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第1話
「いよいよだ⋯⋯」
僕は大きく息を吸った。目の前には同じような扉が並んでいる。体育館では、半日かけて部活動の説明会があり、もらったパンフレットを何度も読み直した。
私立清涼学園高等学校。伝統ある男子校で校風は自由。
従兄の母校で、しょっちゅう楽しかったと話すものだから、進学するなら清涼学園がいいと思っていた。
入学出来たら真っ先に部活に入ろう。なにしろ、清涼には文芸部がある。誰にも見せたことはないけれど、僕は小説を書くのが好きだ。入部を励みに辛い受験勉強も頑張れた。
バタバタと階段を駆け上がってくる音がする。振り返って目が合うと、綺麗な瞳が飛び込んできた。
「あ! 君も星が好きなんだね。俺もなんだ!」
「へ? ちょっと待っ」
終わりまで言うことも出来ず、いきなり手を掴まれる。
長身の男子はバン!と扉を開けて、僕の手を掴んだまま部屋の中に飛び込んだ。
「すみません! 天文部に入部希望ですッ」
よく通る声が耳元で響いて、椅子に座った先輩たちが一斉に振り返った。
「⋯⋯ごめん。本当に、悪かった⋯⋯」
「あはは。いいよ、全然知らなかった世界だから、逆に興味がわいてるし」
「あの時、部活動案内のパンフ握ってただろ。同じ1年だ、星が好きな奴がいるんだ!って勝手に舞い上がっちゃって。まさか、隣の文芸部を探してたなんて思わなかったんだ⋯⋯」
「うん、そうだと思った」
僕の前で、黒いフレームの眼鏡をかけた男子が、しょんぼりと肩を落としている。
サラサラの黒髪が襟元で揺れ、広い肩にドキンと胸が鳴る。フレームの下の瞳は澄んでいて、星のように綺麗だ。彗 の端正な顔に時々見惚れていることを、僕は知られないようにするのに必死だった。
藤木 彗 。
偶然にも同じクラスだった。彗は大の星好きで、周りから天文オタクと言われている。付属の中等部時代から、ちょっとした有名人だったらしい。
「大丈夫。天文部も結構楽しいよ。みんな優しいし、彗が色々教えてくれるし」
確かに、僕が入ろうと思っていたのは隣の文芸部だった。でも、待ってましたとばかりに天文部の先輩たちに取り囲まれ、気がついたら名簿に名前を書いて、入部届を出していた。何よりも、ものすごく嬉しそうな顔で僕を見つめる彗の前で、違うとは言い出せなかったんだ。
あれから僕たちは仲良くなって、名前で呼び合うようになった。
彗 と文月 。そう、僕の名は神谷 文月 と言う。僕はずっと、入部の理由を「天文部なんて珍しいと思ったから」で通していた。
入部から二か月が経った今日、部室には僕たちが一番乗りだった。
「そういえば、文月は何で、星が好きになったの?」
彗が不意にそんな質問をするものだから、咄嗟に答えが返せなかった。何となく、もういいかなと思う気持ちもあって、彗に会った日のことを話した。星には特に興味がなかったこと、実は文芸部に入ろうと思っていたことを。彗は呆然として、頭を抱えて椅子に座り込んだ。
「⋯⋯本当に、ごめん。俺、いつもこうなんだ」
「えっ?」
「自分の好きなことばかり夢中で話して、相手の話を聞かないって言われる。文月は優しいから、どんな話をしても、いつも静かに聞いてくれるけど」
「⋯⋯そんな。わからない時はあるけど、楽しいよ」
上手く言葉を見つけられない自分がもどかしい。僕は彗の話す姿が好きだ。大半は僕の知らないことばかりだけれど、星の話をしている彗は、夜空の星みたいにきらきらしている。
彗が黙り込んでしまったので、僕は慌てて、開いていた本を指さした。
「あのさ、さっき言ってたこと、もう一度教えてくれる?」
「え? ああ、視差 のこと?」
「うん」
彗がそばにあったノートを開いて、真ん中に丸を書いた。さらには、手前の右側と左側に、それぞれ小さな三日月のマークを書く。丸と二つの三日月を見ると、線の無い三角形に見える。彗は、三日月のマークの右から左へと、さらに矢印を書いた。
「この白い丸が地球で、三日月が月だとする。右から左へ月が動いて、それぞれの地点から地球を見るとね。右の時と左の時。方向が違うから、見え方が違う。これを視差って言うんだ」
「視差⋯⋯」
「そう、同じものを見ていても、方向が違う。これが視差で、英語ではパララックス。カメラのファインダーを見た時と実際に写真に撮った時に、見えていたものが少しずれることがあるだろう? あれも視差なんだ」
彗の言葉に突然、胸の奥がぎゅっと痛んだ。
同じ星を見ていても見え方が違う。同じものを見てるつもりでも、ずれが生じる。
何だろう。何だかとてもやるせなくて、もどかしい。思わず口に出した言葉は自分でも、思いがけないものだった。
「でも⋯⋯。でもさ、視差があっても、同じものを見てるんだよね?」
「うん、見てるものは同じだよ。ほら、右の月も、左の月も。同じ地球を見てるんだ」
同じものを見てる。そう聞いた瞬間に、心がほんのりと温かくなる。
彗が僕の顔をじっと見た。
「そうだ、文月、今月までのプラネタリウムの券があるんだ。よかったら、一緒に行かない?」
「えっ、僕と?」
「あ、興味ないかな?」
「ううん、行く! プラネタリウムって行ったことないんだ。彗と一緒に行けるなら、すごく嬉しい」
思わず、彗の手を取った。彗は目を丸くして、真っ赤な顔になる。ちょうど先輩たちが部室に入って来て、「藤木、大丈夫か? 顔が赤いけど」と心配される始末だった。
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