1 / 13
第1話
愛用のデスクに突っ伏して、雲越ほづみはありったけの悪口を心の声で叫び、没になったばかりのデザイン画に思いを馳せていた。
決して、悪い出来ではないはずだ。
十代向けのジュエリーを専門にデザインしている同僚の水谷より子は、ほづみの新作デザイン案をべた褒めしていた。
ゴールデンレトリバーを連想させる、元気溌剌とした若き営業マンの大友圭太も、相変わらずすばらしい仕事ですね! とにっかり笑ってくれた。
ジュエリーブランド《sparkle》の社長であり、後輩の氷室真継も、没にするのは勿体ないと頭を抱える始末。
デザインをした当のほづみに至っては、モチベーションを維持できずに、落っこちた崖の下でもんどり打っていた。
「そうだ、悪くないはずだ。そもそも、この俺のデザインを却下するなんて、余所から来たくせに生意気なんだよ」
四十を迎えたばかりの大人の発言ではないが、他に誰もオフィスには居ないので問題ない。
《sparkle》には、十代向けの女性向けシリーズの《straw》と二十代前半の女性に向けた《berry》の二つの生産ラインがある。
ほづみは、《berry》を担当するジュエリーデザイナーだ。
気むずかしそうな外見とは打って変わり、ほづみがデザインする大人可愛いジュエリーは、カジュアルでもフォーマルでも使いやすいと人気が高い。
「あの、悪魔め」
唇を噛みしめ、ほづみはガンガン机を叩いた。
「駄々をこねる子供みたいな、幼稚な八つ当たりは止めてくださいよ。ほづみさん、もう四十なんでしょ?」
甘いミルクとキャラメルの匂い。珈琲はブラックと決め込んでいるほづみには、悪魔の飲み物としか思えないキャラメルマキアートの香りを引き連れ、オフィスに背の高い男が入ってきた。
春先に、氷室が見つけてきた、マーチャンダイザーの新見遼だ。
齡、三十五。まさに男盛りの遼は、モデル顔負けのイケメン面でほづみをだいぶ高い位置から見下ろしてくる。
「四十だろうと、五十、六十だろうと、腹が立ったら机を叩くもんなんだ」
「なんですか、へりくつですか? まあ、なんだっていいんですけども。早く、僕が納得できる新製品を出してくださいよ。ほづみさんは、《sparkle》の、人気デザイナーなんですよね? さくさく頑張って貰わないと、僕に仕事が回ってこないんですよ」
にやにや笑いながら珈琲カップを傾ける遼に、ほづみは「わかっている」と中指を立てた。
「新見。何度も言ってるだろう? 名前で呼ぶな」
「さん、ってちゃんと敬称つけているから良いでしょ。気にくわないなら、僕のことを名前で呼んでくれたって構いません」
むしろ、呼んでください。
冗談なのかお願いなのか分からない遼の返答に、ほづみは舌打ちをして、パソコン画面に向き直った。
スリープ画面に映る仏頂面を追い払うよう、タブレットペンを乱暴に振った。
「僕のお願い聞いてなかったんですか? これ、《berry》シリーズの新作デザインでしょ」
背後にぴったりと立つ遼にイライラと膝を揺らし、ほづみは頭の中にあるデザインを画面の中で形にしてゆく。
「新参者の提案のせいで、作業が押しているんだ」
「上手くできない理由を、僕のせいにしないでくださいよ。差し入れの珈琲、あげませんよ」
デスクの上に散らばったスケッチを手早くまとめ、できた空間に置かれた紙袋を見て、ほづみは「ぐぅ」と唸った。
オフィスが入っている商業ビルの一階に、店舗を構えている珈琲ショップの紙袋だ。
キャラメルの匂いで分からなかったが、袋の中から、ほづみが好んで注文する豆の香りがふんわりと漂った。
「そんな、お預けを食らった犬みたいな顔しないでくださいよ。ほづみさんのために買ってきたんですから、ありがたがって飲んでください。僕、苦い珈琲は飲めませんしね」
遼は紙袋に手を突っ込んで、マカダミアナッツを練り込んだソフトクッキーを取り出した。
「僕とのお仕事も、順調にこなしてくれると嬉しいんですけどね」
「嫌味か?」
「やだなぁ、僕なりにほづみさんを励ましているんですよ」
甘い匂いを漂わせ、遼は自分のデスクへと歩いて行った。
(なんなんだ、あいつは)
気持ちとして、嫌味と一緒に差し入れられたブラックコーヒーなんぞ、思いっきりシンクにぶちまけたかった。
珈琲一杯で機嫌を直すチョロい相手と思われては、最悪だ。
(まあ、いい。仕方ないから、飲んでやる)
渋々といった素振りを作って、ほづみは紙袋から珈琲カップを取り出した。
ふわり、ふわりと漂う珈琲の芳しい香りに、口元がついつい緩む。
「ご機嫌そうだな、雲越」
「あぁ~! 冷房効いてる。最っ高! ただいまです、雲越さん!」
遼に続いてオフィスに入ってきたのは、社長の氷室と営業の大友だった。
学生の初々しさが残る大友は、ぱんぱんに膨れたショルダーバッグを抱え、遼の隣に置いたデスクへ走って行った。
フライングディスクを追い掛ける犬のようだ。なにか、大きな仕事が取れたのかもしれない。
「氷室。お前には、俺がご機嫌で珈琲を飲んでいるように見えているのか?」
「ご機嫌じゃあなかったのか?」
ネクタイを緩めながら、氷室がほづみのパソコンを覗き込む。
氷室は、ほづみの後輩だ。
三歳ほど年の差があるものの、ほづみと氷室の関係は昔から過ごしてきた幼馴染みのように気楽なものだった。
公の場でなければ敬語は使わないし、対等に口論もする。
《sparkle》の創業以来、辛すぎる時期を共に駆け抜けてきた氷室はほづみにとって、かけがえのない戦友だった。
「なあ、なんで俺はあいつを納得させなきゃいけない?」
氷室との会話を盗み聞きするように、時折向けられる遼の視線を無視して、ほづみは続ける。
「自分で描いたものだからいうが、悪くないデザインだった。市場に流通させる価値はある。マーケティングが上手くいけば、ヒットは間違いないだろう」
氷室は「困った」と顔をしかめて、顎髭を掻いた。
「なあ、氷室。どうしてだ? あいつがいなくたって《sparkle》のジュエリーブランドの名は上げられる。今まで通り、《straw》と《berry》でいいじゃないか。他は必要ない」
いまも、新作はまだかと待ち焦がれられているブランドだ。新境地に手を出すには、まだまだ早いとほづみは思った。
「デザイン画をことごとく没にされて、新見のことが嫌いになったのか?」
「子供扱いするんじゃあない。だいたい、新見はひと目見たときから嫌いだ。没は関係ない。仕事ができる奴じゃなかったら、追い出してやるのに」
ほづみは苦いブラック珈琲を、ちびちびと舐めるように飲む。
猫舌なので、自分で珈琲を買う場合はぬるめに頼むのだが、遼が差し入れてくれたものなので熱かった。
「駄目なものが、駄目と没にされるのは当然だ。俺には何処が駄目なのかわからないが、新見はとにかく気に入らないらないようだ」
「くそったれ」ほづみはどくついて、とりあえず目の前の仕事に手をつける。
《berry》のデザインに、新見は関わっていない。チェックのために速水の目は入るが、ほぼ、ほづみの独断で決定できる。
ストレスの低い仕事は、精神安定剤だ。
「どこが、お気に召さないのかね。水谷君と進めている男性向けブランドは、なかなか上手くいっているようなんだけどね」
「知るか!」
ぶっきらぼうに答えると、速水は「怒るなよ」と笑ってデスクに戻っていった。
まるで、自分だけが仕事のできない新人のような気分だ。腹立たしくて、たまらない。
「くそったれ、見てろよ」
ぐうの音も出ないような新作を、必ず付き出してやる。
パソコン越しに遼を睨み付け、ほづみは苛立ちを腹の底に押し込めた。
◇◆◇◆
「ねえ、新見さん。《sparkle》の新ブランド。上手くいっています?」
「水谷さんとのメンズ向けはね。とても順調だ。もうすぐ、サンプルがあがってくるよ。売り込みかいのある作品だよ、圭太くん」
大友は《sparkle》の商品カタログが詰まったショルダーバッグを床に降ろし、一息ついてから「わくわくしますねぇ」と無邪気に笑った。
人好きのする屈託のない大友の性格は、営業としてとても優秀な人材だった。
「不思議なんですけど」
大友はパソコンに齧り付くようにして作業をしているほづみをちらちら気に留めながら、遼を上目遣いに見上げた。
「雲越さんのデザイン、どこが悪いんですか? 僕が見る限り《berry》よりも大人っぽくて、新見さんが掲げるコンセプトもクリアしていると思うんですけどね」
「べつに、悪くはないよ。気に入らないだけさ」
「なんですかそれ、虐めですか?」
「人聞きの悪い。僕の思いは、愛の鞭ってやつですよ。ほづみさんには、うまく伝わっていないようですけど」
大友にも、いまいち上手く伝わっていないようだ。難しい顔をして小首を傾げる仕草に、遼はどうしたものかと溜息を零した。
「悪くはないんです。さすがは、ほづみさん。僕が惚れ込んだだけはある。四十なのに、感覚はとても自由で若々しい。素晴らしい才能ですよ。……けれど、僕が求めているレベルに達していない。今までと同じ物では、駄目なんですよ」
真剣な眼差しを向けてくる大友に、若干の気恥ずかしさを覚えつつ、遼はキャラメルマキアートを飲み干した。
「新見さんは、雲越さんに何を望んでいるんですか? 雲越さん、見たとおりの天才肌だから、きちんと言わないと伝わらないと思います」
的を得た意見だ。遼は「圭太くんの言うとおりだ」と頷いて、ほづみを見やる。
「あの人、圧倒的に色気が足りていないんです」
人差し指を突き付けて訴えたくなる衝動を抑え、遼は代わりに大友の両手を取って握りしめた。
「圭太くん、ほづみさんに色気を出させるには、どうしたら良いだろう?」
いつまでも、転機が訪れるのを待ってはいられない。期日は、刻々と近づいてきている。
「色気……ですか? まあ、たしかに雲越さんって、女っ気がまるでないですよね。黙っていれば、そこそこカッコイイのに、どうしてだろう」
「女、ですか」
もう、藁にも縋る思いだ。
遼はポケットから手帳を取り出し、とある電話番号をスマホに打ち込んだ。文字
ともだちにシェアしよう!