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マイナス2
※前会長視点。
一番初めに覚えた衝動に名前を付けるなら一目ぼれ、そういうありきたりなものになる。
彼の存在は新鮮だった。
今まで見たことがない、触れたことのない人種。
人当たりが良いようでいて一線を引いていて、芯の強さがあっても屈強そうには見えない。
簡単に折れるようには見えないけれど何もかもを抱えきれるほどの器用さは感じられない。
自然と力を貸してあげたくなる雰囲気を持ち合わせていた。
成長している最中のアンバランスさを含めて目を引く彼に惹かれないわけがなかったのかもしれない。
けれど、おれがこれほどまでに彼にこだわる本当の理由は違うのかもしれない。
一目ぼれをして近づいたその時はべつに彼をどうにかしようと思ったわけじゃなかった。彼と具体的にどうにかなりたいとは今も昔も思っていない。
親しい友人、心を許せるセンパイ、そんな立ち位置を目指したくはあったけれど淡く揺らめく願望はきちんとした目的とは違う。。
『藤高って名前の響きはともかく字面が名字みたいだね』
会話を広げるために何気なく選択した話題は彼にとって地雷だった。
表情をすこし曇らせて「自分はもともと山波の家の生まれという扱いだったので、そこの慣習で男子は名前に高いという字を入れるみたいです。高みを目指せということらしいです」と当たり障りのないように答えていたけれど口にしたくない事柄だったのだと伝わってくる。
彼が以前は違う名字を名乗っていたことは学園の中で少なくない人間が知っている。
誰も言いふらさなくても人の関心を引いてしまう彼のうわさは広がるものだ。
本人が望んでいない話題だから彼の耳に入らないようにひっそりと「山波」の名前は囁かれた。
『この名前は俺が持つべきじゃないんですけどね』
微笑んでいたのに泣いているようにしか見えなくて彼の心をおれがえぐってしまったのだと知る。
罪悪感に押しつぶされそうになったおれに助け舟を出すように瑠璃川水鷹が声をかけてきた。あるいはアレは独り言だったのかもしれない。おれと彼との間に沈黙がなければ聞こえないほどに小さな声だった。
『オレは水に猛禽類の鷹だけど、同じタカでも高いってほうが似合ってる』
瑠璃川水鷹の言葉に「三じゃなくて水なのか、良い男だからか?」と話題にした「タカ」を無視した返しをした。
普通なら噛み合っていないと感じるところだが通じあっているとでもいうように二人は笑い合った。
もしおれが彼の名前に触れなかったらふたりが関わりあうことはなかったのではないのか。
もしおれが彼が抱える気持ちをくみ取ってアドバイスの一つでもしたのなら彼の視線が瑠璃川水鷹に向くことはなかったのではないのか。
瑠璃川水鷹と関わって劇的に彼の生活は変わる。
品行方正で誰もが彼を理想とするほどに真面目で輝かしかった彼が瑠璃川水鷹と共にいかがわしい店に出入りをしたり学外で夜遅くまで集団で騒いでいると聞く。ありえないことだと思う反面、瑠璃川という家を考えるとわからなくもなかった。
瑠璃川は普通のレベルの金持ちではない。
本家があり分家がありといったタイプの古くからある血筋というわけではなくクリエイティブな富豪集団だ。
趣味に金を惜しまずそれをビジネスとして成功させるセンスを持つ人間がものすごく多い。
だから、祖父母や両親、親戚の財産など気にしない。
活動的な瑠璃川の家の人間は年齢や性別など関係なくかならず稼ぐからだ。
中には瑠璃川水鷹といったようなハズレもいるが大体の瑠璃川は成功者として何かしらの特集で名前を目にする。
彼が瑠璃川の名前に媚を売っているとは思わない。
むしろ、逆にそうした強かな企みがあった方がマシだった。
瑠璃川と彼の近くなる距離を妨害するために生徒会役員に勧誘すればするほど上手くいかない。
空回ったおれはただ瑠璃川の手によって堕落していく彼を見ているしかなかった。
おれの中で自分の跡を継ぐ生徒会長はいつだって彼だった。
彼であるべきだった。
それが許されないから妥協して彼がおまけとしてついてくる瑠璃川水鷹を認めた。
「これは、無理かな」
軽く笑って床に転がる頭を踏みつける。
生徒会に夢を見ているとか会長なんてただの肩書きだと瑠璃川レベルの人間なら思うかもしれない。
この学園を卒業したあとも生徒会役員には特典がある。むしろ、その後の人生においていろいろと融通が利くので学生であった時よりも役職や生徒会に在籍していた事実は重要になる。
縦のつながりは瑠璃川のような頭一つ飛びぬけた場所にいる人間たちにはわからない。
社会や学園の中の派閥争いに属さないでいられるだけの後ろ盾が瑠璃川だ。
彼も瑠璃川水鷹も瑠璃川という家に知らずに保護されている。
会長という役職を転入生に与えて自分たちの生活を守るというのは如何にも彼ら二人らしい。
彼らは役職がなくても将来的に何の障害にもならない。
持っていない人間が手に入れるためにどれだけのことをしたのかも知らずに手の中にあったものを不要だと簡単に手放すことを選べる残酷さがある。
会長という肩書にしても、親衛隊という集団にしても、そう。
彼らは二人して自分たち以外のすべてのものを軽視している。
手の中にあるものは自分のものだと思っているから捨てたり、手放したりできる。
たとえ嘘でも表面上でも、おれは敬意を払っていてほしかった。
少なくともおれの目に入る時期に転入生なんかを会長にしてほしくない。
彼は来るのかと疑う気持ちと彼なら来てくれると信じる気持ち。
静かでさみしい部屋の中で彼がやってくるのを待つのは神に祈りをささげるようだ。
そして、彼はきちんとおれがどこにいるのか推理してあらわれてくれた。
何を言うのか、どうするのか気になっていたら彼は「お手数をおかけして申し訳ありません」と頭を下げた。
どうやらおれの考えは裏側も含めて読みとられていたらしい。
「扇情的だね。その格好が危ない自覚ある?」
首筋の野蛮な歯型に殺意が湧くけれど彼が頬を赤らめて首に手をおくので許せてしまう。
そうそう見ることが叶わない表情だとわかっているから尊くて瑠璃川水鷹が行ったであろう蛮行も目をつぶってしまう。
おれは彼をどうこうしたいわけじゃない。
「ひとり?」
「水鷹は来ないと思います」
「止められたのを振り切ったのかい」
「それが誠意だと思いました」
瑠璃川水鷹はわかっていないだろうけれど彼はきちんとおれの行動を理解している。
だからこそ、おれは彼のために動きたくなる。
「親衛隊長じゃなくなったのは」
「撤回しません」
「きみの親衛隊が作られようとしていることは」
「知っていますが許可しません」
「通ると思ってる? 今年卒業のおれにすらまだ親衛隊はあるんだよ」
「親衛隊の必要性はわかっています。どこにいるのか分からずに広がっているよりも目に見える形で徒党を組んでいてもらう方が制御しやすい」
「でも、きみはいやなんだね。瑠璃川水鷹の親衛隊ならいいけれど自分の親衛隊はいやなんだ」
視線を下に向ける彼はおれが踏んづけているモノに気が付いた。
助け起こすべきか考えて息を吐き出す。
「動画加工、お好きなんですか?」
「そんな気はしてただろ」
「アングルがあからさまなのでフェイクだろうとは思いました」
おれの言葉に彼は苦笑する。
目的は転入生をリンチすることじゃない。
それでも彼の股間を噛んだという歯をへし折りたい気持ちはある。
だから、おれがそうしないように彼はやって来てくれた。
間違いなくおれのために来てくれた。
おれが罪を犯さなくてもいいように覚悟の上でやってきた。
「藤高はしあわせになれそうかい」
彼は処刑台の上にいるような気分かもしれない。
それでも、彼を愛する者の代表として決断をしなければならない。
「きみが瑠璃川水鷹といてしあわせになれないなら、藤高を好きなおれたちはこのままではいられない」
「蔑ろにしていたわけじゃありません」
「藤高がしあわせであるからこそ誰もがやり場のない感情を飲みこんでいた」
「わかっています」
「飲みこんで飲みこんで飲みこみ続けているものを瑠璃川水鷹はどうやら吐き出させたいらしい」
意図は分からない。
意味も分からない。
ただただ愉快犯なのか瑠璃川水鷹は持たざる者であるおれたちを馬鹿にする。侮辱する。
いくら彼がフォローしておれたちの気持ちを守ろうとしても破綻してしまう。
「穏健派を名乗りたいおれでも腹に据えかねているからね」
彼とどうにかなりたいと思っている人間は実のところ少ない。
この学園の大部分としては彼がどうにかなる姿を見たくないという人間ばかりだ。
たとえばキスマークひとつとっても誰かが彼に痕をつける行為は不快だという共通認識がある。
彼はみんなのものであり大切に扱うべき人だからだ。
みんな彼に夢を見て、彼はその夢に応えていた。
その空間を壊そうとしているのは瑠璃川水鷹だけだ。
この学園における異物は瑠璃川水鷹だ。けれど、彼はそうならないように瑠璃川水鷹に会長という役目を与えて守り続けた。
瑠璃川という盾は絶大だけれど権力に怯える人間ばかりじゃない。
解放をうたって彼のために瑠璃川に楯突こうとする人間は少なくない。それほどの人望と愛情を彼は作り上げていた。同時にそれらを軽視して捨てられる。
瑠璃川水鷹のために自分の周りを取り巻く愛を作り上げ、瑠璃川水鷹のためにそれらを捨てていく。
簡単に行くわけがないのに簡単にやろうとして今日みたいな日を迎えることになる。
おれが彼に裸になって足を開けと言ったら開くんだろうか。
そうしなければ瑠璃川水鷹が死ぬよりも悲惨なことになると口にしたら彼はおれの言うことを聞くのだろうか。
きっと聞いてしまうだろう。
そんな気がするからこそ瑠璃川水鷹が許せない。
彼を愛する人間は誰もが瑠璃川水鷹を憎むしかない。
完璧な彼にこびりついた汚点。
洗い流したいのに消えて行かない。
すでに彼の一部として馴染んでしまっている。
おれがあの日に彼に名前の話などしなければこんなことにはならなかった。
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