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期間限定の恋 3冊目
社交的に見える彼は俺の知らない奴とも話している姿をよく見かけた。彼の名前を知ったのも、偶然その会話が聞こえてきたからで俺が尋ねたわけではない。
これでいい。
母親思いの彼を邪魔してしまうような言葉は言わない方がいい。やつれる程に受験に向けて頑張っているのだから、俺に出来るのは背中を押してやる事くらいだ。
「あんまり追い込んでやるなよ」
「すでに決まってる奴に言われてもなぁ」
「他に言いようもないだろ」
「そうかぁ?」
もうすぐそこの道で彼は左に曲がる。
俺は真っ直ぐ向かう。
自転車を引きながら歩いていた彼は立ち止まり、ふっと軽く下を向いた。伏せられたようにしか見えない目が、俺を揺さぶった。
「連絡先とかさ、いろいろあるじゃんか。俺ら、お互いの事なんにも知らないんだから」
細い目が俺を真っ直ぐに見つめてきて、首を傾げて同意を求めている。俺の知らない彼の顔。
「お勉強で忙しい俺が、どうしてお前のバイト上がりに合わせて待ってたと思う?」
握りしめた手の平が汗で湿って気持ちが悪い。
吐き出した白い息が空に溶けた。
俺がどんな表情を浮かべていたのかはわからない。
ただ、彼は心底楽しそうに笑っていた。
「……やっぱり見えてないだろ、その目」
「全国の細目に謝れ。しっかり見えてるわ」
違和感なく目の前にスマホを差し出され、まごつきながら俺も鞄から取り出す。
「わかんない問題あったら聞いてもいい?」
「狡い俺は勉強らしい勉強してないから、たぶん無理だよ」
「そんなん口実に決まってんでしょ」
早速送信されてきたものは流行りのアニメのキャラクターがよろしくね!とウィンクをしているスタンプだった。そこに記されていた名前は【ちゃー】で、思わず吹き出してしまう。
「なにこれ」
「あだ名。みんなして、ちゃーちゃーやかましいから、ちゃーにしてやった」
「お前がやかましいの間違いじゃなくて?」
「やかましいとしても、ちゃーちゃーは言わねぇだろ」
自然に零れた俺の笑みは、彼のあだ名が面白かったからなのか、期間限定の関係ではなくなったからなのか、身勝手な期待からなのか、今は考えたくなかった。
彼の言った、口実の意味も。
「なんで寿史だと、ちゃーになるんだろうな」
さりげなく届いた名前はスマホの画面にも苗字と共に【城野(しろの) 寿史(ひさし)】と表示される。
「めでたそうな名前だな、お前」
「お前は無難だな」
送り返したのは記されている【わたる】ではなく【永田(ながた) 渉(わたる)】の文字だけ。
また一つ彼の事を知り、彼にも俺の事を伝えられた。
「そういえばすっかり忘れてた」
「なに?」
「たった二年間のたった合計二ヶ月だけでも、習慣になるもんなんだな」
「だからなんだよ」
先の事はわからなくても、つまりそれはまだ終わりも見えない。
やっとスタートラインに立てたのだから、すべてこれからだ。
「あけましておめでとう」
そうだった。すっかり忘れていた。
「これからよろしくな、渉」
当たり前に呼ばれた名前に同じ言葉を返して「ちゃー」と呼んだら怒られた。
二年間、バカみたいな量のハガキと向き合っていたからか、見飽きたその言葉を交わした事はなかった事も思い出した。
これから、よろしく。
この先も、出来る事なら繰り返し何度も、この言葉を言い合えたなら、いつか俺は違う言葉も伝えてしまうかもしれない。
その時にあの笑顔が見られなくても、後悔しないように刻み込んでおこう。
二〇一六年一月一日、よく晴れた空の下。
たくさんの意味を含んだ「おめでとう」の声が響く。
幸せな一年を願って。
あけましておめでとう。
素敵な一年になりますように。
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