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第1話「開廷」

「どうして泣いてるの」  ヒトは、日々いろいろな悩みを抱え生きている。中学3年生のヒサシの場合、今手にしている青い袋が大いに惑わせていた。中身がチョコレートであることをヒサシのみが知っている。そしてそのチョコレートが本人の手作りであることも、彼しか知らない事実であった。  きっかけは実に衝動的なものであった。正月の雰囲気が失せたデパートに突如湧いたバレンタインの気配。一度は節分という催事が表に出るものの、有名な菓子メーカーが売り場を占拠している期間は、彼にとっては長く感じられた。板チョコを掲げた若手の女優が吹き出しを駆使して言うことには 「初恋、最後の恋にしよ♡」  たった一つの言葉にヒサシはいたたまれなくなる。意図せず女生徒の下着を見てしまったような羞恥心に近いものがあった。ここは自分が長居してはいけない場所だと足早にエスカレーターへ向かう。ゆっくり二階に上昇する身とは違い、気分は重く沈殿したままであった。  あいつは、カゲフミは違う、そんなんじゃない。卒業間近で離れるのを惜しんでいるだけだ。――何度打ち消しても、しつこくその男は笑いかけてくる。  どうしてこんなにカゲフミのことを考えてしまうのか、それはいつの頃からなのか、思い出すのが困難なほどその感情は日常に馴染み過ぎた。少なくとも、今年一年が終わればカゲフミと同じ教室にいられなくなると悟った春、あの時期から毎日が尊いものと実感していたような気がした。それと同時に友達としての距離感に苛まれるようになったのだ。今までただのクラスメイトとしてどうやって過ごしていたか、頭から欠落してしまった。  夜毎悩んだヒサシは歩きながらも苦悩する。この気持ちは、いいことなのか。自分にとっては良くても、カゲフミにとっては悪いことなのではないか。気持ちを明かさずにいたほうが両者のためになるのではないか。じゃれついて抱き着かれたときの胸のざわつきも、夜は彼と抱き合う妄想で我慢していることも、伝えてはいけないことのように思う。分からない。恋をしたら告白をして、好意が一致するかしないかでその先が決まる、そんな単純なプロセスではなかったのか。 「ヒッサありがとぉー! キスしていい?」 「もうマジでヒサ大好き。嫁にしよ」  あっけらかんと笑うカゲフミのことを考えていたら次第に腹が立ってきたヒサシは逆走した。自分だけ振り回されているような気がしてどうにも釈然としない。無性に爆弾を投げつけてやりたい気分である。だがそのための材料を吟味する余裕はなかった。まずは板チョコを手当たり次第にカゴに放る。次にデコレーション。ペンにスプレー。このパチンコ玉みたいな物は食べられるのか。どうでもいい、全部買う。ラッピング用の箱や袋も豊富に取り揃えてある。これも全部買う。  衝動買いの品に笑みを深め、ヒサシは悠々と店を出た。バカフミめ、今に見ていろ。ヒサシは能天気な彼の眼前にこれを投下して、泡吹く様を拝むのが楽しみになった。 「せめてあいつの親知らずぶっ殺す」  そうして一晩。  ついに“爆弾”は完成した。試食でだいぶ量は減ったが。  それを大事に鞄に忍ばせ、意気揚々と登校したところまではよかった。  渡す段になってつまづくとは、予想だにしなかった。男から男に渡すというのにハート型はさすがにまずかったか。第一それをいうならわざわざラッピングで見栄えをよくしているほうが気色悪くないか。いや、一番はメッセージカードの存在だ。せめてカードは取ったほうがいいかもしれない。  渡すタイミングも重要になる。朝一で渡したら下校まで気まずい。ある程度、そう午後になってからじゃないと。では昼休みか。しかし互いのためにも1対1の状況下で渡したほうがいいのだろうが、カゲフミはいつも誰かと一緒だ。 (ってか)  そもそも男が男を好きなのって――そう思案しているうちに (放課後……最悪)  ヒサシの焦りはピークに達する。声のかけ方を忘れるくらいに。 「あっ、か、カゲフミ」 「おーうヒサ。じゃあな」 (違う! 挨拶じゃねえよ。バイバイするためにわざわざ呼び止めねえよ) 「待って。カゲさ、今日このあと、暇?」  例のブツはいつでも爆発しそうだった。 「あー暇っちゃ暇だけど、なんか部活の後輩が義理チョコ配ってるの奪いに行く。どうかした?」 「あ、いいんだ。聞いただけ。じゃ」  カゲフミの顔を見ることが辛かった。  思わず教室を飛び出したが、そうなるとさらに行動が制限されることに気づいた。今から教室に戻れば怪しまれる。部室に向かったカゲフミに衆人環視のなか直接渡すのは論外。残されている方法といえば。ヒサシの目に下駄箱が飛び込んできた。  この意気地なし。近くのトイレに潜みながらヒサシは自虐が止まらなかった。昨日の行動力はどこへ行った、見る影もないではないか。それでもチョコレートを手にしたカゲフミのリアクションを一目見たいと隠れる自身の姑息さも嫌だった。  渦中の人物が歩いてくる。下駄箱を……開けた。 「あ」  今の間はなんだと本人に問い詰めたくなるのをこらえ、静かに見届ける。  カゲフミは爆弾を一瞬真顔で見つめたあと、速やかにそれを鞄にしまった。恐ろしくなる。一目見ただけで製造元を看破してしまったのではないか恐怖した。 「カゲどうした」 「んーん、なんでも」  友人らと連れ立って昇降口を後にするカゲフミを、ただ見送ることしかできなかった。  帰路を進めば進むほど自覚する鞄の軽さと、己の情けなさ。  今年のバレンタインデーは平日であったということもあり、ヒサシは自分の知らないあちこちで菓子の取引が行われていることを想像しては落ち込むばかりであった。なんという哀れさだろう。世界中で自分だけがチョコレートを渡せなかったのではないかとすら思えた。 「なにしてんだろ」  息まいて自作し、それを匿名でしか渡せない。気持ちを込めることはできても、それを伝えることから逃げた。矛盾している。理解不能だ。  ただし、一つだけ分かっていることがある。  昨日の一連の行動の原動力。それこそが気持ちの強さなのだと。  錯覚などではなく、確かに恋をしているのだと。 「本当に好きだったの?」  ヒサシは足を止めた。誰かが疑問を投じたような声がした。それは、自分に対して発せられたようにしか考えられない。 「めそめそしちゃって、だっさい」  自分に対しての発言だと分かった。みるみる怒りの感情が込みあがってくる。  どこの、誰だ。  今自分がどんな顔をしているかも考えず、振り返った。 「あれ、怒ってんの。何様の分際?」  一人の男が立っていた。男だと判断した根拠は声だけであり、容姿はジャンパーのフードを被っていて目視できなかった。 「さっきから、俺に言ってます?」 「他に誰がいんの陽射(ひさし)」  名前を告げられ、怒りに若干の驚きが滲む。 「あんた誰っすか」  そう尋ねながらもヒサシはその声に聞き覚えがあることに疑問を抱いた。この声、知っている。 「俺が誰かなんてどうでもいいの。とりあえずさ――死んで」  死……? ヒサシはそこで初めて男の手に包丁が握られていることに気づいた。次の瞬間には頭の位置まで掲げられており、どこかの光に反射して銀色の光を放つ。  後ずさるヒサシの耳は、背後の全く同じ声色を捉えた。 「お前は使えないったらありゃしない。肝心なところで逃げ出す臆病者」 「え、な、なに」 右。「ほんとありえないよね、チョコまでお手製なのにさ」 左。「許せない。全部お前のせいだから」        丁        包  丁包          包丁        包        丁 「とりあえずこっち来て」  後ろの男に腕を取られ、近くの路地に連れ込まれる。放心していたヒサシはなすがままだ。 「さあ陽射、どう落とし前つけよっか」  四人の男に囲まれ委縮する自分。その光景を俯瞰するといかにもカツアゲの現場であったが、そんな単純な話ではないことを頭のどこかでは分かっていた。 「……さっきから、なんの話? いやそもそも誰? なんで俺のこと知ってんの。俺がなにしたんだよ」  ヒサシは恐怖のあまり男たちの顔が見られない。ずっと包丁の先端と会話をしていたが、先ほどから疑問視していた「聞き覚えのある声」に答えを見出した途端、はっと顔を上げた。 「どういうこと。お前ら……」 「やっと分かった? 俺らはね、なんだよ」  フードを外した男の顔をまじまじと見つめる。  ありえない。それなのに。  対面した男は紛れもなく自分だったのだ。  その衝撃に対しなにをどう言えばいいのか、言葉にできない。 「その顔、笑っちゃうわ。俺らはお前がバカなことしないかずっと見張ってた」 「そうしたら案の定お前は愚かな行動に出たもんだから許せん! ってなったの」 「痛い目みてもらわないとだめみたいだし?」  ヒサシの中でのキャパシティが限界を訴える。なにも考えたくなかった。横に立つ自分と思しき男を突き飛ばし、一目散に走った。 「あ、おい!」  最悪の日だと思った。そのうえこんな訳の分からない事態まで生じるなんて。誰かの悪ふざけ? 幻覚? どちらにせよ最悪なことに変わりはなかった。チョコレートみたいに溶けて消えてしまいたかった。 *   *   *

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