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三十四
水鷹の語る愛に安心してすんなりと受け入れることが出来るのは富士さんと似ているからかもしれない。
俺が俺であるだけで許して受け入れてくれる。
親切な立ち振る舞いや他人の視線を気にした強がりも何もかも水鷹の前では必要ない。
富士さんは自分と血がつながっているというだけで俺への愛情が恋人と同等かそれ以上だと言っていた。
幼い子供だと俺を下に見ることなくひとりの人間として扱ってくれた。
いろんな話を包み隠さず話してくれた。
人から信頼してもらう方法は裏側をさらすことだと思っているのかもしれない。
富士さんは自己愛が強いので他人が好きではないが孤独を求めているわけではないという。
その面倒な感じは俺と似ていると思った。
自分の血のつながった息子であると言うだけで俺に何を与えてもいいと言う。
何でも許して与えることが富士さんにとっての愛だった。
無償の愛と感じるものを富士さんはくれた。
富士さんと比べると父や母の愛や思いやりにはそのつもりがなかったとしても打算が付きまとっているように感じてしまう。
親衛隊たちと同じように愛しているんだから愛を返してくれという無言の圧力を感じる。
息苦しくてうんざりしてしまう。
水鷹も富士さんと同じく俺を親友だと呼んでもそれだけだった。
親友という言葉で俺を縛って操ろうとするわけじゃない。
ただ俺の親友という肩書きに無邪気に喜ぶだけだ。
血縁者がいたことを喜んでくれた富士さんと同じで俺にリアクションを求めていない。
水鷹の愛は水鷹自身で完結している。
俺のことを好きな自分が好きだと口にしたように水鷹にとって俺自身の気持ちはどうでも良かった。
だからこそ水鷹から恋愛的な要素を感じ取れなかったけれど求められないことに俺は無意識に安心していた。
矛盾していた。
俺の立ち振る舞いによって水鷹が俺に向ける感情が変わらないと思えることが嬉しかった。
だから、水鷹の俺への反応が変わるかもしれない要素は排除しなければならないと思いつめていた。
変化は俺にとってよくないことをもたらす兆候だという思い込みがあったのかもしれない。
自覚したあの時は心の底から実るはずのない恋だと思っていた。
水鷹の中に好意はあっても恋なんて今までずっと見当たらなかった。わからなかった。
それは俺自身が水鷹の言葉を受け取るだけの気持ちの余裕がなかったのかもしれない。
聞き流すことの方が楽で延々と生ぬるい場所で被害者ぶって人を傷つけていくことを開き直って過ごしていた。
遠回りをしたけれど両思いであるのは疑いようがない。
水鷹の熱情を俺はもう受け流せない。
俺は自分の弱さを痛いぐらいに知っていた。
逃げ続けて本当の自分がなんであるのか分からなくなった時。
情けなくて恥ずかしくて自分が嫌になった日。
自分の居場所、自分の名字、自分の帰るべき家。
それはどこであるのかハッキリと口に出すのを迷ってしまったそんな時でも瑠璃川水鷹はきっと何一つ変わらない。
俺の誤魔化しも戸惑いも苦しみも悲しみも悔しさも全部を気にすることなくそばにいてくれる。
ただ好きだという理由だけで俺の隣にいることを選んでくれる。
水鷹の行動は俺を思ってのものじゃない。
自分がそうしたいから、俺のために行動する自分が好きだという理由で水鷹は動く。
本人が口にするように見返りは何もない。
あるいはすでに得ている。
俺のために行動できた自分に満足している。
目的と手段が一致している。
自分の遺伝子的な父を考えれば藤高という名前を名乗るのは山波の家を冒涜しているように感じる。
だが母が山波の子だと主張するので不安に覚える俺がバカみたいになるし、富士の姓に戸惑えば富士さんが淋しがる。
身の置き場に困ったら他人と触れ合うことが嫌になる。
そんな変に張りつめた俺の空気を水鷹は簡単に壊してくれていた。
好きで神経を尖らせていたわけじゃないと読み取って笑いながら緩く行こうぜと遊びに誘う。
水鷹がバカでバカでバカだけどそのバカさ加減に救われるし、快楽主義者で性欲魔人なクズで他人の気持ちを考えない最低なやつだと思っても離れられない。
他人の気持ちを考えないクズでも俺の気持ちは考えようとするバカな親友を憎めるはずもない。
当たり前だが水鷹に俺の気持ちを一から十まで説明をしたことはない。そんなことはきっと俺の性格からして死んでも出来ないかもしれない。それでも何だかんだで感じ取って水鷹は重い荷物を軽くしていってくれる。そうすることが当然だという顔で隣にいてくれる。
俺が水鷹に甘いのは水鷹が俺に甘いせいでもある。
間違いなく俺たちの中には言葉がなくても通じるものがある。
それを友情と呼んでも愛情と呼んでもなんであってもいい。
一方通行にならない双方向な思いやりがある。
藤川零に謝るのが当然だと思っても謝り続けるのは砂を噛むようなもので俺の心境は針のむしろだ。
苦痛を受け入れるのが贖罪かもしれないが心のどこかで理不尽だとも思っている。
勝手に惚れられて付きまとってきた相手を利用していたらいろいろと画策されてハメられかけた。
自業自得ではあるけれどなぜ俺だけが謝るのかと心のどこかで思っている。
俺の中の飲み下せないものを見抜くかのように水鷹は俺の口を塞いだ。
理解は後からやってくることが多いが水鷹の行動が俺を庇うものであるのはわかる。
俺が望まないでいることをしないでいいように水鷹が気を回すのは今回に限ったことじゃない。
謝罪の言葉を口にすればするほどに俺が情緒不安定になると察したんだろう。
息苦しかったはずなのに俺は水鷹の体温を背中に感じてどこかリラックスしている。
同時に俺の心の動きがレイを傷つけていることも知っている。
俺と水鷹のわかりあっている姿を見るのがつらいのだと潤んだ瞳が言っている。
それでも水鷹が言ったように水鷹は水鷹でレイはレイだ。
俺はレイに恋愛感情は持たないし、レイの思ったようには動かない。
「会長にならない程度のことで藤高の魅力が下がるようなことを言ってんじゃねーよ。会長になろうがならなかろうが藤高はいつでも最高に格好いいだろ」
いつものように俺を過剰に褒めて持ち上げる水鷹だがその言葉のひとつとってもレイの俺に対する持ち上げ方の違いがある。
レイは一般的な理想を語る。親衛隊の中で共有しているらしい俺の将来像を語る。
水鷹はいつだって水鷹の中での俺の話をする。水鷹の理想というよりも水鷹の目に映るものを語る。水鷹から見た俺がどれだけ魅力的かを語る。
俺はなんだかんだで水鷹に褒められるのが嫌いじゃない。好きな相手に認められることが嬉しくないわけがない。
水鷹が特別だから水鷹の言葉が嬉しいのではなく水鷹の言葉を嬉しいと思えるから水鷹を特別だと感じるのかもしれない。
卵が先か鶏が先かはあまり意味がない。
卵はやがて鶏になるし、鶏はやがて卵を産む。
問題は俺だけが特別な相手とそれ以外を区別する誰でもしていることで批難されているおかしな状況だ。
かすれた声を水鷹は咳払いで整えて「この学園の会長になるのが今後の人生で有利に運ぶ手札になるのは間違いない」と認めながらも「で、それが何だって言うだ」と引くことがなかった。
「今後の人生で藤高が苦労してもそれは藤高の決めた事として藤高が責任とるかもしれないが、無理やり会長に押し上げて藤高が覚える苦痛の代償に見合うものがあるのか?」
「そんなに会長職は苦痛ですか」
呆然とレイは俺を見る。
生徒の代表になるなんて楽勝だと信じて疑わなかったんだろう。
水鷹に出来ることが俺に出来ないわけがないとも思っているのかもしれない。
それとも親衛隊長として水鷹をフォローしているその姿がすでに会長のようなものだとでも感じたのかもしれない。
生徒会長になればパーティーなんかに出席義務ができる。
学園の代表としてOBと顔を合わせなければならない。
そこには場合によっては母も来るだろうから煩わしいことこの上ないし、母を説得して黙らせるのもまた俺の役目になってしまう。
母と絶対に顔を合わせたくないわけじゃないがタイミングは自分で決めたい。
会話どころか顔を合わせることが苦痛すぎるときだってある。
会長になったら好き勝手に逃げ続けるわけにもいかない。
向き合っていかなければならない。
責任とはそういうものだ。
「自分の気持ちを優先して藤高に似合うのはこの服だなんて決めつけは最悪だ。藤高はたとえ裸でもふんどしでも拘束具つけてようが縄で縛られてようが最高に決まってんのに」
後半は欲望がダダ漏れになっていた。
俺のことを縄で縛りたいと思っていたなんて初耳だ。
「藤高が会長どころか高校を中退して最終学歴が中学だっとしても藤高は藤高だ」
勝手に学校を辞めることになっている。
水鷹の発想の飛躍はいつもどうかしている。
「藤高がホームレスになっていたらおまえは藤高が嫌いになるのか? 愛が冷めるのか? その程度か?」
「僕は、フジくんが路頭に迷っていたらもちろん助けますっ」
「助けてどうする? 最後まで面倒見れるか?」
「み、みれます。フジくんのために僕が働きます。僕がフジくんを養うっ」
なぜかキラキラと輝く瞳で俺を見てくるレイは催眠による暗示がかかりやすいタイプだ。
宗教にも洗脳されそうだ。
親衛隊というある種の宗教団体にハマっているのですでに手遅れかもしれない。
社会に出て仕事よりも職場での派閥争いにがんばってしまう本末転倒な人種に違いない。
自分から率先して腰ぎんちゃくどころか下僕になりたがる人間の未来は暗い。
「藤高のためならなんでも出来るか?」
「できますっ。殺人だってなんのそのです!」
ダメなことを自信満々に口にするレイは短い間に水鷹に精神を汚染された。
元々の素養があったにしても感染力が強い。
人をダメにするには水鷹と話をするだけでいいらしい。恐ろしい。
恐ろしく使える。
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