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五
「山波っ!」
小奇麗で華奢な転入生は周りに漂う不穏な空気を読まずに俺に手を振って微笑みかけてきた。
どんな遠くにいても俺を見つけると名前を呼んで走り寄ってくる。
その仕草自体は水鷹と似たようなものだが転入生からに呼びとめられても嬉しくない。
元々、数年の海外暮らしから戻ってきて前の学園に馴染まなかったせいでうちの学園に転入してきたようなやつなので空気を読む能力があるわけがなかった。
そのつもりはなくても軽々しく距離を詰めるので見た目のこともあっていろんな意味で相手に勘違いさせてトラブルの元になるんだろう。
俺と顔を合わせて数日で周囲の転入生に対する評価は地に落ちた。
見た目がいいので水鷹以外からの興味を引いて学園でも受け入れられると思った俺の予想を裏切って地味に転入生に対しての嫌がらせをする気配がある。
気配ではなくすでに始まっているのかもしれない。
アンチ転入生派の動きを俺は完全には把握していない。
順を追って話すなら、最初はそれなりに好意的に迎えられていた。
転入生の第一印象は俺が感じたように空気が読めない浮いたやつってだけだった。
転入初日からやらかしていたわけじゃない。
会長という立場もあって水鷹は転入生と顔見知りになり学内のことを教えてやって信頼関係を構築したらしい。
ヤる気満々で水鷹が近寄って来たなんて転入生も思わないだろう。
だからこそのトラブルがありそうなタイプだ。
自分に向けられる視線を自覚したら避けられることでも無自覚でいたら地雷を踏んでしまう。
それがたぶん、元の学園にいられなくなった理由。
水鷹の趣味を周囲もわかっているので転入生に嫉妬も羨望もなかった。
見た目のレベルを考えて当然あるだろうこととして水鷹の動きは受け取っていたはずだ。
ある種の仲間意識すら水鷹親衛隊の間では持ちあがったかもしれない。
それは今では崩れている。完膚なきまでに崩壊した。
原因は俺だ。
転入生は海外暮らしになる前、どうやら俺の家の近所に住んでいたらしい。
両親の離婚問題で幼少期の記憶はあいまいだ。
その転入生が昔にいた地域に俺の実家はもうない。
以前の住所もおぼろげなのに遊んでいたという思い出を語られてもピンとこない。
山波という名字を知っているので転入生の言葉に嘘はないんだろうけれど、その時代の記憶は俺の中であってないようなものだ。
父には悪いと思うけれど俺は名字に愛着というものがない。
中学で水鷹とバカやったというか水鷹がバカやっていたのを見ていた時間のほうが長いので勝手に幼なじみを名乗り親友だと宣言されても困る。
転入生の記憶など俺には全くないのだ。
付きまとってくる転入生に素っ気ない対応をしていてキレたのは水鷹。
俺に対しての怒りじゃない。転入生に対するものだ。
それが転入生の嫌われだす切っ掛けになった。
物事の口火を切るのはいつだって水鷹。そういう流れができている。
良くも悪くも事態を動かしてしまう。
『藤高はオレの親友に決まってんだろ! どう考えてもオレと藤高でタカタカコンビだろ!! おまえなんかの入る隙間ねえよ』
転入生を自分に惚れさせてやるなんて言っていたバカがそれを台無しにするバカ発言をした。
喧嘩友達になってから口説いたり、性的な意味で興味はないと安心させてからどうにかするのかと思ったら違った。
バカはバカだったので「マジおこっすわ」と軽薄でチャラチャラとした雰囲気を振りまきながらもマジなトーンで俺を如何に好きで大事に思っていて長い付き合いなのかを衆人環視の中で語った。大演説だ。
水鷹の親衛隊は目が曇りきっているので微笑ましいものを見るように頷き、瞳を輝かせて水鷹を肯定して応援コールすらした。イカレている。
水鷹親衛隊という名の俺の親衛隊だというのは知っていたので俺を褒める水鷹の意見に「そーだー、そーだー。藤高さまは会長のものだ!」「言ってやってくださいっ! 会長!!」と賛成多数。狂気の集団にドン引きして去っていけばいいものを転入生は「このままじゃ山波がかわいそうだ」と対抗意識を作り上げ、俺を解放するという謎の使命感を燃やした。
悪いやつじゃないが近所に住んでいたことも覚えていない昔の友達に執着するあたりどうかしている。
海外暮らしが長くて日本の思い出がないからこんなことになったんだろうか。
そう思うとかわいそうではあるが俺はどうにかしてやる義理はないと思った。冷たいかもしれないが好意を向けられたところで転入生のことなど眼中にない。気にしていられない。
面倒になる前にさっさと対処してしまうのが一番だとわかっていた。
それなのに動かなかったのは俺の弱いところだろう。俺はなんだかんだで嬉しかった。
親友だという前提での言葉でも水鷹に好きだと言われて気分がよかった。そんなことが事態を放置した最大の理由だ。
自分の動き一つで混乱を収めることができるとわかりながら何もしない怠惰。
それは後々、逆に面倒になると知っていた。
水鷹はバカではあるし頭も尻も軽いが誰かれ構わずに親友だと言ったりしない。水鷹が親友だと断言するのは俺だけだ。
転入生は心の広さを見せたいのか親友の親友は親友だということで水鷹を親友にしてやってもいいと口にして場の空気を凍りつかせた。誰もが何様だと反発する。親衛隊はもちろん表立って水鷹を歓迎していない層にすら転入生は腫れものになった。
転入生が盾ついたのが他の誰でもない瑠璃川水鷹なのが何よりもマズイ。水鷹自身よりも周りの憤りがすごい。
学園内の多少の不満なんかじゃなく完全に喧嘩を売っていた。
そして、誰がどう見ても喧嘩を売る相手を間違えているからこそ転入生と知り合いになったりすこしの友好をあたためた相手も一斉に手を引いた。
瑠璃川水鷹はそれだけの人間だ。俺がかつぎあげて補佐をしなかったとしても腐っても瑠璃川の家の一員である水鷹は学内で当然のように権力者だった。
生徒会長であることを抜いて考えても無視できないレベルの存在が瑠璃川水鷹だ。
転入生はそういったこの学園における常識を知らない。
瑠璃川とはこの国で富豪の代名詞レベルに浸透した名字だ。
一般のご家庭の瑠璃川さんもいるかもしれないがこの全寮制男子校のような学園にいる瑠璃川は間違いなく大金持ちな瑠璃川の一員になる。学園に入る前に誰でも親から説明を受けるし、一般受験でそういった世界に疎かったとしても学園に入ったら誰かしらが教えてくれるそのぐらいに基礎的な知識だ。
瑠璃川のおもしろいところは商売の才能があるからか、たった一つの事業や企業というわけではないことだ。
たとえば学校経営をしていてこの学園の理事か理事長も瑠璃川だろうが、そんなものは瑠璃川という家の氷山の一角だ。
それぞれがみんな別々の事業を豊富な資産で行ってどれも成功を収めている。
瑠璃川と組んで大外れを引くことはないのでそれがどんな瑠璃川であったとしても瑠璃川の人間というだけで親しくしておいて商売人として損はしない。
自分が興味のある事業の出資者に瑠璃川の中の誰かがなってくれる可能性があるからだ。
顔繋ぎという面で同級生の瑠璃川は便利だし、親戚と知り合いというのは瑠璃川にとって大きなポイントになる。
成功者で構成されている瑠璃川という一族だが一定の割合で引きこもりや社会不適合者があらわれる。
そのことを恥だと思うことなく一族中で援助している。これは隠されることもない事実だ。
マルチタレントとしてテレビに出演している瑠璃川の人間が時折ネタにしている。
自分たちが稼いでいるので稼ぎがない子がいても気にしないらしい。
俗に言う「瑠璃川のあまやかし」という現象。
瑠璃川水鷹がなにかバカなことをしても瑠璃川という家が庇うだろうという根拠のない思い込みは水鷹の味方を増やす。
安全圏からならいくらでもバカをやれる。
後始末なんかは全部、水鷹ひいては瑠璃川という家にやらせるつもりでいる。
こういう人間は中学のころから一定数いた。
水鷹の持つバックボーンを頼ろうと思ったりする一方でバカなぼっちゃんだと蔑まれもする。
家の威光で威張っている水鷹を最低だとこき下ろし、本当に生徒会長に相応しいのは俺の方だと文句を口にする人間もいる。
俺がやりたくないから水鷹がやっているのだと説明してもそれをきちんと理解する者はいないだろう。
水鷹は人の上で好き勝手に振る舞う姿が似合いすぎている。
細かいことは俺に丸投げして檀上から人を見下ろすその前に会長として書類を読むのも挨拶するのも全部嫌だと泣きごとを喚き散らしていたことを誰も知らない。
人前に立って会長としての仕事をするときに水鷹はいつでも「大切な親友のために頑張ってきてやります」と笑う。
他人から見た水鷹がどうであったとしても惚れた欲目で格好よく魅力的に見える。
軽いノリでバカ丸出しでもそれはそれで水鷹らしさだとプラスに感じた。
それでも今回のことはフォローできない。
水鷹を愛しまくっている俺でも許容範囲を超えた。
瑠璃川であり生徒会長である水鷹が転入生に不快感を示せば同調圧力となって一般生徒は転入生から離れていく。
同時に顔馴染みだと一方的に思われている俺に対する執着が増していく。
さらに俺が地道に生徒たちから好感度を集めて高めていたこともあって並大抵じゃない嫌悪や憎悪が転入生に向けられている。
水鷹の言動に喜ばずにさっさと生徒たちに根回しをしていればバカげたことは起こらなかった。
これは断言できる。
水鷹が無意識に周囲を動かすことを俺は妨害できたし生徒たちの不平不満を溜め続けさせたりしなかった。
ならばこれは水鷹のせいというよりは俺のせいだ。
俺の怠惰が原因だ。
俺は放課後に声をかけてきた転入生と会話にもならない一方的な言葉を受けていた。
いつものように聞き流しながら歩いていたら急に空き教室に引っ張り込まれた。
転入生の巻き添えを食らったのかと思ったが俺が誰だか知らずに手を出す人間もいないだろう。
体格や見た目として俺を抱こうという企画じゃないのはわかるのでその心配はしていない。
瑠璃川である水鷹に恩を売るために転入生を陥れようと思っているんだろう。
俺は水鷹側の人間なので教師や風紀に行くと思っていない。ただの見届け人だ。
第三者がいることによって転入生が被害を口に出しにくい状況にしようとしているのかもしれない。
後始末が面倒なので学園の外でも中でも犯罪行動をする人間を俺は自分や水鷹には近づけないようにしている。
あくまでもなるべくではあるけれど保身を忘れたことはない。
乱交だって3Pだって同意がなければしない。直前になって泣きだすというよりも水鷹抜きで俺とだけしたがる女はいくらでもいたけれど何もせずに帰ってもらった。変わりはいくらでもいたし最悪、誰もつかまらなかったら水鷹とゲームして夜を過ごす。そういう日だってある。
他人から見たらきっと俺たちの関係も俺のしていることもおかしいことなんだろう。
好きだからといって許されないことをしている自覚はある。
それでも、好きだからこそ水鷹のために動きたいという気持ちは抗いがたい動機になる。
水鷹のために何でもしてやりたくなるし、水鷹の行動は何でも受け入れてしまえる。
そんな水鷹の母親よりも水鷹に甘いと自負する俺でもフォローできない事態だ。
バカだバカだと思っていながら俺は水鷹のバカさ加減を甘く見ていた。
さすがに今回のことはフォローできない。
水鷹を愛しまくっている俺でも許容範囲を超えた。
てっきり瑠璃川に媚を売り隊のやらかしだと思ったが仁王立ちで立っている人間に目が点になった。
適当に紙で作った仮面をつけているのはどう考えても見覚えのあるバカ。
口を開こうとするとハンカチを入れられた。
ノートサイズのホワイトボードに「気づいちまったかい、マイフレンド」と書かれた。
突発的なバカな犯行でもすこしは頭を使えたらしい。
俺と転入生は向かい合った対面状態なので振り向かなければ転入生に文字は見えない。
転入生の肩越しにバカの書いた文字を読む。
俺と転入生を空き教室に連れてきた二人をにらむ。
壁にもたれかかっている場合じゃない。
なんてことをしてくれたんだ。
センパイなら後輩を止めろと言いたいがハンカチのせいで声が出ない。
あの二人は間違いなく生徒会の会計と書記だ。体格と立ち姿でわかる。
そろそろ任期を終えて役職という肩書きがなくなるから最後の花火でも打ち上げようとしているんだろうか。
考えなしとは伝染するんだろうか。
不安げな表情でありながら「山波のことはオレが守るから!」と言い出す転入生の空気の読まない善人ぶりに胸が熱くなる。
馬鹿げたことに巻き込まれているにもかかわらず他人のことを思いやれる見た目のかわいらしさを裏切るガッツがあるところは素直に魅力的だ。
仮面をつけたところで明らかに水鷹にしか見えないバカは「どうしてかと聞きたいか? それはオレがお前の親友だからさ」とホワイトボードに書いて親指で自分を指さす動作。格好いいと思っているなら大間違いだと教えてやりたい。滑りすぎてあざけりすら浮かばない。
セックスはどんなプレイ内容でも和姦にしろと言っているのにどうやらこのままやらかすらしい。
訴えられたら負けるようなことをするなと言い聞かせているのにバカの頭からは抜け落ちている。だからこそのバカか。
あらかじめ音声を作っていたのか水鷹とは重なりそうもない甲高い男とも女ともつかない声で「キミがイヤがるとトモダチである、そっちのコがイタイ思いヲすることにナルよ」と聞こえた。
転入生を性的に追い詰めて俺に近づかなくさせるという計画であることはわかったが状況は変わらない。
似たようなことを親衛隊が企画している最中だと聞いたのでパクったのかもしれない。水鷹ならありえそうな話だ。
やると決めて行動を起こした水鷹はとまらないのは知っている。止めるなら止めるでもっと前段階で牽制をかけなければ意味がない。
きっと水鷹は笑顔で「お前なんか藤高の親友なわけねえだろっ」と転入生に言い放ちたいのだ。
それだけのための状況設定。
子供みたいに無邪気で残酷な行動原理。
本当に俺を親友だと思っているからこそ他の人間がそこに居座ろうとするとするのを拒絶する。
友達を一人占めしたいというのは子供にはありがちかもしれない。
水鷹らしいといえば水鷹らしい。
度が過ぎていたとしても水鷹はわがままに自分の気持ちを押し通す。
相手のことよりもまずは自分のことを考える。
そんなことは知っていたし今更それで幻滅したりはしない。
でも、俺に事前に言ってくれてもよかったんじゃないだろうか。
思い立って無計画だから生徒会の書類を仮面にして顔に引っ付けているのかもしれないが一言連絡が欲しかった。
水鷹が女と長く続かない無神経さを俺はまざまざと感じている。
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