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美しきを愛する者

 南西に位置する景麗(けいれい)楼閣は、人々に芸事を授けた美神仙を祀っている。  四方を湖に囲まれて、岸から楼閣へ渡る廊は存在しない。舟で行くか、泳いでいくか、それこそ飛んでいく以外に方法はない。 「やぁやぁやぁ! 待っていたよ、我が友よ! それで、そちらの美しい人の子は? 君の好い人かい? まったく、君も隅に置けないなぁ。まぁ、まだ君は若いからねぇ。いいと思うよ。むしろ我は大賛成さ。武の奴はうるさく言ってくるかもしれないけど、きっと秀(せんせい)も癒(せんせい)も喜んでくれるさ! 華結びの儀式は行ったのかい? まだなら、盛大にやろう! うちからは反物を持っていくから、それで細君の衣をしたてようじゃないか。護りと、祝福と……あとは、なんだ、家内安全と子宝成就か? まぁ、とにかくいろいろ詰め込めばいいだろう!」 「美仙、五月蠅い」  頬が引き攣るのを堪えきれなかった。  今まで見てきた誰よりも派手な見目に、よく回る口だ。  彼が、いや、彼? 美仙は男なのか?  背は、蓮雨(リェンユー)と同じくらい。衣は、男物と女物を組み合わせた大層個性的な着方だが、とてもしっくりと美仙に当てはまっている。声は、低くもなく、高くもない。女人と言われても納得ができる。 「小花(シャオファ)は、」 「小花(シャオファ)!? やっぱり君の可愛い人なんじゃないか! わぁ、宴の準備をしないと!!」  この人、実は馬鹿なんだろうか。そんな呼び方をすれば、誤解されるに決まってる。  吐き出しそうになった溜め息を飲みこんで、人好きのする笑みを浮かべ、美神仙に拝をする。膝を折り、頭を垂れる、最上級の挨拶だ。 「創世の神仙、美神仙様とお見受けいたします。私は華蝶国が第三皇子・蒼蓮雨(ツァンリェンユー)と申します」  ピクリ、と。それを横目に見た花仙は眉根を寄せる。口元は不機嫌にへの字になっているのだが、頭を垂れている蓮雨(リェンユー)に見えていない。  真正面に立つ美仙には丸見えだった。愉快な気配を感じて、美仙は扇子を開いた内側でにんまりと笑みを描く。 「ふふふつ、ご丁寧に、ご挨拶ありがとう。皇子殿下でしたか。しかしながら、色が――いや、そんなの些事だね。人は誰しも、様々な色彩を抱えて生きているんだもの。皇子殿下にはその美しい蒼と射干玉がよく似合う。その衣は花仙が選んでくれたんだろう。相変わらず趣味がいいねぇ! ただ、もうちょっと装飾品があってもよくないかな。簪ひとつでは物足りないかと、」 「あー、はいはいはいはい。わかったから、ちょっと黙ってくれ。帰ったら指輪のひとつでもやるさ」 「ただの指輪じゃいけないよ? 繊細で、ほっそりとした指先だからねぇ、そうだな、金よりも銀で、細い環のほうがいいだろう。宝石は瞳の色と合わせて蒼……あ、ただの青じゃあないぞ。空や海の深みのある濃い藍色か、瑠璃色もいいねぇ」  いつの間にか大股一歩で目前に立った美仙は、躊躇うことなく蓮雨(リェンユー)の白い手を掬い上げ、爪の形を吟味して、指の付け根や関節を撫でてじっくりと見ていた。頭の中で、数多ある宝石の中でもっともこの手に似合うものはなんだろうか、と思考の海に耽ってしまっている。  この手を振り払うわけにもいかず、どうしたものかとなんとなしに花仙を見た。花仙を見て――物凄い形相をしている彼にギョッとする。 「……おい、いつまで小花(シャオファ)に触れているんだ」 「うーん……瑠璃もいいけど、碧玉も捨てがたいな」 「……いい加減に、しろ!」  術にも満たない仙気の塊が、寸分違わず美仙の華やかで目映い顔に向けて放たれる。 「お、っと。危ないじゃないか。よほどその子がお気に入りのようだ。ねぇ、花仙」 「俺に捧げられたものなのでね。あまりちょっかいをかけないでもらいたい」 「あーあ。いいなぁ。我も皇子殿下みたいに綺麗で美しくて可愛らしい子が欲しいなぁ」 「ふふん、羨ましいだろう」 「心底羨ましいに決まってるだろ」  いつの間にやら、花仙の腕の中に閉じ込められていた。 「お前も、そうやすやすと触らせるんじゃない。はぁ、まったく……美仙の仙気がこびりついているじゃないか」  眉を顰め、恭しく美仙に撫でさすられていた方の手を取られ、羽織の袖で汚いモノでも拭うかのように執拗に拭われる。 「こぉんな美しい我の仙気をまるで邪気のように扱うじゃないか。皇子殿下、そいつに飽きたらいつでも我の下へおいで。皇子殿下なら歓迎するよ」 「誰がやるか」 「君に聞いてないっての」  だんだんと剣呑な雰囲気へと変わっていくのが身をもってわかる。空気が重たく、彼らから溢れ出た仙気がバチバチと火花を散らしているのだから。  ぱち、ぱちっ、と目と鼻の先で火花が散るたびに、当たるんじゃないかと気が気がじゃなかった。 「……もしかして、仲、悪いんですか?」 「別に、普通だ」 「とぉっても仲良しさ」  言っていることと纏う雰囲気が伴っていないのだが、気づいていないんだろうか。 「か、花仙。用事があって、赴いたのですよね。早く、本題に入りませんか。あまり長居してもご迷惑でしょうから」 「……ん、そうだな」  眉を寄せた蓮雨(リェンユー)に肩を竦めて見せた花仙はパッと仙気を霧散させた。美仙も、無駄な争い事は面倒だし避けたかった。花仙が仕掛けてこないのなら、美仙も争う理由はない。 「ごめんね、怖かったよねぇ。お詫びに何か欲しいものは無い? 反物でも、装飾品でも、なんでもいいよ」 「いらない」 「……私が、何か貰うわけにはいきません。ところで、お話しはここでされるので?」 「あ」と今気づいたと言わんばかりに、美仙は微笑みで誤魔化した。立派な門が前ではあるが、椅子もなければ卓子もない玄関先である。話をするには少々、いや、かなり向かない。 「茶室に行こうか。ついでに美味しい茶と、茶菓子を持ってこさせよう」  ぽん、と扇子で手のひらを叩いた美仙はさっさと踵を返して屋敷内へと入っていく。  置いて行かれる前に着いて行こうと、未だ抱きしめられたままだった花仙の腕の中から抜け出そうとしたが、がっちりと肩を抱かれて開放する気配がない。  つんつん、と白い羽織をつついてみるが、への字口のまま花仙はムスッとしている。幼子のように拗ねた様子で、蓮雨(リェンユー)を抱きしめたまま歩き始めてしまうではないか。美仙に触れられていた手もすっと握りしめられたままだし、もしかすると、花仙はに独占欲やら執着心を発揮するのだろうか。 「……私は、何処にも行きませんよ」  美仙のしゃらしゃらとした後ろ姿を視界に納めながら、そっと花仙にだけ聞こえるように呟いた。何処にも行かないし、行けない。今帰ったところで、罰に処されるだけ。それなら、花仙の元で花を咲かす方法を探したほうがずっといい。 「あんなにも、母の元へ帰りたがっていたじゃないか」 「今だって、母上の元へ行けるのなら行きたいです。でも、行けないじゃあありませんか。だから、私は何処へも行けません」 「……ふんっ、傲慢だな」 「知っています。人は、いつだって傲慢なんです」  何処にも行かせない、とでも言うつもりだろうか。握りしめられた手が、ぎりぎりと軋んで痛んだ。  この人も、案外寂しがり屋なのかもしれないな。私には関係のないことだけど。

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