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Communication

 ヴン…と、弱まったモーター音がついに止まり、絶え絶えに肩で呼吸しながら秀明は涙に貼り付いた瞼を無理矢理こじ開けた。  体内で同心円的な動きを繰り返していた張り型が、もう動かないことに安堵して秀明は身じろぎ、ベッドサイドのデジタル時計を見上げた。  電池切れで動かなくなったバイブは、かれこれ四時間以上も秀明の中で旋回運動を続けていた。物理的な刺激に高められた裸体は、自らの分泌液に汚れきっている。  ベッドヘッドに拘束された腕を解くことはとうに諦めて、万歳をした姿勢のままもう一度時計を見上げた。液晶の片隅に表示された日付に、絶望的な思いが込み上げる。  ――三日だ。  もう三日、秀明はここに監禁され、拘束され、一滴の水すら与えられていない。  秀明を監禁しているこの部屋の主は、自分が秀明を犯している間以外は、秀明の体内にバイブを挿入し、一人悶える秀明の様を見て楽しんでいる。そして時折秀明に、愛してる? と問い掛ける。  秀明はそれに一度も応えなかった。愛してなどいない。男は秀明にとって、客のうちの一人でしかなかったし、今後もそれ以上になることはない。  男はそんな強情な秀明に激昂するでもなく、ただひたすら甲斐甲斐しく秀明の体を拭き、髪を洗い、下の世話までし、それでいて飲食はさせず、犯し続ける。  秀明には分かっていた。男は秀明に、完全な屈服を求めている。  命までも自分が握っているのだということを示し、自分を愛せば生かしてやると、そう言っているのだ。  けれどここで屈服したとしても状況は変わらない。男への愛を誓えば、結局この先もここで軟禁生活を送ることになる。だから秀明は決して男に対して迎合した態度は見せなかった。  …しかし、それもそろそろ限界かもしれない。  もう綺麗事は言っていられないのだ。命の危機を、秀明は感じ始めていた。  男との出会いは、いつものゲイバーだった。  その日初めて来店した資産家だという三十代半ばの男は、秀明を気に入って相場を超える金額と自宅に住まわせてくれるという条件まで提示してきた。当時パトロンと別れてカプセルホテル住まいが続いていた秀明は、一も二もなくその話に乗った。  実際男は裕福で、秀明には部屋を与え、服を与え、性格も温厚で見た目も問題なく、新しいパトロンとしては申し分のない相手だった。しかしやや、嫉妬深い男だった。  同居を始めてしばらくは店にも顔を出していなかった秀明だったが、二週間ほど経った頃、携帯に客から久しぶりの呼び出しがあった。それに応じてアポを取り、出かけようとした秀明に外出を禁じる、といったことが数回続いた。  しかし、そう、ちょうど四日前。仕事で遅くなった男の目を盗んで、秀明は客との約束に出かけていった。その晩は家に戻らなかった。  その翌日、秀明が昼間に帰宅すると、仕事のはずの男は秀明の帰りを待っていた。 「どこに行ってたの?」  相変わらずの穏やかな声で、男は秀明に詰問した。 「売りに出かけちゃダメだって言っただろう?」  男は懲罰と称して、秀明を拘束した。  それから、三日。秀明はベッドに繋がれたまま、一歩も動いていない。  体が汚れれば濡れたタオルで拭かれる。髪も、わざわざ洗面器に湯を張って洗われる。最初は引きまくった尿瓶にも、回を重ねれば慣れてしまった。  それどころではないのだ、もう。  犯され続け、それ以外の時でも常に身の内にバイブを収めた状態で、秀明の体力の消耗はかなりのものになっている。覚醒している時でも、時々意識が途切れる。限界が近いのだと、腕を持ち上げることすら億劫になって秀明は自覚した。  ――死にたくないのなら、意地を張っている場合ではないのだ。  そのとき不意に、秀明が寝かされた寝室のドアが開き、男が顔を出した。右手にビニール袋を下げているのを見て、秀明はまわらない頭で、そういえば買い物に行くと言っていたかと思い出した。 「あれ。電池切れちゃった?」  秀明の窮状などまるで見えていないかのようなのんびりとした口調で、男は笑ってベッドに腰掛けた。秀明の窶れ方は尋常ではなく、普通の神経の持ち主ならば思わず口元を押さえるような状態なのに。 「……み」 「うん?」  かさかさの喉を唾液で湿して、秀明はようやく掠れた声を絞り出す。 「み、ず」 「見て秀明、タイミングいいでしょ、電池買ってきたんだよ」  必死の訴えには耳も貸さず、嬉しそうに男は袋から単3の電池のパックを取り出した。  そして秀明の尻に貼られた粘着テープをはがし、ぞんざいな手つきでバイブを抜き出す。 「……!!」  掠れた悲鳴が、微かに空気を震わせた。 「…が、い」 「なに?」 「お…願い」  秀明は、バイブの蓋を外して電池を入れ替えている男に視線を向けて懇願した。 「も…、やめ……」 「うん、お前が僕に誓えばやめてあげてもいい」  言いながら男は、電池を入れ替えて、粘着テープをちぎった。それでバイブを入れた尻に栓をして、排泄の要領で異物を体外に排出することをできなくするのだ。 「待っ…!」  卑猥な形の物体を再び局所に押し当てられて、秀明は体を硬くする。それを無視して半分ほどを強引に入れたところで、男は冷ややかに秀明を見下ろした。 「…秀明。そろそろ、死ぬよ?」  そんなことを平気で言う男は、おそらくどこか狂っているのだろうと、秀明は思った。 「い……た、い」 「当たり前だよ裂けてるんだから。いい加減意地張るのやめて」  やっと訴えを聞き入れたのか、男はバイブを抜いた。 「僕に誓えよ。一生僕のペットになるって」  秀明は、目を閉じた。 (できないよ、そんな約束は) 「――誓います」  掠れた声で、秀明は唇を動かした。 「だから……手、解いて。あなたを抱きしめさせて」  ようやく素直になった秀明に気を良くしたのか、男は嬉々として微笑み、秀明の手首の拘束を解いた。 (だって俺、やっと親父見つけたんだぜ?)  その瞬間、秀明は間近にあった男のこめかみに向け、渾身の力を込めて肘を入れた。 「……っ!?」  男はもんどりうってベッドから落ちた。さらにその男の逆のこめかみに、利き足で思いっきり蹴りを入れる。 (確かめなきゃならないことがあるから、誓えないし、まだ死ねない)  男が動かなくなったのを確認すると、体に力が入らなくなって秀明も床に崩れた。しかしなんとか体を起こし、キッチンへ行って冷蔵庫に残っていたペットボトルの電解質飲料を飲み干した。  やっと生きた心地がして、男が動き出す前にと服を着込んで有り金の少ない財布をズボンのポケットに突っ込んだ。  そうしている間にも視界は妙にちらついて、脂汗が出そうな感じで腰から下に力が入らない。意識がはっきりしているうちにここから離れなければと、秀明は男のマンションを飛び出した。  通りでタクシーを拾い、持っている札を全部渡して行ける所まで行ってくれと急かした。  後部座席で、ほんの少し、優しかった男のことを思い出した。 (悪いこと…したかな。俺には人の人生狂わすことしかできないんだろうか…)  気を抜くとすぐに遠のきそうな意識を必死で繋ぎとめながら、タクシーは隣県に入り、降ろされた住宅街で秀明は意識を失った。  ――男に謝る夢を見た。  あんたが俺をそんなに愛してくれてることに、気づけなくてごめん。  あんたが俺といてそんな風になっちゃうことを、見抜けなくてごめん。  分からずに、甘えてしまった。  だから。これは。  俺の、咎だよ。  この後秀明は柴崎亜弓に拾われ、男娼を辞め、石田淳と出会う。  男娼を辞めたのと時を同じくして男が自殺したことを秀明は知るが、そのことを秀明が誰かに語ることは一度としてなかった。 <END>

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