬鹿が泣くだろうがよ。
……それにしても、馬鹿だ馬鹿だと思っていたが本当に大馬鹿だったとは思わなかった。
ミノトは馬鹿だ。それは『馬鹿正直』の馬鹿であって、決して頭の悪さじゃない。ミノトは世界の摂理を理解している。召喚獣の、そして自分たち灰の種族の構造を、生活を、便と不便を理解している。そのはずだ。
だからてっきりオレは、まぁオレの知らん間に適当に精抜きしてんだろ、と信じていた。ミノトは、馬鹿だけど無知ではないからだ。
「と思ってたのによぉ~、まさか誰ともヤッてねーとかマジのマジで何なんだよお前ー」
宵闇亭の一室。オレがミノトを引っ張って来たのは、群青が仕事をこなす部屋のうちひとつだ。
宵闇亭では、料理人の部屋を借りて寝起きしている。だが、流石に他人の寝床でそーゆーのはなぁ……というオレのささやかな我儘を、黒館様は優しく聞き入れてくださったっつーわけだ。
特別に貸し出してもらった一室は、すでに薬香が焚かれている。
手を引かれて部屋に突っ込まれた馬鹿は、部屋の中央の寝台を見て初めて、オレの意図に思い当たったらしい。馬鹿だ、馬鹿すぎていっそ愛おしい。
マスクを取っても、オレの鼻は薬香に完全に潰されることはない。普通の奴なら、二日くらいは匂いを感じることができない筈だが、オレにとっては『うーんまあ多少は息がしやすいわなぁ』くらいのものだ。
それでも、無いよりはずっといい。ずっとマシだ。
うっすらと香るのは、ここ数日館に満ちる花の香。客の欲望と、群青の雑多な情。それと、緊張と焦燥と不安と少々の劣情。
ミノトを笑うことはしねーよ。オレだって、ミノトと同じ匂いを放っている筈だ。
足を引きずったミノトは、逃げようとして失敗する。
オレに手を握られて、引っ張られて、放り投げられて、寝台に尻もちをつく。
お前がオレに対してはひどく弱いことを、残念ながらオレは知り尽くしている。
「ギャリオ、その、これは一体……っ」
「これもそれもねーよ見りゃわかんだろ、夜伽だよ」
「よ……っ」
「一々絶句すんな面倒くせえ。お前が足引きずってんのまさか気づいてねーと思ってんの? んなわけねーよな? なぁ、ばっかじゃねーの? 一目ぼれした召喚獣に操立てして精溜めまくって毒になる手前とかさぁ……不器用にもほどがあんだろ。つかお前がオレのことだーいすきなのはバレッバレなんだからよ、さっさと手籠めにしちまえばいいだろ、自分の召喚獣なんだからよ」
「……ギャリオ、私は、」
うるっせーなぁ、と思いながらずりずりと後退る男の腰に乗り上げる。
煩い。口から放つ、耳から入る、音の言葉はひどく煩い。オレの嗅覚を惑わし響く。けれどその煩さが、今は少し心地よい。
「私は……きみを、預かった身だ。勿論己の召喚獣として、何よりも大切に守るつもりで生きている。けれど、きみに、無体を強いるようなことは――」
「いやなんでだよ。なんでオレが嫌がってること前提なんだよ」
「嫌だろう、だって、私もきみも同性であるし……なにより、その、きみは、触れると少し怒るじゃないか……」
「匂いがきついんだっつの。マスクしてても、体臭ってやつぁそこそこ辛いんだよ。別にテメーの身体がくせえってわけじゃねーからな? 誰だろうがオレにとってはきつい。感情も含めてとにかく生き物がきついんだ。だから、ここにきた」
「……宵闇亭に?」
「おう。薬香を備蓄してんの、知ってたからな」
それは、いま部屋に充満している『嗅覚』をマヒさせる特殊な香だ。
「この薬香は相変わらず黒の種族にしか流通してなくって、そんでもって、オレには調合できねぇ。探しても探しても、材料のヒントもつかめねえ有様だ。まあゆっくり見つけようぜって気分だったが、事を急ぐなら話は別だ。いますぐ必要だってんなら、黒館に融通してもらうのが一番はえーからな」
鼻を潰してしまえば、オレはミノトと触れ合える。手をつなぐのだってちょっと顔を顰めてしまうオレも、やっと安心して近づける。
この日を待っていた。
いやさ、別に、いつでもいいと思ってたんだよ、本当は。ミノトの馬鹿野郎が自分の身体傷めつけてまで恋なんかしてなけりゃ、オレだってこんなとこで馬乗りになる事もなかった。いいか、おまえのせいだからな? わかってんのか、本当に?
出会った瞬間から、コイツはオレに恋してやがった。ひとめぼれ。ずどーんと落ちて、そのまま這い上がれない穴みたいな恋情。
最初はうっそだぁ、ばっかだぁ、とマスクの中で笑っていたオレも、次第に笑えなくなっていった。
だってさぁ、コイツ、マジなんだもんよ。
ミノトは本気で恋をしていた。召喚獣のオレに。ほぼ通年マスクを被ったままの顔を見せないオレに。口が悪くて、ふらふらと勝手に歩いてはトラブルを招いて、そんでもって悪びれもしないダメなオレに。
……そんなん、グッと来ちゃうだろうがよ。なあ?
つっても、オレのことが好きすぎて黒館に通わずに身体に毒を溜めまくった件については、普通に切れてるけどな。
半ギレと欲情を隠さずにずいずいと迫るオレに、ミノトも負けじと応戦する。態勢の優位は取ったものの、オレはひょろくてひ弱だ。押し倒された状態なのに腹筋だけで押し返そうとしやがるから、腹立ってきて両手をどうにかひっ捕まえてオレの上着で縛ってやった。ざまあみろ。
「ギャリオ……っ、と、とりあえず話そう……!」
「話したって結論変わんねーだろ。お前はオレ以外とやりたくない。でもやんなきゃやばい。じゃあやるしかねーだろ。あ? なんだ? もしかしてマスクしてた方がお好みだったか?」
「外した方が、お好みだけれども……!」
「んだよそりゃ、初耳だぞ。言えよ」
「……言わなくてもきみは、気づいていただろう……」
へにゃり、と眉を落とすその顔が好きだ。可愛い。最高に愛おしい。
そう思うから、オレは躊躇なくキスをした。
うーん……初めてだからこれで合ってるかわかんねーけど、とりあえず口ン中舐めときゃいいんだろ?
ふはは、すげー匂いがする。でもまあ、このくらいなら、なんとか耐えられる。これなら最後までいけそうだ。
「……言えよ。ちゃんと言え。オレのことが欲しいならそう言え。確かにオレにはバレバレだけどな、言葉って奴の甘さが、オレァ案外気に入ってんだよ」
何か言いたそうな口を、もっかいキスで塞ぐ。
でろでろに舌嘗め回して、口の中ぐっちゃぐちゃにして、気持よすぎて若干どころかかなり興奮してきたところで、縛った両手で押しのけられる。
「……なんだよ。嫌なの?」
「嫌では、ないが、手を、ほどいてほしい。……きみを抱きしめたい」
「ふふ。言えるじゃんかよー」
にやつきながら手の拘束をほどいてやると、すぐに両頬を掴まれて引き寄せられてキスされた。
……発見。自分からするのと、してもらうのは、気持よさと興奮度合いが結構違う。ミノトがキスしてくれてる、と思うとなんつーかこう……っあーだめだ、ふはは、涙出そう!
だってずっと知ってたんだ。
だってずっと待ってたんだ。
しかたねーからこんな風に押し倒しちまったけど、本当はお前から言うの、待ってたんだよ。
「ギャリオ、好きだ。大好きだ」
「んー……ふふふ。知ってた」
「……本当に、きみを抱いてもいいの?」
「あのなぁー何回言わせんだよ。誰のせいで、誰の為だと思ってんだよ。いーからさっさと好きにしろスカポンタン。あー、あとな、オレも好きだ、お前のこと」
「………………初耳、だ……」
「そうだっけ?」
言わなかったっけ? って笑うと、真っ赤になったミノトが思い切りオレを抱きしめた。熱い。可愛い。照れてやんの。匂いでわかる。でも、匂いなんかなくても、体温でわかるわ、こんなん。
「私は、よく、言葉が過ぎるときみに怒られるから、これでも落ち着こうと努力する日々なんだ……確かに私は落ち着きがない。自覚はある」
あっついミノトが、ぎゅうぎゅうと抱きしめながらもごもご喋る。はーかっわいーの、なんて、思いながらにやにやしていたオレは、次の瞬間何故か天井を見ていた。
………………ん?
オレ、なんで押し倒されてんの? いつのまに上下入れ替わったの? は? なに? 何が起こっ――。
「言っていい、とは知らなかったんだ。勿論、きみに私の恋情がバレている事は知っていたが、秘めるべき気持ちだと思っていた。嬉しい。歌いだしそうだ。……ギャリオ、好きだ。きみを構築するすべてが私の好みなんだ」
「待っ……待て待て待て、待て。待てっつってんだろ、言えっつったけど、確かに、言ったけど、そんな一気に全部垂れ流せとは……」
「言いたい。ずっと、思うだけだった。それだってキミには筒抜けだっただろう」
「いや言うてそんな言葉程繊細に伝わってこねーよ!」
「ならば尚のこときちんと伝えたい。そうだな、まずは顔の……どうして隠してしまうんだ? それじゃあ指の端から行こうか。ところで、ええと……脱がしても?」
「……もう勝手にしろ……」
耳から溶けて死ぬんじゃねーか……。
しかし『言えよ』とか格好つけた手前、やっぱやめてくださいとは言えないだろこれ……。誰だよ言葉が好きだとか抜かしたのはオレだよ馬鹿かよ。あれだ、一緒に居ると似てくるってどっかの群青が言ってたよな、たぶんアレだ。
馬鹿の馬鹿が移って、オレも馬鹿になっちまったに違いない。
馬鹿だから仕方ない。色事に、恋に、理性を忘れちまっても仕方ない。だって馬鹿だからさ、オレたち。
丁寧に丁寧にオレの手袋を脱がして小指の爪から順番にキスを落とす馬鹿野郎に腰をこすり付け、焦らすな馬鹿とかわいくねーおねだりかましたあたりまでは記憶がある。
あとはぶっ飛んでて覚えていない。
ただ、笑える程甘い言葉と甘い感情にまみれて、泣くほど幸福だったことだけは確かだった。
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