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二十九
俺に謝りながらも勃起したままの水鷹。
どうすればいいのかを考えていると前会長が床に転がっていた転入生のカバンを投げた。
水鷹が顔面で受け止めて「ぷぎゃっ」とちょっとかわいくも気持ち悪い声を上げる。
瑠璃川家なんか知るか、死ねという前会長からの空気にしびれる。最高にクールだ。
俺なんかよりもよっぽどドライでクールな人だと思う。
「瑠璃川、遺言はそれだけか?」
俺に対しては温和な空気を残していた前会長の冷え切った視線にも水鷹は引かない。
堂々と下半身を晒している。
早漏とはいえ数々の男女の体内を味わった肉棒は誰に恥ずべきものでもないのかもしれない。
「クールでクレイジーで頑固で優しくてオレに甘くて最高に素晴らしい藤高をオレは愛している」
水鷹の言葉で俺の気持ちが浮上することはない。
所詮はいつものその場のノリの言葉だ。
嘘をついてるわけじゃない。
俺を騙そうと思ってるわけじゃない。
期待したら肩透かしを食らうだけだとしても水鷹に俺を傷つけようとするつもりはない。
友愛の表現の幅の問題なのか単純に過剰表現で受けを狙っているのかはわからない。
いつもなら褒め言葉に苦笑の一つもするけれど、今はできそうにない。
水鷹の言葉に喜んでしまう自分に呆れ笑いも出てこない。
「オレは藤高が好きだ。ありとあらゆる藤高が好き。怒ってても泣いてても蹴っても吐いてもふんどし履いてもぜんぶぜんぶぜんぶ! どんな藤高だってまとめて何もかもを愛してる!!」
吐かせたのも履かせたのもおまえだとツッコミを入れたかったが水鷹の言い分をとりあえず聞くことにする。
何か言いたげな前会長も俺の視線にとりあえずは口を閉じていてくれた。それでも苛立った気配は感じる。
「オレは藤高が好きだ! けど、それより何より藤高を好きなオレ自身がオレは好きだ!!」
思いもかけない言葉に前会長が床に転がった転入生を踏んだ。
水鷹は自分を棚に上げるが自己愛が激しいとか自己陶酔がウザいわけじゃない。
自己主張は激しいけれどアホっぽいナルシスト発言はあってもネタのみたいなものだった。
「オレは藤高を愛してると思ってた。一番何より好きだって思ってた。誰も届きはしないぐらいにオレの愛は高みにあるって思ってた」
愛に高い低いなんてあるのかは疑問だが水鷹は俺を抱き寄せて好きだと言ってくる。
その切実さは未だかつてない必死さで俺の頭をおかしくさせる。勃起した性器を押しつけてくる人間相手に冷静に対処するほうが逆に異常なのかもしれない。せめて丸出しはやめろと言いたいがそれよりも聞き流し続けていた水鷹の口にする「好き」が俺に突き刺さる。
こんな状況でこんなタイミングで告白なんかイカレている。
でも、このイカレてるところがどうしようもなく水鷹らしい。
「オレは藤高を好きなオレが好きだ。だから、何かと、誰かと、藤高を比べても藤高がいつだって勝つし、いつのどんな藤高を想像しても好きだって気持ちは揺るがない。だって藤高を好きでいる自分が好きだから当たり前だ。藤高がいることを前提に物事の好き嫌いを決めるし、藤高ありきで人生設計を作るのも藤高を好きでいるオレの姿にオレが満足するから」
水鷹の言葉に冷ややかな声で「まるで子供だ」と前会長は口にする。
不快な汚物を見るように厳しい視線を前会長は水鷹に向ける。
抱きつかれている俺にも向けられている気がして心臓が痛い。
「親に甘える子供と一緒だ。藤高が好きだと口にすることで甘えてすがることを許され肯定された感覚になって満足しているがそれは愛と呼ぶべきものなのかな? 藤高がいない自分を思い描けないとするなら自分を見失っているだけだとは考えられない? 藤高を理由に自身の言動を正当化しようとしているだけだ。藤高に執着する理由は甘えられる相手だからで他に藤高みたいな相手が現れたら瑠璃川はあっさりとそちらを選ぶだろう」
前会長の言葉に俺は自分の中の不安の根本的なところに触れた気がした。
水鷹にとって自分が必要なのかどうか。
代わりになる人間が現れたら水鷹は俺以外を選ぶだろうという推測。
親友という枠組みから出てしまえば失っていく人間たちの仲間入りだ。
水鷹は基本的に恋人と長く続かない。
「オレは藤高が好きだ! ありとあらゆるどんな顔をした藤高にも興奮する。オレはファザコンでマザコンでブラコンだっていう自覚があるけど、家族を全部藤高に置き換えられても気にならない。藤高がオレの父で母で姉で兄で弟で妹で甥で姪でわが子で孫で恋人で婚約者で結婚相手で親友で近所の人間で職場の仲間だとしても喜べるし最高だと思う。ここまで藤高を好きで愛して必要とすることができる自分のことをオレはこの世で一番大切にしたい」
バカげているとしか言えない言葉なのに泣き出したくなる。
指輪をくれたのもそれをあっさり捨てるのも水鷹にとって指輪の重みがないからじゃない。
たとえば結婚しても結婚しなくてもどちらでも良かったのだ。
どうでも良かったわけじゃない。適当じゃない。結婚相手、配偶者、嫁、それらの役割や肩書きを俺が背負っても背負わなくても水鷹にとって俺がそばにいることが重要でそばにいればどんな関係であっても良かったんだ。それは決して俺を軽く扱っているわけでも低く見ているわけでもない。
『形式も約束もオレたちにはいらなかった』
『なにもなくてもオレたちは愛し合える』
『大切だって思えるその気持ちだけで良かった。他人とか周りとかオレたち以外の価値観なんかどうでもいい』
風呂場で水鷹が口にした言葉を俺は忘れていない。
別れると言いながらこの先も一緒にいてくれと矛盾する水鷹に冗談を言っている空気はなかった。
言葉の重みを受け止めなかったのは俺の方だ。
俺の気持ちを楽にするために水鷹がそれっぽい言動をしているだけだと思い込もうとしていた。
そうすることが楽だからだ。
変わらない関係でいたいと思いたかった。
片思いでも、時に苦い気持ちになっても、嫌われるよりはいい。
友情すら失うよりは現状維持でいいからそばにいたい。
「誰か一人をここまで必要とできる自分を気に入っているからオレは藤高を嫌いになることはないし愛さずにはいられない」
「藤高ひとりに背負わせすぎだ」
「オレの藤高は瑠璃川水鷹程度の存在で根を上げたりしねーです! もう付き合ってらんないって藤高が言ってもそんな藤高もオレは好きだけど!!」
勃起した男性器をぐりぐりと俺の足におしつけてくる。
こんなセクハラをこいつは家族にやるって言うんだから本格的に頭がおかしい。
そして、ふと「恋人」という単語が入っていたと気づいて抱きついていた水鷹を突き飛ばす。
前会長は水鷹を避けた。転入生の肩が蹴られることになった。床に寝転がっているだけなのに傷が増えていそうで少しだけ不憫だ。ねつ造動画の血濡れた感じよりも打ち身が多めな今の方が地味に痛そう。
「藤高、照れてる? 怒ってる? 恥ずかしかった?」
俺に恥ずかしいかを尋ねる前に自分の格好を恥ずかしがれと下半身を指さして言ってやりたいところだが俺はどうしようもないぐらいにバカだった。
水鷹の言葉は全部が正解だ。
好きだと言われたその言葉の響きに初めて甘さを感じることが出来た。
自分が持っている愛とか好きと同じものじゃないという絶望感やあきらめの苦さや切なく酸っぱいものじゃない。
ただただ吐き気がするほどの甘さ。
今までの水鷹の気持ちに嘘なんかない。
それは知っていた。
でも、友愛の変化球な表現だと思っていた。
そう受け取ることで俺は自分を守っていた。
保身に走り続けていた。
全部が全部、どうしようもないジョークで俺を笑わせようとしている冗談だと思い込むことで水鷹から目をそらしていた。
毎日のように聞き流されても懸命に愛を訴え続けるなんて普通できるわけがない。
俺ならしない。でも、水鷹はできる。俺に対する愛があるから出来てしまう。
男も女も俺以外を飽きるぐらいに抱いてるくせにと嫉妬心からすねた言葉を口にしたくもなるけれど水鷹はいつだって誰かを単体で抱くよりも俺といっしょが一番気持ちがいいと言っていた。そうやって水鷹に評価されることが嬉しくて俺は水鷹のためという名の自分のために抱かれる人間を用意していった。
水鷹を喜ばせることができる自分に俺は満足感を覚えていた。
自分の今までの生き様が恥ずかしいし、いろんな意味で最低だと怒りを覚える。
もっと早く言ってくれと思う気持ちになればなるほど水鷹よりも俺の方が独りよがりだったことを思い知らされる。
水鷹はずっと俺に自分の気持ちを伝えていた。
聞き流してたのは俺からだ。
俺が水鷹への気持ちを自覚するよりも先に水鷹は俺を褒め称える言葉をいくつでも並べ立てて好きだとそう言ってくれていた。
水鷹の愛情を諦めて友情だけでいいなんて思い込もうとしながら出来なくて苦しくなって俺以外のみんなが幸せである気がして不満や苛立ちを他人の愛を門前払いすることで晴らしていた。
俺が誰かに優しいならそれは踏みにじっている罪悪感からだろうし、俺が人を踏みにじれるのは自分が少なからず傷ついているという自覚があるからだ。
水鷹が親衛隊や俺のことを好きな連中を煽っている姿を見て彼らを心の底から憐れんだりしないような俺だ。
面倒が嫌でトラブルが起きなければいいと思っているだけで彼らが俺に向ける愛情が侮辱されても俺は気にしていなかった。けれど、自分だったなら決して許さないからこそ水鷹が彼らに嫌われるのは分かり切っていた。
プライドがある人間は相手のプライドもまた尊重する傾向にある。
ある種の貴族的な平和な腹の探り合いが会話のメインであって水鷹のような正面から向かっていく人間は例外だ。
「それで藤高はしあわせになれそうかい」
少し笑ったような声のやわらかさに涙が思わず流れた。
愛を求めてもいいんだろうか。
愛を認めてもいいんだろうか。
水鷹が俺に恋をするのかしないのかは本当は重要なことじゃない。
それらは二の次で水鷹が俺を好きな確証、俺を嫌いにならない証拠や理由や原因が欲しかった。
俺が傷つかないための安心できる材料を求めていた。
それさえあればたとえ水鷹が俺を恋愛目線で見ていなくても構わない。
俺が恋人らしさとは何かを水鷹に叩き込んでいけばいい。
投げたボールを誰も受け取らない状態。
会話は言葉のキャッチボールというけれど一方的になった場合はどうすればいい。
返ってこない言葉を持て余して後悔ばかりの日々を送るのはいやなんだ。
水鷹の言葉は雨みたいで俺のことなんか気にせずに降り始めたら止まらない。
言葉を受け取っても受け取らなくても時期になったら溢れ出す。
そのことにいつだって俺は満たされて離れられないと思い知らされる。
『フジくんはどっちについて行きたい?』
水鷹が訴え続けるように俺のことを愛し尽くせる人間なんて瑠璃川水鷹以外にいない。
俺が子供のように弱音を吐いて懺悔しても恨み言を口にしても水鷹はそんな俺も好きだという信じられないような本当のことを恥ずかしがらずに言うんだろう。
「やまなみ、山波っ」
幽霊に足をつかまれた。
下を見ると転入生が俺の足首をつかんでいた。
山波、山波と何度も過去の亡霊のように俺を呼ぶ転入生。
俺の世界から消してしまわなければならないと思っていた名前が今ではそれほど痛くない。
だから、転入生とも向き合わなければならない。
前会長が作り上げたかった俺のための舞台は終わっていない。
表面上だけなら水鷹を認めずに俺と肉体関係を持つことで俺を籠絡するか周囲を納得させるように動くための脅しとしての転入生の動画や呼び出し。
いくつかの選択と思惑とが各々にある。
人はひとつの考えで動かない。
水鷹がやってこなかったら。
水鷹の言い分に俺が納得する気配を見せなかったら。
そうしたら前会長は俺を薬でもなんでも使って強制的に水鷹から遠ざけるようとするかもしれない。
犯罪だとか自分の今後の人生だとか全部を棒に振るってでも俺のためになる未来を見せてくれようとしている。
俺の内側にあるものの全容は知らなくても瑠璃川水鷹という流れに押し流されている俺をすくい上げようとしてくれた。
転入生のことも同じだ。前会長が望むのは自分を愛してもらうことでも学園の平和でも生徒会のことでもなく俺の今後の幸せだ。自分が卒業した後の俺のことを心配してくれているんだろうから本当にいいセンパイだと思う。うっかり惚れそうなほどに俺にとって都合のいい人を演じてくれる。
「山波、無事かっ」
俺の足をつかんで起き上がろうとする転入生の頭を水鷹が踏む。
小奇麗な顔で好みのタイプだろうに容赦がない。
水鷹は小動物をイジメたい派なんだろうか。
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