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第1話 前
「ルイス、お前を廃嫡する。この家を出て行け」
父の言葉にルイスは素直に頷いた。
「三年も学園に通っておいて、試験で平民に一度も勝てないとは……。お前のような出来損ないは伯爵家にいらん」
「全くですわ。貴族が平民に負けるなんて有り得ないわ」
父の後ろで正妻のマリアンヌが嫌な笑みを浮かべていた。傍らにはきょとんとした顔の母違いの小さな弟が座っている。
分かりきっていた事だった。正妻マリアンヌとの間にようやく跡取りの男の子が産まれ、平民の愛人の母から産まれた自分はこの家には邪魔だ。試験の結果のことは自分を追い出すための言い訳に過ぎないのは分かっている。
「分かりました。今までありがとうございました。失礼します」
ルイスは自分に充てがわれていた小部屋に戻り荷物をまとめた。ルイスのものはとても少ない。学園の教科書と魔術の本が数冊。学園の制服と最低限の服が数枚。インクとペン。少しのお金。それだけだった。
無理矢理この屋敷に連れてこられてから十年。屋敷の中で一番日当たりが悪く使用人室よりも小さな物置き、それがルイスの部屋だった。
「やっと……、やっと家から出ていける。でも学園は卒業したかったな……」
オブライエン伯爵が鷹狩りの際に泊まった村長の家の娘、それがルイスの母だった。
ルイスの母は白金 の髪と深い海の色の瞳を持つ、村娘とは思えないほどの美貌の持ち主だった。ルイスも母の容貌を受け継いでいる。将来を約束した幼馴染の婚約者がいたにも関わらず、オブライエン伯爵が嫌がる母と強引に関係を持ちルイスが生まれた。
ルイスが八歳になったある日、村にオブライエン伯爵の遣いがやってきて母からルイスを引き離した。正妻との間に子供がなかなか出来なかったからだ。伯爵に引き取られたルイスは正妻に疎まれ、蔑まれながら生きてきた。正妻との間に子供が出来てからは要らないものとして扱われ、小部屋に押し込まれ、食事すら満足に与えられなかった。だから未だにルイスは背が小さく、歳下に見られることが多い。
世間体もあり学園には行かせてもらえたが、学費以外の生活費は一切貰えなかったので友人に勉強を教えたり家庭教師をしたりして金を稼ぎ、何とか生活した。いつ家から追い出されてもいいようにやりくりして金を貯めた。
ルイスは学校が好きだった。
学校へ行けば友人と話せる。欲しい本は図書館で借りられる。知識を身に付けられる。気温は一定だしシャワー室もある。そして何よりも家にいなくてもいい。
家にいる時は小部屋に篭り勉強をした。集中して勉強すれば、お腹が空いていることも寒いことも暑いことも辛いことも悲しいことも何もかも忘れられた。
でも。
この三年、一度も試験でアルベルト・カートライトに勝てなかった。
アルベルトは平民で、漆黒の髪と深い紫の瞳を持つ美丈夫だ。筋肉質の大きな身体と長い手足でどこにいても目立つ男だった。運動もでき、剣も凄腕な上に勉強も出来る。平民を見下す貴族たちも彼には手を出せなかった。
「あの……、オブライエン様」
ある日アルベルトが話しかけてきた。
「この前発表された魔術構築についてのレポート、理論の組み立てがとても美しくて感動しました」
「ありがとう。君こそ前回の試験の付与属性魔法についての考察がとても面白かった。僕は頭が固いからいつも柔軟な発想ができる君が羨ましいよ。今回のテストでは負けたけれど、次こそは一番をいただくよ」
「はい。俺も負けません」
そんな会話をした事もあったな……。
次こそはと言っておいて一度だってアルベルトには勝てなかったのに。今、思い出しても自分のセリフが恥ずかしくて穴があったら入りたい気分になる。その後もアルベルトは何かと話しかけてきて、親友とはいかないまでも会えば会話をするような関係になった。作り過ぎたと言って弁当を分けてくれたり、家庭教師先を紹介してくれたりもした。今ほんの少しだけお金を持っているのはアルベルトのおかげだ。
荷物を持ち雪の中を歩く。
もう二度とこの伯爵家には戻らない。
どこへ行こうか……。とりあえず数年前に亡くなった母の妹の元へと身を寄せようか。
ルイスの足跡を降り続く雪が隠していく。
ーーせめてアルベルトに別れの言葉が言いたかったな。
ふとそう思った。
*****
三年最後のテストが終わり、あとは卒業のプロムナードだけとなると学園の空気が弛緩する。ダンスの相手を探し右往左往する者たちを横目で見ながらアルベルト・カートライトは足早に学園長室へ向かっていた。
学園長室の扉を大きな音を立てて開けると、在室中の学園長ミカエル・ギャレットが立ち上がり、アルベルトに対してボウ・アンド・スクレープの見本のような礼を取った。
「これはアルベルト王子、いかがなさいました?」
「今回の試験の結果、あれはどういうことだ!?」
「どういうこととは?」
アルベルト・カートライトはこの国、エヴァリース王国の第三王子だ。カートライトは母の姓で、実際はアルベルト・エルシュタッド・エヴァリースという。母親が王宮勤めのメイドだったため王位継承権はあってなしの如くだが、子供が産まれると後々面倒なことになるので結婚相手は同性にするようにと言われていた。アルベルトは平民でも貴族でも変わらず平等に接するような部下と配偶者を探すため、身分を平民と偽ってこの学園に入学した。
「今回、俺は体調を崩していてほとんど勉強をしていなかった。自己採点では少なくともルイス・オブライエンの点数より下のはずだ。それなのに一番とはどういうことだ!?」
そのことですかーー、とそう言ってミカエルがしたたるような笑みを浮かべた。
そして俺は衝撃の事実を知った。
「あなたは王族です。王族は下位の者に負けてはいけません」
そこで今までの試験の全てがルイスがトップだったことを知らされた。だが学園は王子である自分におもねって試験結果を捻じ曲げたのだ。
「王子であるあなたのためだったのですよ」
アルベルトはミカエルの善意の押し付けに吐き気を催した。
だったら。だったらルイスはどうなる。
俺はルイスが毎日図書館で勉強していたのを知っている。
はじめて言葉を交わした時、次のテストは負けないよと微笑んで差し出された右手の細さを思い出す。
成績が貼り出された掲示板の前で、また君に負けちゃったと言うルイスは、俺に対して悔しいなどこれっぽっちも考えていない優しい笑顔で微笑んだ。
試験が終わったある日、ルイスが俺の目の前で倒れた。
抱き上げた彼の軽さに驚きながら慌てて保健室へ運んだ。
「過労と栄養失調ね」
保険医のエリザベス・ロバーツが俺に告げた病名に驚きを隠せなかった。
「倒れたのはこれがはじめてじゃないのよ。彼、家からお金をもらってないみたいで自分でお金を工面してるのよ」
「はぁ!? だってルイスは伯爵家の嫡男だろ?」
あくまで噂だけど、と前置きしてエリザベスはオブライエン伯爵家の内部事情を教えてくれた。ルイスの母は平民だということ、正妻との間に子供が出来なくて引き取られたこと、だが五年前に正妻との間に男の子が産まれて家では要らないものとして扱われていること、学費以外の援助は一切ないということ。
その全てが寝耳に水の話だった。そんな辛い思いをしているのにルイスは全く表に見せず友人たちと楽しそうに笑っていた。放課後、遅くまで残って勉強していたのは家に帰りたくなかったんだろうか。
俺はその日から何くれとルイスに付きまとって、余ったと嘘を吐き弁当を食べさせたり、家庭教師先を紹介したりした。ありがとうと言って微笑むルイスになぜか胸が高鳴った。
いつの間にか学園でルイスの姿を探すようになった。
俺に見せないような笑顔で語り合うルイスと友人を見た時は心が引き裂かれそうに痛んだ。
図書館で本を読むルイスの死角になる席に座り、密かに横顔を盗み見た。
木蔭で本を開いたままうたた寝をしているルイスの睫毛の長さに見惚れた。
ーーいつの間にか自分はルイスに惹かれているのだと気がついた。
明日、ルイスが学園に来たら試験結果のことを正直に言ってあやまろう。
そして自分が王子だと明かして告白して、卒業式のダンスの相手になってもらおう。
そう思ったのに、翌日からルイスの姿が学園から消えた。
「ルイスが廃嫡されたのはお前のせいだっ!!」
卒業式を数日後に控えたある日、ルイスの友人のニコラス・ブロア伯爵令息に掴み掛かられた。
オブライエン家と父親同士交流があるブロア伯爵、つまりニコラスの父に対し、平民に試験でずっと負け続けるような劣等生は伯爵家には相応しくないからという理由でルイスを廃嫡したと話したらしい。
「ルイスはとても優秀なのに……。お前がずっと試験で一番だったから……」
そう言ってニコラスは俺の眼の前で泣いた。
ガンっと頭を殴られたような衝撃を受け、目の前が真っ暗になり後悔ばかりが押し寄せた。
俺のせいだ。
俺は一番なんかじゃないのに。
俺が最初から王子として学園に通っていたならば。
試験結果が捻じ曲げられていなければ。
俺がルイスの将来を滅茶苦茶にした。
ルイスを探そう。そして自分が彼を幸せにする。
そう誓ってその日から俺はあらゆる手を使ってルイスの行方を探し始めた。
しかし彼の行方は杳として知れなかったーー。
「アルベルト様! シモン・ブラントが港街でルイスの姿を見たと!」
「本当か? ニコラス!?」
卒業後、俺はニコラスを従者とし、王宮の宰相補佐として働き出した。宰相はもう歳で、腹違いの兄ルーカス第一王子が王位に就く際に引退し、俺が宰相になることがすでに決まっていた。
あれからもう三年、アルベルトはニコラスに命じてずっとルイスの行方を探していた。
自分でも空いた時間にルイスの母が過ごした村や身内の元を訪ね歩いた。しかしどこにもルイスはいなかった。
シモンは俺たちの同級生で商人の息子だ。
彼の話によると海辺の街モンタナに商用で出向いた際、街角でルイスに良く似た男を見付け、話しかけようとしたが人波に呑まれて見失ったとのことだった。
「すぐに探しに行け」
「かしこまりました」
ニコラスは慌ただしくその場を後にした。
モンタナは馬車で三十分ほどの港街だ。
こんなに近くにいたのかーー。
俺は胸が高鳴るのを抑えることが出来ず、心ここに在らずでニコラスの報告を待ったのだった。
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