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第20話 教会

 俺がジョシュアに連れてこられた"あの"教会は、家からバスで20分ほど揺られた先にあった。日中はまだ暑い日もあったけれど、朝と晩には、上着が必要なくらいに空気は季節の移り変わりを教えてくれていた。  ジョシュアがシスターに連絡をとって、会いにいく約束をしてくれた。バスから降りて、「教会は?」と聞くと、指で示されたのはいくつもの崖を越えた山の中だった。  そこからはしばらく山登りのようだった。林の中を急な階段がクネクネと続いていて、頼りになるのは細く錆びた手すりだけ。ジョシュアが先に黙々と上っていくので、帰宅部と言えど、若いんだから大丈夫だろうと自分を奮い立たせ、必死でついていく。  階段の途中、途中には、聖書の1場面を表したものであろう、石像が置かれた場所がいくつもあったが、とてものんびり見ている余裕はなかった。  ゼェゼェ息を切らしながら、20分ほど上っただろうか。ようやく「みちるのこ愛護園」とペンキがハゲかかった看板が見えた。隣には立派で大きな教会もあった。  錆びついた門の柵を開けて、ジョシュアは玄関へ進んでいく。俺も離されまいと、息を整えながらついていった。ジョシュアは、すでにインターフォンを鳴らしている。 「……ジョシュアね、おかえりなさい」  インターフォン越しに、落ち着いた女性の声が聞こえてきた。  中に通されるとそこは、木の香りが漂う真新しい園舎だった。外から見た時には、中はかなりボロボロなんじゃないかと思っていたが、新しくてとても温かみのある感じがする。  すぐに黒っぽいワンピースを身にまとい、頭から布をかぶった修道服の高齢女性が現れた。 「お久しぶりです。シスター」 「えぇ、ジョシュアも。活躍されていると聞いていますよ」 「はは、ありがとうございます」 「この園もあなたのおかげですっかりキレイになりました。本当にありがとう」 「そんなことありません。当然のことですから」  シスターは、ハッと俺に気づき、 「あ、この子が……」と、ジョシュアに言った。 「そうですよ、あの赤ちゃんです」 「まぁ、こんなに大きくなって…」  そう言うと俺の手をぎゅっと握った。俺は、「すみません、ここにいた記憶がなくて……」と言うと、「それは当然よ。あなたがいたのはほんの短い期間だったもの。1歳になる前には引き取って育ててくださる方が見つかったものね」と、シスターの皺の多いかさついた手に包まれて、なんだか照れくさい。 「お名前は?」 「島本康(しまもとこう)と言います。高校2年生になりました」 「素敵なお名前を頂いたわね」  そう言ってシスターは、慎ましく微笑んだ。 「あら、立ち話ばっかりして。ごめんなさいね、お部屋に行きましょう」  そうして連れてこられたのは、素朴な机と椅子、だいぶ使い古されたソファーが置かれた応接室だった。 ソファーに腰掛けていると、シスターが氷の入った麦茶を出してくれた。山登りで喉が乾いていた俺は「いただきますっ」と言うとゴクゴクと飲み干した。  シスターは、少し微笑むと、また静かにおかわりを注いでくださった。ジョシュアにも生暖かい目で見られているようで恥ずかしい。いや、すごい坂だったんだよ?!   しばらく麦茶を飲んでいたけれど、ジョシュアがおもむろに話し出した。 「すでに電話でも少し話しましたが、俺が預けられた時のことを詳しく知りたいと思って今日は来ました。最近、俺の祖父という人がヨーロッパの国にいるって言う人が現れたんです。それが本当かどうか調べるためには、俺のルーツであるここに何か親の手がかりがあるんじゃないかと思って。ここで暮らしていた時は一度も知りたいと思いませんでしたが……」 「そうね、高校生になってすぐにあなたは、急にここを出てしまったものね。あっという間に引っ越ししてしまったから、ちゃんとしたお別れもできないままで」 「あの時は、すみませんでした。今の芸能事務所に誘ってもらって。ずっと断っていたんですが、これも何かの縁だと思って飛び込んでみることにしたんです。あの時は勢いだけで、何にも考えてませんでした」  ジョシュアがすまなそうに、話している。シスターは、まるで自分の子どもを見つめるかのような優しい眼差しで見ている。それだけで、なんとなくジョシュアの子ども時代も実の親ではないにしろ、愛情というものが身近に感じられる環境で育ったのだろうと思われて、俺は少なからず感じていた罪悪感が、ほんの少し薄れたように感じた。 「そうだったのね。電話をもらった時からずっと考えていたの。当時のことを知っているのはもう私しかいなくなってしまったものでね。ただ、残念ながらあなたを最初に見つけたのは私ではなかったのよ」  そう言うと本棚から1冊の本を取り出してきた。俺たちの前のテーブルに置かれたそれには「✕✕年6月日誌」と書かれていた。 「あなたがここへ来た時の記録があったの」  付箋がつけられたページを開くと、びっしりとその日あった出来事なんかが記されていて、その中にジョシュアのことと思しき記述もあった。 『梅雨の合間の久しぶりの晴れ間、朝のお祈りをしていると、どこからか赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。シスター総出で外を探すと、園の玄関近くの日陰におくるみにくるまった赤ん坊を発見した。産着の中には手紙あり。まだ産まれて間もない男の子。目鼻立ちもしっかり、ドクターに来て頂いて診察していただくと健康状態も問題なし。その後のことも話し合う。警察に届け出て実の親を探してもらうことにした』 「ジョシュア!手紙、手紙があったって!」 「う、うん。シスター、この手紙はまだ残っていますか」 「あなたたちが、ここに来る前に見つけておきたかったのだけれど、まだ見つけられていないの。警察に提出したとしてもコピーか何かはきっととってあるはずなんだけれど」 「…そうですか」 「事務室や資料室なんかは調べたんだけれど。だから後は地下保管庫かもしれないってほかのシスターとも話していました」 「シ、シスターっ!そこっ、地下保管庫って僕たちで調べてもいいですか」  俺はジョシュアが口を開く前に、前のめりで質問した。  シスターは、少し驚いた表情をしたが、すぐに微笑んで「少し暗いけれど、お二人にお願いしてもいいかしら」と言ってくれた。 ────  そして俺たちは、地下保管庫へ向かった。園舎の奥まった所に目立たないようにある扉の鍵をシスターが開けると地下につながる階段があらわれた。 「じょ、じゅしゅあ、先に行かないで」  シスターから借りたランタンを持って、先に階段をおり始めたジョシュアの背中に向かって、思わず縋り付くような声をかけてしまう。 「どうした?もしかして怖いのか」  ちょっとからかうような口調が、面白くない。 「違うから。ジョシュアが先にどんどん行っちゃうと、俺の足元が見えないんだってば!」  くそう。強がっているように聞こえないといいんだけど。 「わかった、わかった。怖かったな、じゃあ、はい」 と言って、俺の手を握ってきた。 「転ぶと危ないから、一緒におりよう、な?」  くそう。小さい子に言うみたいに言うな!とむくれると「それがかわいいんだって」と笑われた。そして見送るシスターにもフフフと笑われた。  地下に続く階段は暗くて照明がない。しょうがないから、手を繋いでおりてやる。階段をおりた所には、広いコンクリートで囲まれた地下室があった。  さすがに地下室には照明がついていたが、古い本や資料がびっしりと棚に並んでいて、全体的に薄暗い。そしてひんやり冷たい。なんだかゾクゾクッとするな、やだな……。そう思うからか、いつの間にか俺は、繋いでいない方の手で、ジョシュアの腕にぎゅうっとしがみつくようにして、本棚をゆっくり見て回るジョシュアについていった。 「やっぱ怖いんじゃん」 「ちがっ!寒いんだよ」

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