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 どう考えてもまずい状況だった。  目の前の人物、洋介さんは、5年間片思いをこじらせ続けた相手である。  通い詰めていたゲイバー・イージスの常連で、誰からも好かれる、気さくな人だった。  優しいし気が利くし、男は取っ替え引っ替えだったけど、すごくチャラチャラしているわけでもない。  セックスの相手に不自由しない、というイメージ。  付き合いたくて背伸びして、でも、全然そういう目では見てもらえなくて。  9こも下なら仕方ないかとあきらめようとした日、洋介さんが『10こ下の子とヤッて可愛かった』みたいなことを話すのを聞いてしまったり。  空回るから余計にこじらせて、社会人になりイージスに行かなくなってからも、なんとなく心に引っかかったままでいた。  それを吹っ切るために、あの日、デリヘルを――あゆむくんを呼んだのだ。 「どう? 仕事、続いてる?」 「あ……はい。おかげさまで。楽しくやらせてもらってます」  歩夢が戻ってくる前に、切り上げたい。  色々近況を聞いてくるのをやんわりと受け流し、話を終わらせようとする。  しかし、洋介さんは懐かしさでいっぱいのようで、人懐っこい笑みを浮かべて、ぽんぽんとオレの肩を叩く。 「やー、安心したよ。しっかりサラリーマンやってるんだ」  あのとき欲しくて仕方がなかった笑顔だ。  なぜ、欲しかったときにはくれなくて、別の道へ踏み出した瞬間に、目の前に現れるのだろう。  いまは要らない。だって、歩夢が―― 「安西さんすみません、お待たせしま……」 「あっ、歩夢っ」 「ええと……お知り合いの方、ですか?」  歩夢は、オレと洋介さんの顔を交互に見ながら、小さく頭を下げる。  洋介さんは、少し驚いた表情をしたあと、柔和な笑みを浮かべた。 「わ、お連れさんがいたんだね。ごめんごめん、引き留めて。えっと、高峰(たかみね)といいます。周の古い友人で」 「あっ、えっと……篠山です。会社の後輩で……」  鞄を漁り名刺を取り出そうとするのを、慌てて止める。 「いい、いいからそういうの」 「あはは、律儀な後輩さんだね。周の教育が良いのかな?」 「はい……すごく、良くしてもらって……」  しどろもどろになりつつ会話を試みているのはなんとも健気なのだが、いまはそんな場合ではない。  そんなオレの焦りとは裏腹に、洋介さんはのほほんとした様子で、オレの袖をつんつんと引っ張った。  そして、耳打ちする。 「もし偏見ないなら、今度後輩くんも連れてイージス来なよ。久々に飲みたい」 「いや……多分、そういう場は苦手なタイプだと思います」 「じゃあ周だけでも。来たら、みんな喜ぶと思うし」 「えっと、」  言い淀んでいると、洋介さんはさらに耳元に顔を近づけて言った。 「周、大人っぽくなったね。好みど真ん中に育っちゃって」 「え?」 「ふたりきりでもいいよ。飲みたいな」  その目は、穏やかでありつつも、男を誘うときのそれだった。  二の句が継げず固まっていると、唐突に、歩夢がオレと洋介さんの間に割って入った。 「あ、あのっ! 安西さんとっ、お、付き合いさせていただいているので……っ」  仰天して顔を見る……と、その表情は泣きそうだった。手も少し震えている。  洋介さんはオレたちの顔を交互に見たあと、ひょいっと肩をすくめた。 「あらら、それは失礼失礼。なんだ、周も遠慮せずにそう言ってくれればよかったのに」 「すいません、隠すつもりじゃなかったんですけど」 「そ、そういうわけですので……失礼します。安西さん、行きましょう?」  歩夢はオレの手首を掴み、首だけで頭を下げると、引きずるように駅方面へ歩き出した。  オレは慌てたまま、少し声を張り気味に言った。 「洋介さん、オレ、幸せなんで大丈夫ですよ! みなさんによろしくお伝えください!」  洋介さんは、まん丸く目を見開いたあと、ちょっと困ったように笑いながら、手を振っていた。  若干の気まずさには触れないまま、電車に乗り込んだ。 「……さっきの、好きだった人ですよね?」 「あー……、うん。そう」  窓に反射する歩夢の顔つきはやや沈んでいて、何を思っているかは分からない――怒っているようにも、寂しそうにも見える。  いますぐ事情を話したいけれど、何を言っても言い訳を重ねるようになってしまいそうで、何も言えない。  オレは、ぐるぐると考えたのち、ポツッとつぶやいた。 「ほんとに、偶然だからな。ばったり会って」 「分かってますよ。それに、安西さんが早めに切り上げたがってたのも」  言い当てられて、驚く。 「こっちも、部長がやんわりと『あした出てこい』みたいな感じの口振りだったので、断りました」 「まじ? 断れたのか」 「はい。ひたすら無理だと……」  きっと、口下手なりに必死に抵抗したのだろうと思うと、途端可愛らしく見えてきた。 「あーあ。オレも、なんかもっと最初っからハッキリ言えばよかったな。付き合ってる奴いるって」 「……割って入っていいのか、悩みました。親しそうだし、高峰さんはすごいああいうナンパに慣れてそうで、遠くから見ててもちょっと」 「分かるもん?」 「はい。一応、性産業の従事者だったので」  ぱっと見の雰囲気で、『そういう人』というのが分かるらしい。 「だからあんな強気なこと言えたのか」 「嫉妬するの、子供みたいだなと思いつつ。すみません」 「んーん。オレも、歩夢が勇気出して『付き合ってる』って言ってくれたの、うれしかったし」  目が合い、無言になる。  でもその沈黙は心地よいもので、ほっとした表情の歩夢を見ると、気持ちがゆるゆるとほどけてゆく気がした。 「あの、歩夢。オレほんとに、お前しかいないわ。……って、思った」 「えっ?」  キョトン、とするのを通り越して、呆然としている。  窓の外に視線を外すと、流れてゆく住宅街の灯りが見えた。 「なんかさ。あの人と話してて、歩夢が来たらまずいって思ってたのに、いざ歩夢が来たら、めちゃくちゃ安心した。でも、誤解されたら立ち直れないとも思って、だいぶ焦って……」  視線を、目の前の歩夢の方へ戻す。  柄にもなく緊張して、軽く深呼吸してから言った。 「そんな状態だったのに、お前は、堂々とオレのこと(さら)っちゃった。すげー潔くて、惚れ直した」  目を細める歩夢の手に軽く触れ、照れ隠しにうつむいたまま言った。 「歩夢のことが、好きだなー……」  しみじみつぶやくと、ここまで聞くに徹していた歩夢が、オレの腰に手を添え、軽く体を引き寄せた。 「旅行、楽しみですね」  と言う顔が真っ赤なのだから、何とも可愛い奴だと思った。

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