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 日曜の夜。というより、日付は既に変わって月曜の未明。いつものように佐野秀明は、全く人気のない暗い夜道を一人で歩いていた。  バイトとしてバーで毎日シェイカーを振っている秀明は、普通の勤め人とは全く違う生活を送っている。バーが開店するのは夕方の六時。その三十分前から開店準備が始まるから、だいたい五時に家を出る。家の仕事をするため、起きるのは正午過ぎだ。そして六時に開店した店で、三十分間の休憩を二度挟み、実働七時間。閉店は午前二時で、それから片付けをしてから帰宅するので、たいてい家に着くのは午前三時前後になってしまう。  バーが忙しいのは、金曜の夜と、土曜の夜。今日のように日曜の夜は、いつも客が少ない。翌日が週始めの平日なので、日曜の夜にラストまで残っている客はほとんどいない。そういう時は、店長の厚意で少し早めに上がらせてもらえたりする。  今日も例によって一時頃には客はいなくなったのだが、いつもなら帰らせてくれるその店長から大事な話があると言われ、定時の帰宅となった。  マンションの――秀明の安塒ではない、瀟洒なマンションの――エントランスをくぐり、エレベーターで五階まで上がって、その一室のドアに鍵を差し込む。  そっと、音を立てないようにドアを開け、その奥が明るいことに秀明は気づいた。 「お帰り」  奥の部屋を開け、それに気づいて振り返った男のやわらかい関西訛りに笑みが上る。 「ただいま。起きてたの?」 「あー、いや、寝ててんけど、なんや目が覚めて」  下手な嘘に、優しさを感じる。この恋人は、一度寝つくとちょっとやそっとじゃ目を覚まさない。ベッドの枕元にある目覚し時計を見やると、アラームの針が二時を指している。秀明の帰る頃に合わせてわざわざ起き出したのだと、その不自然な設定時間に知る。 「…あっちゃん、俺、愛感じちゃった」 「誰があっちゃんやねん」  勝手に感動している秀明を訝しんで、石田は秀明を、ソファの自分の隣へ招いた。  ここは石田のマンション。つき合い始めてから、秀明はここで生活するようになっていた。  石田は、総合病院の薬局に勤める薬剤師。八時半出勤五時退社の、普通の勤め人だ。朝起きた時には秀明はまだ眠っている時間だし、定時で帰れたとしてもその頃には秀明は勤務中。生活時間帯がまるで違う上に石田の休日が不規則なため、別々に住んでいては、下手をすると丸一週間音信不通、なんてことにもなりかねない。  それがわかっていたから秀明は、言われなくとも迷惑がられようとも石田の元に転がり込む算段ではあったのだが、意外なことに、同居を、もとい同棲を提案したのは石田の方だった。もちろん、彼はなんだかんだと理由をつけて、下手な理屈で同居の客観的な合理性を説明しようと必死になっていたけれど。  恥ずかしがりな恋人は滅多に口にこそ出さないが、自分が思う以上に自分のことを好きでいてくれているのだろうと、秀明は思った。 「こんな時間まで起きてたら、明日の仕事に差し支えるよ?」  けれど待っていてもらえた喜びよりも、秀明には石田の体が心配で。総合病院の薬局は、いつ見ても満員御礼状態なのを知っているから。  その心配に、石田が微笑む。 「明日は休みやで」 「え、ほんと?」  嬉しい休日の一致に、思わず問い返す声が明るくなる。 「なんかな、柴崎さんがスケジュール調整してくれてるみたいやねん。お前の休みが月曜だって知ってはるやん、だから俺の休みもなるべく月曜に入れるようにしてくれてるらしい」 「そうなんだー。さすが亜弓、気が利くね」 「うん、だから俺も、一臣が休みのときに柴崎さんが出なあかんようになってたら、なるべく代わってあげたいと思ってんねんけど」 「そだね。そうしてあげて。…でもあの二人は帰宅してからしっかり二人の時間を満喫してそうだけどね」 「そやな、余計な心配やったかも」  ははは、と笑いながら、石田は秀明の脱いだ上着をハンガーに掛けに立った。 「で、今日日曜やったのに遅かったやん。どないしたん?」  クローゼットを閉めながら訊いた石田の背中を眺めながら、秀明は肩を鳴らした。 「あ、そうそう。店長に呼ばれててさ」 「肩こってんなぁ」  ソファに戻った石田は、秀明の肩をもみ始める。 「お、ありがと。実はさ、俺、あそこの社員にしてもらえることになってさ」 「ほんまに? よかったやん、これで脱フリーターやな」 「うん、しかもいきなり役つき。チーフにしてくれるんだって」 「なんでいきなり役つきやねん」 「俺の頑張りが評価されたんだってば。あと、今のチーフが他店舗の店長になるらしくって、そしたらうちの店舗は店長と俺と、あと別に四人バイトがいるだけになるからさ」 「ふーん。チーフか。したらまた忙しくなるんちゃうの?」 「ん? まあ、勤務時間は今までと変わらないよ。新入りのバイトの面倒は今までもけっこう見てきたし、そんなに状況は変わらないと思う。給料はいきなりよくなりそうだけど。社員だからボーナスもあるし、役がつくからその分も上がるでしょ。…あー、でも保険とか税金とかめんどくさいなー」 「定職につけるんやから文句言うなや」  もんでいた肩をパンと叩いて、石田はベッドへ移動した。 「明日は休みやし、ゆっくりしよか」  そう言って目元を赤らめた石田に、秀明は眉を上げた。  『翌日が休みだからゆっくりしよう』とは、石田からの精一杯の誘い文句なのだ。つまり、明日はゆっくり休めるから、今日してもいいよ、という。 「あっちゃん」 「そのあっちゃん言うのやめや」 「今夜は俺の昇格祝いだね」 「…お祝いなんか買うてへんぞ」 「あっちゃんがいるだけでいいよ」  言いながら早速、秀明は石田のパジャマを脱がしにかかる。 「お前、風呂入ってこいや」 「やだ。もう待ったなし」  深く口づけると、石田の体が微かに震える。  煙草の味のするキスが、石田は好きだ。そして風呂に入っていない秀明からは、彼の体臭と柑橘系のコロンが香って、否応なく石田の中の欲情を刺激する。 「淳…」  深い声も、やわらかい髪も、整った顔立ちも、実は全てが石田の好みだ。 「ん、ふ…」  性急に下肢に触れられ、石田は息をつく。横たえられ、うごめかせた足先がシーツに波を描いた。 「…あ、こら、逃げないの」  少し快感が強すぎて、上ずって逃げようとした石田を、秀明が背後から抱きとめる。そのまま胸の突起と膨張してきたものを刺激され、更に石田の弱い背中にくちびるを落とされ、石田の細い指が枕に縋った。 「や、あ、佐野…、」  肩越しに、懇願するような瞳が秀明を映す。その先の行為を乞うような眼差しに、秀明は少し意地悪く微笑みかける。 「秀明、だよ」 「…?」 「呼んで」  そろりと後孔を指先で撫でると、腕の中の石田は息を飲んで硬直する。 「いや、さ、佐野っ」 「ダメ。それじゃまだあげないよ」 「ん…ん、ひ、であき、あ」 「…OK、合格」  にっこりと笑って、秀明は体を起こした。  自分の服を脱ぎ、サイドテーブルの引出しから潤滑剤のチューブとゴムを取り出す。 「つけて」  ゴムを渡すと、石田は頬を紅潮させて起き上がった。そのまま秀明の股間に顔を伏せ、この後自分の身の内に入ってくるはずのものを口に含み、頭を上下させる。  フェラチオなんて絶対できない、と思っていた石田だったが、秀明のものだと思うとなぜか愛しく思えるのだから不思議だ。  その間に秀明はてのひらで暖めた潤滑剤を、石田の後ろに塗りつける。それを内側に含ませるように指を差し入れると、腹の下で石田が息を詰める。 「噛まないでね、大事なとこだから」  笑った声に、石田は懸命に舌を這わせた。 「…ん、ん、う」  指で後ろを慣らしていると、間歇的に石田が声を上げる。口に物を詰めているからその声は苦しそうでありながら、とても甘やかに秀明の耳を刺激する。  けれど逸ってはならない。今秀明が触れているところは、とても繊細で、準備が不十分だといとも容易く傷つけてしまう。初めてのときには、秀明が逸りに負けてゴムさえつけず、ひどく傷つけてしまい、石田は熱まで出してしまった。  男の体は、女性のように男を受け入れられるようにはできていない。受け入れる側の負担を秀明はよく知っているから、ことさら丁寧に愛撫を施した。  それに焦れるように身を捩りながら、石田は上目で秀明に確認する。そして秀明が濡れたため息をついて髪を引くのを合図に、ゴムの封を切り、秀明の怒張したものの先端に、慎重に装着させる。  そしてようやく、秀明は石田の脚を抱えた。 「――う」  苦しそうにうめいて、石田が秀明を受け入れる。そこを敢えて秀明は強引に押し進めた。挿入の最初で止めてやると、受ける側は却ってつらい。一番太い部分さえ入れば、後は直腸の蠕動が奥へ導いてくれる。 「大丈夫?」  額に汗を浮かべた秀明が、石田の頬に優しく触れる。 「…平気」  靄のかかったような視線が秀明を見つめ返し、秀明は微笑んだ。 「…あっ」 「ここ、気持ちいい?」 「う、ん、いいっ…」 「痛かったら言いなよ。イキたいときはイッていいから」  そう言って律動を始めながら、秀明は石田に、痛いだけのセックスを強いる気など全くなかった。自分の経験上、石田のイイところなんか手に取るようにわかる。よくしてやれる自信が秀明にはあるのだ。 「淳、好き……」 「あっ、あ…ああっ!」  そこを重点的に攻めると、いくらもしないうちに石田は果てた。息を詰めて硬直した体が、腕の中で荒い息をつきながら弛緩してゆく。 (しまった…)  その体から砲身を抜き出しながら、秀明は肩を落とした。  達し損ねたのだ。 「…ごめん」  それに気づいた石田が、息を乱したまま謝った。 「俺、早すぎたな今日…お前イッてないのに」 「あー、いいよいいよ、後で抜いてくるし」  苦笑して、ゴムを外しながら秀明は、石田が自分の腹の上に放ったものをティッシュで綺麗に拭ってやる。 「もっかい、する?」 「いいって。一晩に二回もしたら、淳が壊れちゃう」 「でも…」 「また血の海になっても困るし。ね」  そう言って秀明は、ある程度体が綺麗になった石田に布団をかけてやり、自分もその隣に横たわった。  そのまま、石田は五分ほど、なにやらずっと考え込んでいた。いつもだったらセックスが終わると疲れ果てたように眠り込んでしまうのに。  石田が眠ったら風呂ででも抜こうかと思っていた秀明が、どうしたのかと石田に尋ねようとしたとき、不意に石田が体を起こした。 「佐野」 「…淳?」  起き上がった石田が自分の上にのしかかってきたものだから、秀明は少し焦った。 「どうしたの、眠たくないの?」 「交代」 「…え?」 「今度はお前が下」 「は!?」  石田のいきなりの発言に、秀明は混乱した。 「淳くん、そ、それは騎上位ってことですか、それとも淳くんが僕を」 「そう、俺がお前を抱くの」  秀明は思いっきり首を横に振った。 「だ、ダメです! それはなし!」 「なんであかんねん。お前、ネコやったんやろ。他の男にやらして俺にやらさんっちゅーんはどーゆー了見や」 「そーゆー問題じゃなくて…」  そういう問題ではなく、秀明は男の沽券というか、ずっと石田を抱いてきた側としての立場というか、そういうものの崩壊の危機を問題にしているのだが、石田相手にそういった見栄は通用しないらしい。むしろ秀明より石田の方がずっと男前な性格をしているし、それを曲げて秀明に抱かれている石田にそれを言うと、「じゃあ俺が女々しいっちゅうんかい!!」などと余計なところで怒らせてしまいそうなので秀明は口を噤む。 「ええやろ、優しくするし」  そしてまた秀明は秀明で、惚れた男にそんな風に言われると、しばらくなりを潜めていた性が疼いて肌を乞う指を止められなくなる。 「淳……」  名を呼ばれ、石田は秀明に、深く口づけた。  手順は、秀明を習った。自分と比べて、おそらくこういった行為に慣れているであろう秀明には十分すぎるかもしれない愛撫を、ためらいなく石田は施した。  そして、早くと焦れる秀明に応え、同じように潤滑剤とゴムを完備して、石田は秀明の内側に入った。 「んんっ…!」 「…う」  喘いだ秀明に続いて、石田も微かにうめきを漏らした。久しぶりに誰かの体内に受け入れられる恍惚とした感触――それに何より大切な男性との初めての交わり。女性の体と明らかに違う、その狭さと限界のない深さに驚いた。 「お前…狭っ。なに、男ってこんなもんなん?」  色気のない感想に、浮遊しそうな意識を必死で留めて秀明が振り向く。 「だっ…て、最近誰とも…」 「してないと狭なるもんなんや。じゃあお前、浮気とかしてなかったんやな」 「してないよっ! …あ、はっ…疑って、たの?」 「いや。疑ってへん」 「あああっ!」  強く、自分がされて気持ちのいいところを抉ると、秀明が背を撓らせて高く喘いだ。もう睫毛は涙で濡れそぼち、その雫は髪にまで滴っている。 「…お前、感じやすいな」  自分より上背があって体格も悪くないこの男がネコだったということが、今まで実感なく信じられなかった。けれど抱いてみるとその肢体も艶を含んだ喘ぎも快感に歪む顔も全てが扇情的で、石田は初めて、かつてこの体を組み敷いた男たちに嫉妬を覚えた。 「もう、他の誰ともすんなよ」  深く自身を貫き通しながら、反らされた頤に歯を立てた。 「やっ、ああ! あ、つし、あつし…、」  腕に食い込んだ指が、かり、と引っかいて石田を呼ぶ。 「なに?」  顔を寄せると、くちびるが小さく、気恥ずかしそうに言葉を刻む。 「は……俺のこと…好き…?」  石田はふと動きを止め、目を瞠った。  今更――とも思える問いだが、実はそういった言葉を、石田はあまり秀明に言ってやらない。というか、ちゃんと伝えたのはあの、つき合い始めのときだけだったかもしれない。  秀明はいつでも、尽きることも減ることもないのではないかと思うくらい、好きだと言ってくれるのに。  石田は秀明の手を、そっと握った。 「好きやで、秀明」  伝えると、秀明は嬉しそうに、涙に濡れた瞳を細めた。 「……秀明、俺もう、いきそ…」 「ん…俺も。一緒に、いこ?」  上目で覗き込まれ、石田はピッチを上げた。  同時に達する喜びは、幸福を遥かに超えて。 「時々交代するといいかもね」  セックス後の一服を美味そうに吸う秀明に、石田は噴き出してしまう。 「離れられんくなってまうな、俺ら」  そう言った石田に、秀明は挑戦的な目つきで笑った。 「もう、離れられなくなってるんだよ。淳が俺に、好きって言ってくれた時から」 <END>

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