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花咲く頃に 1冊目
三年間のたった二ヶ月程度の関係
見つめているだけで良かった
笑顔を見られるだけで嬉しかった
声を聞けるだけで幸せだった
期間限定の淡くて甘い想い
まだ先の事は何もわからないけれど
隣に立っていられる今の時間が
長く続いたらいいと思う
たまたま友人に誘われて向かった年末年始の郵便局でのバイトは実に楽だった。仕事中はほとんど無言だし、休憩時間も限られた短い期間だけの付き合いだと最初からわかっていれば、上っ面のみで簡単に乗り切れる。
嘘も方便。
相手に合わせて笑っておけば良好な関係のまま金が稼げるなんておいしい話を断る理由はなかった。
人混みの中、所在なさげにきょろきょろ辺りを見渡しては俯く。挙動不審とも言えるその姿を見つけて口元が緩むのがわかった。
駆け寄って名前を呼ぶとびくりとしてからゆっくり顔を上げ、俺を見てから安心したようにはにかむ。
「悪い、待たせた」
「いや……待ったけど人混み眺めてたらたいして時間気にならなかったからいいよ」
「そこは普通、俺もさっき来たばっかだとか言うもんじゃないの」
「だって十五分待ったのは事実だろ」
「すいません……」
寡黙な奴かと思っていたけれど、きっかけが掴めない不器用な性格をしているだけで、案外言う事ははっきりと主張してくるのも新鮮だった。待っている間も不安から俯いていたわけでも、きょろきょろしていたわけでもないのだと思う。
ただ単純に素直に俺を待っていたのだ。
「今日は天気が良いから、ぼんやりしているだけでも気持ちいいな」
遅刻を否定しなくても非難もしない。これが育ちの良さによるものなのか、こいつの性格なのかはまだわかっていない。何せこの関係は始まったばかりだからだ。
こいつ―永田渉―に声をかけたのは俺―城野寿史―だ。
和気あいあいと軽口を叩く輪から離れた場所で渉は一人でぼんやりとしていた。
最初は一人の方が気楽なのだろうと思っていたけれど、目が合ってそらされるという事が数回あって気が付いた。
俺には父親がいない。
小学生の頃に交通事故で他界し、その時のクラスメイトの様子と渉のそれは似ているような気がした。幼いながらにも気遣う心を持ち合わせていれば、今までと同じように接するべきか否か迷うと思う。
当然だが俺もしばらくは父親が死んだ事を受け止めきれずにいたから、そんな様子には気付かなかった。
ある日、母親から学校での様子を聞かれて何も話せる事がないとわかって初めて知った。
同情と気遣いは違う。
気遣いは思いやりの心。
それから俺は俺が感じた気持ちを素直に言葉にして、気遣ってくれたクラスメイトに笑顔を見せる事が出来た。
おかげで人を見る目は肥えていると自負している。だから気になって話しかけたのだ。きっとこいつはみんなと同じように和気あいあいと話し合いたいのだろう、と思って。
渉の隣に立ち、恐らく渉が見ていた景色を眺めてみた。
テレビでよく見るスクランブル交差点を行き交う人々の姿と喧騒は、面白くもなんともないもので時間を潰すにはあまり適していないと思うけれど、しばらくそのままでいると何となく渉の言葉の意味がわかってくる。
暖かな陽射しと見慣れた街並みの中から柔らかな空気が伝わってきた。自分の中のささくれた気持ちが解けていく。
「なぁ」
「なに?」
「俺、疲れてんのかなぁ」
「まぁ……普通に考えて受験が終わった後の受験生は疲れてるだろうし、脱力感とかいろいろあるものなんじゃないか」
言われてみればその通りだ。まさに俺は受験を終えて無事に合格通知をもらったばかりで、今日は合格祝いをしてやると言ってくれた渉と会っている。
「疲れてるなら日を改めようか?」
「いや、受験せずに大学進学が決まったズルイ奴には全力で祝ってもらう」
「試験は受けたって言っただろ……中学受験の時は相応に努力したっつーの」
ふはっと笑いながら拗ねたような物言いをする時は機嫌が良い時だ。この顔を見ると何故か安心した。
たいした事など話していないのに、それこそ渉が中学からK大附属に通学している事も、俺がT大を受験する事も、今年の初めに知ってお互いに驚いたくらいに俺たちは知らない事ばかりのはずが、こうして関係は続く事になった。
二年間続けた郵便局のバイトに行かなかったのは受験間近だったためであり、母親から言われたからではなくむしろ当然だと納得もしている。
けれど唯一引っかかっていた事が何なのかわかった時、自然と渉に会いに行っていた。すでに進路が決まっている事も知らず、自分と同じくバイトなどしている余裕はないかもしれない可能性の方が高かったのに、会えると信じて疑わず帰り道の公園で俺は渉を待った。
また来年と言った事を嘘にしたくなかった。
一年目に言った同じ言葉は誰もが口々に言っていたから真似をしたに過ぎない。
二年目に再会して、驚いてから笑った顔に安堵感を覚え、二回目のまた来年は約束のつもりだったから。
もう一度、渉に会いたいと思った。
どうしてそう思ったのかはわからない。わからなくても構わなかった。期間限定のバイト仲間などと関係を続けるつもりはなかった。でも、渉と会えなくなるのは嫌だと思った。
はにかんだ笑顔をまた見たい。
俺との約束を覚えていて欲しい。
もっと渉の事を知りたい。
素直な自分の気持ちに従ったら、渉は受け入れてくれた。その理由もわからないけれど、安心する笑顔を見せてくれただけで良かった。
しばらくぼんやりとしてからぶらぶらと目的なく歩くだけで新たな発見をする。
靴屋を覗けば俺はスニーカーを見るが、渉はカジュアルな革靴を見る。
服屋に入れば着心地の良さそうな流行りのデザインの物を見る俺と、流行り廃りのなさそうな落ち着いたデザインの物を見る渉。
育ちの良さを感じるのは初めて会った時から変わらなくても、具体的に細かい立ち居振る舞いや好みを知るとよりそれは際立った。
好きだな、と思う。
どうして関係が切れてしまうのが嫌だと思ったのか、一つだけわかって緩んだ口元を指摘されて正直に答えたら、盛大に照れてから拗ねられてより嬉しくなった。
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