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第2話

「気分転換に、飲みに行きませんか」  大友の言葉に騙され、ほづみはキャバクラのふかふかとしたソファーに座っていた。 「帰っていいか?」 「駄目ですよぉ、来たばっかりじゃないですか。ほら、まずは一杯。飲みましょうよ、雲越さん」  右隣に座ってハイボールを作る二十代半ばの美女、美優は怒髪天のほづみに脅えつつ、マドラーを手慣れた手付きでくるくる回した。  正直に言えば、アルコールの類いはあまり得意ではない。全く飲めないわけではないが、苦手だ。 「美女の酒が飲めないなら、僕がいただいてしまいますよ」 「うるさい、黙れ」  左隣に座る遼の手を払って、ほづみはたっぷりの氷で、でギンギンに冷えたグラスを持つ。   「グラスは行き渡りました? では、カンパーイ」  遼の知り合いらしい、年配のキャバ嬢が音頭を取って、ハイボールのグラスが軽い音をたてた。 「なんで、キャバクラなんだよ。飲み会なら、居酒屋で充分だろ」  意識的に体を寄せてくる美優から逃げるよう、ほづみは体を縮こませ、立っても座っても頭一つ分ほどの身長差のある遼を睨んだ。 「ほづみさんは、僕にお酌して貰いたかったんですか?」 「――んなわけないっ!」  つまみのナッツをボリボリ囓りながら、ほづみはハイボールを飲んだ。 (濃いな)  一口だけ飲んで、グラスをテーブルに置いた。  飲んでも店には行かずに自宅で一人ちびちびと飲むので、必然、アルコール分は薄くなる。  喉元を通り過ぎていったウイスキーにくらっと視界をゆらしつつ、ほづみは構ってこようとする美優を押しのけ、オリーブを抓む。 「嫌だなぁ、ほづみさん。色気より食い気なんですか? 折角、きれいどころを集めて貰ったのに、つれないじゃないですか。ねぇ、美優ちゃん」 「私、オジサマも好きですよ?」  満点をつけたくなる営業スマイルだ。大友はすっかりその気になって騒いでいる。速水に首根っこを押さえられていなければ、キャバ嬢に食いつきそうな勢いだ。 「ふふ。皆さん、ストレスがだいぶ溜まっているのねぇ。年の差なんて、気にしないで楽しんでくださいよぉ」  ほづみのあからさまな嫌悪感もなんその、美優はしなを作ってくびれた腰を寄せ、甘い匂いを擦りつけてくる。 「新見、席を代われ」 「どうしてです? 若い子に言い寄られて照れているんですか?」 「照れているように、見えるのか? ……苦手なんだよ、こういうの」  震えを誤魔化すよう、ほづみはグラスを手に取り、息を止めてハイボールを呷った。  せめてもの礼儀だ、飲み干したら立ち去ろう。  ほづみの魂胆がバレていたのか、偶然か。がんばって空にしたグラスを遼が手早く片付け、美優が新しいハイボールをコースターの上に置いた。   「の、飲まないぞ」  手の甲で唇を拭うほづみに、遼は「へぇ」とにんまり笑った。  女顔負けの美しい顔のせいか、アルコールによる誤作動か。ほづみはどきっと跳ねる胸を押さえた。隣では、美優が感嘆の吐息を零している。 「ほづみさん、もしかして、お酒飲めないんですか?」  「うるさい」  近づいてくる遼に、さらに体を寄せてくる美優。  押しつけられる柔らかい乳房の感触は、ほづみへの過剰なサービスというわけではなく、薄暗い店内でアルコールに色付いた遼の色気にやられているのだろう。  ほづみはイライラと唇を噛んで、目の前に置かれたハイボールを一気飲みした。 「オジサマ、ペース早ぁい。大丈夫?」 「俺は、帰る」  喉から這い上がってくる炭酸に軽くゲップをし、腕にぴったりとくっつく美優を引きはがし立ち上がった。  ぐらっと頭が揺れるがなんとか踏ん張り、トイレを探す。立て続けに一気に飲んだのか、若干気持ちが悪い。  路上で吐くよりは、トイレで済ませておきたい。 「帰るって、まだ来たばかりでしょう。まだ二杯しか飲んでいないのに、ふらついちゃって。危ないですよ」  美優を押しのけボックス席から出たものの、真っ直ぐに歩けない。 「お供しますよ、ほづみさん」 「やめろ、大丈夫……だか、らっ」  後ろから抱きつくようにして、体を支えられる。  振り払おうにも、女のようにそう簡単にはいかない。しっかりと手首を押さえられ、身動きを封じられたほづみは、引き摺られるようにして男性トイレへと連行された。 ◇◆◇◆  水音が、胃の中にある不快感を洗い流してゆく。  ほづみは口を水でゆすいで、ポケットから取り出したハンカチで口を拭った。 「ハイボール二杯で、酔っちゃうなんて」 「うるさいな」 「弱いなら弱いって、言ってくださいよ。意地を張って無理矢理飲んでも、辛いのはほづみさんだけです」 「うるさいな!」  ぎゅっと蛇口を閉めて、ほづみは遼を振り返った。 「俺のことが嫌いなら、嫌いって言えよ。よりにもよって、こんな店に連れてくるなんて」  ほづみは右腕に残る美優の柔らかい感触を拭うよう、ぎゅっと掴んだ。 「速水にでも聞いたのか? 俺が女嫌いなこと」 「女の子、苦手だったんですか?」  きょとん、と無防備な顔を見せる遼に、ほづみはしまった、と俯いた。  動揺と、吐いても残っているアルコールで顔が火照ってゆく。 「虐めたくて、ここに来たわけじゃありませんよ。デザインの切っ掛けになるかもしれないと思ったんです。まさか、ほづみさん。女性に縁がないのではなく、苦手だったとは」 「どういうことだ、新見。キャバクラが、どうしてデザインの切っ掛けになるんだよ」  遼はどうしたものかと視線を泳がせ、意を決したように頷いた。  社長の速水が遼をマーチャンダイザーとして引き抜いた切っ掛けと言っていた鋭い視線が、ほづみを真正面から射貫いた。 「僕、ほづみさんにもっと色っぽくなってほしいんですよね」 「……は、はぁ?」 「まあ、そんなに身構えないで僕の話を聞いてください」  困惑するほづみに構わず、遼は一歩、一歩と距離を詰めてくる。気付けば、ほづみは壁際へと追い詰められていた。 「話は、聞いてやるから。離れろ……近いぞ!」  遼はほづみの抗議に耳を貸さず、吐く息が絡むほどの距離で囁いた。 「ほづみさん。実のところ、僕が《sparkle》に引き抜かれる前からスランプだったでしょ?」  閉じ込める両腕を払おうとして、ほづみは動きを止めた。遼の視線に捕まらないよう、明後日の方へ視線を向ける。 「逃げないで、聞いてくださいよ」  が、大きな手に顎を捕まれ正面に向けられる。 「ちがう。少なくとも、お前が来るまでは全部順調だったんだ」  モデルのように綺麗な指に噛みつこうとして、逆に顎の関節を押さえ込まれ、ほづみは痛みに呻いた。 「はなへよっ!」 「順調? 本当に? ほづみさん、あなた。そこそこのものばかり作ってきて、目が曇ってしまったんじゃあないですか?」 「に、新見?」  クールビューティーながらも、人受けの良い柔和な雰囲気は、一切ない。  ほづみを見下ろす遼の視線は鋭く、やけに感情的で。女だったら腰を抜かすほどに野性的に滾っていた。 「俺が、スランプ? ふざけるなよ。そこそこのものだって? 馬鹿にするなよな!」  恐怖を感じているのだろうか。タイル地の壁に押しつけた背中が、ゾクゾクと震えていた。 「ねえ、ほづみさん。本当は、わかっているんでしょう? 自分のことですものね。僕以上に、わかっているはずだ」  子供をあやすような遼の声音に、ほづみは「離せよ」と涙声で呻いた。 「もう、限界なんでしょう? 今のステージに留まり続けてゆくのは。《berry》の新作が出る度、僕は胸が張り裂けるような思いだった」  ほづみは必死になって逃げだそうとするが、体格差で上回る遼に抱き込まれ、身動きができない。 「勝手なことをいうなよ。《berry》はまだ、支持を集めている。もっともっと、これからも売れる」 「ええ、そうでしょうとも。ほづみさんはこれからもそつなくこなせるでしょう。でもね、それが僕は嫌なんですよ」 「――にいみっ」  吐息が絡み、舌が絡まる。  どういうわけか、キスをされている。  反射的に噛みつこうとしするも、顎を捕まれ、抗えない力で壁に押しつけられる。 「や、やらっ……に、みっ」 「んっ、ほづみさんの唇、柔らかいなぁ。女の子みたいだ」  唇を啄まれ、息継ぎのために口を開ける都度、差し込まれる舌が歯列を蹂躙してゆく。 「もしかして、あまりしたことないんですか?」  吐息と一緒に染みこんでくるアルコールの匂いに、目の前が曇ってゆく。  ろくに抵抗のできないほづみに、遼は遠慮の欠片もなく、むしろこれ幸いといった勢いで唇を貪った。  押さえる必要のなくなった腕の代わりに頬を両手で挟み込み、恋人にするように深く長い口づけを落とす。 「……んぁ、あっ」  あまりにも長すぎる口づけに、酸素の薄くなった脳が思考の一切を手放した。  倒れ込まないよう本能的に新見の背広をしっかりと握りしめることしかできなかった。 「ど、どうか……してる」  堪えきれず、頬に涙を伝わせながらほづみは弱々しい力で遼の胸を押した。 「俺、吐いたばっかりだぞ」 「ツッコミはそこですか? おかしいな。男も孕むほどに僕のキスは良いはずなんですけど。こうなったら、もう一回」 「嫌だっ!」  肩をすくめた遼は、ほづみの濡れた唇を親指で拭った。 「ほづみさん。機嫌を直して、飲み直しましょうよ。《Virgin》のコンセプトは華やかな媚。夜の蝶の鱗粉を浴びたら、なにか良いアイデアがうかぶかもしれませんよ」  ほづみは遼の背広を掴んだまま、俯いた。 「もうすこし、このまま……その……」 「もう少し、何です?」  聞き返してくる遼の横っ面を叩いてやりたい気持ちを抑え、ほづみは意外と分厚い胸板に寄りかかった。 「……腰が抜けて、うごけないんだ」  情けなさを噛みしめ、ほづみはささやかな嫌がらせと、よだれでグジュグジュになった顔を、質の良い背広で拭いてやった。

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