1 / 4

第1話

「初めて人を好きになりました!」  と、年端もいかない少年に言われ、困っている男がいた。  男の名前は鍵尾治郎(かぎおじろう)。  同年代の男性達と比べると、5歳以上は若そうには見えるものの、もうすぐ50歳になるかならないかの男だった。 「ありがとう。とても嬉しいよ。でもね……」  鍵尾は困りながらも、少年に好きになってくれたことに礼を言い、少年の気持ちには答えられないことを伝える。 「僕は女性ではないし……いや、男性同士でも恋愛して良いんだけど、もう君より僕はずっとおじさんだから」  誰がも1度は聞いたことがあるような大きな企業の人事課で働いていて、人柄も穏やか、収入も十分。おまけに、やや薄い顔立ちだが、大きく崩れている訳でもなく、いつも身綺麗にしている鍵尾は実は、結婚というものを1度もしたことはない。  いや、同じ課の女性をはじめ、違う課や取り引き先の会社の女性、親族であれば、鍵尾の母親に祖母や少し遠い親族など、鍵尾の周りの女性達は鍵尾を放ってはいなかったのだが、元来、鍵尾は恋愛や結婚にガツガツとしたタイプではなく、1人でのんびり生きていく方が性に合っていることもあって、鍵尾と愛猫の1人1匹で暮らしていた。 「ひどい! ひどい嘘つきだ! あんなに、あんなに可愛いねって言ってくれたのに!!」  少年が鍵尾に見えないように目を隠し、泣いた振りをすると、鍵尾は少年を訝しげに見る。  少年に「可愛いね」と言った……ということは少なくとも、鍵尾は少年に会ったことがある筈なのだが、鍵尾が少年と会うのは初めての筈だ。 「あ、もしかして、似た人とか……」  鍵尾には3歳離れた兄がいるが、顔の感じや声の感じは割と似ていて、もうすぐ大学院生になる娘が1人と現在、高校生の息子が2人いる。  少年が2、3年、鍵尾の兄と会わなくて、今日、弟の鍵尾の方と出会ったとしたら、有り得そうな話だった。  だが、少年は人間違いを否定し、念の為、鍵尾の兄も少年を知らないかと聞いてみたものの、 「黒髪に緑の目の少年を知らないかって? 外国の子か?」 「いや、日本人じゃないかな……日本語、喋ってる。結構、上手いし、今は淹れてあげた牛乳を美味そうに飲んでるよ」  何故、牛乳なのかと言えば、鍵尾の家には子どもがいない為、ジュースやコーラといったものはなく、ちょうど麦茶や玄米茶も切れて、昆布茶と牛乳以外は選択肢になかった。 「牛乳、ね。なぁ、もしかして、映画か何かの話か?」 「違う! 本当に今、目の前にいて!」  同じような声質の違う良い分の応酬に、埒が開かず、最後には 「俺はお前と違って、明日も仕事なんだ。お前も夢みたいなこと、言ってないで、早く寝ろ」  と言われ、鍵尾は兄にまともに取り合われることなく、電話を切られた。 「ちょっと、もしもし……? もしもし!」  鍵尾は仕方なく、兄との通話を終えると、もう1度だけ少年を見る。  天使のようにさらさらとした美しい黒髪に、緑というよりは少し黄色が入ったような黄緑色の美しい瞳。  見れば見る程、日本人離れしていて、兄の言うことも正しいが、それにしてはもう何年も日本にいて、日本人が母語で話しているように流暢だ。 「まさか……」  鍵尾の脳内はある1つの仮説に辿り着くと、馬鹿馬鹿しいと思いながらも、牛乳を飲み終えた少年にある名前を口にした。 「君はベジ、なのか?」  凡そ実在の人物の名前には聞こえない名前に、少年は「うん」と頷いた。

ともだちにシェアしよう!