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花咲く頃に 2冊目

「俺さぁ……流行りとかよくわかんないんだよな」 流れで入ったカラオケボックスで唐突に真面目に告白されて、俺は飲んでいたコーラを吹き出しそうになったのをかろうじて堪える。 バカにされたと思ったのか、拗ねた目でじっと見つめられた。まだ先ほどの事を根に持っているせいもあるだろう。 「どうせどこかの誰かさんと違って社交性もなければ順応性も低いですよ」 「いやいやいや、そんなことないっしょ」 社交性も順応性もきっかけさえあれば充分高い。きっかけが掴めない不器用さも、相手を気遣う優しさからくるものだ。それに流行りなんてものは話題の一つに過ぎないし、渉には似合わない気がする。 「自分に合うモノをわかっている方がいいだろ」 「……だって大学は私服じゃないか」 「俺は清潔感あって渉の服のセンス好きだけど」 さらっと答えた俺に渉はびくりと体を震わせて俯いた。 短く切り揃えられた髪が揺れて覗く耳が赤くなっていて、もしかしなくてもこれは、と悪戯心が湧き上がってくる。 「おまえ……そうやって簡単に好きとか言うなよ、恥ずかしいやつだな……」 小さな声が俺の予想に花丸をつけた。 渉は『好き』という直球の好意の言葉に慣れていない。 その理由は簡単に導き出される。 「渉、童貞?」 「なっ……!……なに、言っ……」 ガバッと勢いよくこちらを向いた顔は真っ赤に染まり上がり、拗ねる余裕さえないのかうまく喋る事も出来ていない。 可愛い。 そう思った自分に驚いた。 確かに渉は整った顔立ちをしているが中性的ではないし、優等生然としているから女受けの良いイケメンと称する事が出来る。だが、可愛いと形容する要素はない。 「大丈夫。俺も悲しい事に童貞だから」 「そういう事じゃなくてだな……!」 浮かんだ新しい疑問を頭の隅に置いて気にしないようにして、同類相憐れむ体で答えても渉の頬の赤は消えない。 男子校でもK大付属ならば合コンの一つや二つどころか、誘いは腐るほどあるだろうし、共学だった自分の方が何だかんだでそういうチャンスは少ないものだ。 「よく大学デビューだとか言って無茶するやつも多いけど、渉はそのままでも充分だろ」 「だからっ!やめろって……」 そういえば渉とこの手の話をするのは初めてだ。バイト中は女の子もいたし、限られた時間で話せる事はたかがしれているのだから当然と言えば当然だ。 両手で顔を覆い再び俯いた姿に湧き上がる悪戯心に違う何かが混ざる。頭の隅に追いやったはずの気持ちが大きくなってきた。 「可愛いなぁ」 人はいついなくなってしまうかわからないから、思った事は隠さずに伝えなければ後悔するかもしれない。 父親が死んで学んだ俺の譲れない信念は、時として仇になる事もある。 たぶん、今だ。 思わず呟いてしまった言葉に渉の体がまたびくりと震えて息を飲んだのがわかる。 騒がしいカラオケボックスにいるのに、些細な変化も見逃す事なく見つけられるのは何故だろう。 「今まで彼女いた事ないの?告白された事はあるだろ」 「……告白、は、あるけど。断った」 「好みじゃなかったとか?」 「……よく知りもしない相手から好きだなんて言われても、応えられないだろ」 会話を続ける事で必死に失言をなかった事にしようと試みても、渉がなかった事にしてくれなければ意味がない。 相変わらず俯いたまま、ギリギリ聞き取れる小さな声で呟かれた。 「寿史だって、もし俺に好きだって言われたら困るだろ」 待ち合わせた時に感じた気持ちが解けていくような心地良さは、名前を呼ばれたからだと思う。 渉はあまり俺を名前で呼ばない。 チリチリと苛立ちに似た説明し難い胸の痛みは、きっとよく知りもしない相手と俺を同列に扱われた事に不満を感じたせいだ。 「困らねぇよ」 渉に告白して振られた女の子たちは渉の外見と有名大学の名前に惹かれた程度だと決めつけて疑わない俺がいる。 「好きだと思ったからわざわざ会いに行ったってわかんなかったのか」 そんな連中と同じだなんて思われたくない気持ちが先走り失言は増えていくばかりで、もうやめておけと思うのに止まらない。 「渉の事をもっと知りたいって思った俺を、渉は迷惑だって思ってんの?」 「迷惑なわけないだろっ!」 今にも泣き出してしまいそうな表情が俺の中の何かを揺さぶった。 わからない事もまた一つ増えて一進一退を繰り返す。説明出来ない歯がゆさに苛立ちさえ覚えた。 「だったらそれでいいだろ。上っ面だけの友達ごっこじゃなくて、ちゃんと友達になれたんだし」 「……そ、う……だよな……うん……」 はにかんだ笑顔にほんの少しの安堵感と切なさを含ませた表情を浮かべた渉の気持ちを、俺はまだ、知らない。 渉と俺の安堵感が違う事にも気付いていなかったし、違うと疑う理由が俺にはなかった。 わからない事も知らない事も、これから先の日々の中で変わっていくものだと、何一つ疑っていなかった。 それが渉を傷付ける事になるなんて、わかるはずもなかった。 吐息が白く染まる頃に巡り合い、二年もの月日を経て、共に初めて桜舞い散る春を迎えた。 別れと出会いの季節に俺たちは歩き始める。 輝かしく新しい日々に胸躍らせながら。 「さようなら」を言わなくてもいい関係になれた事に俺は喜んだ。 美しい薄紅は祝福をもたらすものだと暖かな陽射しの下、笑顔を浮かべる。 変化が訪れる怖さも、花咲く頃は儚く短い事さえも知らないままに、これからの道を歩いていけばいい。 隣に彼がいれば、楽しいはずだから。

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