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第2話 中
「いらっしゃいませ!」
「おう、ルイス。久しぶりだなぁ。相変わらず可愛いなあ」
「あはは、ありがと」
酔客が尻を触ろうとするのをさっと避けながらルイスは客を席まで案内した。
「ルイス、こっちに麦酒ジョッキで」
「はい、ただいまー」
「ルイス! 帆立の香草焼き上がったよ!」
「はいはいっと」
「おーい、こっちにルイスを一人くれ」
「ほら、バカなこと言ってないで食べ物を注文してよね」
ルイスはくるくるとよく動きながら注文を次々にさばいていった。
雪の日、伯爵家を出て母親の妹の所へ行くため船に乗った。しかしその船は降り続く大雪のため途中の港街モンタナで停船してしまった。船代でほとんどの金を使い果たしていたルイスは街の片隅で倒れ、酒場『雪の兎亭』の女将レジーナに助けられた。彼女は若くして夫を亡くしたばかりで一人で店を切り盛りしていた。
レジーナは痩せ細って腹を空かせたルイスを店の二階にある空室に置いてくれて、食事をたくさん食べさせてくれた。そしてある程度体力が回復してからこの店で雇ってくれた大恩人だ。おかげで学生の頃より体重が増え、貧血で真っ白だった肌にも赤みが差すようになった。
酒場の常連客も働き始めた頃のボロボロのルイスを知っているので、ご飯を奢ってくれたり古着をくれたりと何かと良くしてくれている。
最初は手探りだった酒場の仕事にも慣れて、働く事の喜びを噛み締めるようになった。
今ではたくさんの人たちが自分に声をかけてくれる。それが嬉しかった。
屋敷では誰とも話すことなく生活していた。満足に食べることもできず、温かい家族の愛情も知らなかった。唯一安らげたのは学園にいる間だけだった。友人と話しをして、試験では彼と競って。
そういえばアルベルトは今何をしているんだろう。勉強も剣も魔法もなんでも出来たからきっと今頃は良いところで働いているだろう。平民だからって職場で虐められてないといいんだけど。彼にはずいぶん助けられた。もし会うことがあったらありがとうと伝えたい。
カラランっと良い音を立てて酒場のカウベルが鳴った。
「いらっしゃいませー」
いつものように挨拶をして扉の方を振り返ると、そこには懐かしい見知った顔が立っていた。
*****
目の前にルイスがいる。
三年探し、ようやく見つけた。
一気に学生時代のルイスの姿が断片的に思い出され、目の前の景色が霞んだ。
「もしかしてニコラスと……、アルベルト?」
「久しぶり、ルイス」
固まってしまった俺の代わりに、ニコラスが「久しぶり」、と言ったらルイスは花のように笑ってくれた。自分のことを覚えていてくれた、そのことが嬉しくて仕方ない。
「うわ、久しぶり! 女将さーん、同級生が訪ねて来てくれたの。何か温かい食べ物出してあげてー」
厨房に向かって大きな声をかけてから、ルイスは俺たちを空いている席に案内した。
「麦酒でいい?」
「ああ」
「あ、では俺は|蜂蜜酒《ミード》で」
「分かった。もう少しで仕事が終わるから、時間があるのならここで呑んで待ってて」
ルイスは俺たちに手を振ると厨房の方へと歩いていった。
しばらくすると、注文した酒と温かい海鮮スープを持ってきて机に置いた。
「外は寒かったでしょう? スープは僕のおごりね。じゃ、ごゆっくり」
戻る途中でまだ若い酔客の男がルイスに話しかけ、腰に手を回して耳に口を近づけた。
俺は腰に差した剣の柄につい手を掛けそうになって、やんわりとニコラスに止められた。
「こんな狭い場所で剣はダメですよ、アルベルト様。店が壊れたらどうするんです」
「すまない。ついカッとなって」
それを見ていたのか、近くにいた男が俺たちに話しかけてきた。
「お前ら、ルイスの同級生だったんだって?」
「ええ」
「ルイスは大丈夫だよ。ほら、見てみな」
ルイスは笑顔で腰に回された手を後ろ手で払い除け、さっと身体を引いた。
「やだなあ、もう。エンダーさん酔いすぎ。お水持ってくるね」
やんわりとそう言ってルイスはその場を離れていった。
「ほらな。酒場だから酔っ払いが多くて可愛いルイスに触ろうとする奴も多いけど、あいつはああやって上手に避けるから」
「なるほど」
男は麦酒を口に運んでから話し出した。
「あいつさ、昔何か辛いことでもあったのか? 今ではあんなに元気だけどここに来た時は痩せ細ってボロボロでな、今にも死にそうだった。それをここの女将が拾って飯を食わせてようやく元気になったんだ。もしお前たちが何かしたってんだったら、この店に来てる奴らはきっとお前たちを殺すぜ」
「ああ、あの頃の彼は家のことでちょっと悩んでいまして……」
俺の顔をちらりと見ながらニコラスが弁明した。
「……ルイスはみんなから好かれているんですね」
俺がそう言うと男は、そうだなと言って笑った。
「この店の常連客はみんなルイスが幸せになってくれればいいと思っているんだ」
その後も酔った客がルイスに触ろうとするが、彼はその悉くを上手に避けて接客をこなしていた。
ルイスはこまねずみのように動き良く働いている。客を明るい笑顔であしらったり、空いている皿を下げたりしている彼は学園にいた時とは違い、とても血色が良くて健康そうだ。俺は安心した反面、ここの人たちに嫉妬していた。
慌ててその感情をシャットアウトする。
自分がルイスを幸せにするなんて、何という上から目線の烏滸がましい考えをしていたんだろう。
俺がいなくてもこうして自分自身で居場所を見つけているじゃないか。
あんなに近かった彼が今はもう遠い。
「ごめん、お待たせ」
スパークリングワインが入ったグラスを机に置いてからルイスは俺たちの対面に座った。
「まだ客が残っているけどいいのか?」
「ああ、うん。大丈夫。みんな常連さんだし」
閉店時間の店にはまだ少し客が残っていてうだうだと酒を飲んでいた。
キッチンでは女将が皿をカチャカチャと洗う音がする。
「よくここに僕がいるのが分かったね。びっくりしちゃった」
「数日前、同級生だったシモンがお前をモンタナの街で見たって言ってな。あいつは商人の息子だろ? 今は父親について船で色々な港へ行って商売してるんだよ」
「へえ〜、シモンは今商人なんだ。ニコラスとアルベルトは? ニコラスは次男だから伯爵家は継がなかったんだよね?」
伯爵家、という言葉を使ったルイスの顔には何の感慨もためらいもなかった。
「ルイス、俺は君に謝らなければならないことがある」
俺は立ち上がってルイスの前まで行き、彼の両手を自分の両手でふわりと包んだ。
残っていた客が何ごとかと俺たちを見た。
「俺の本当の名前はアルベルト・エルシュタッド・エヴァリース。この国の第三王子だ。学園には平民として通っていた。隠していてすまなかった。みんなには卒業式の日に告白したよ」
ルイスは大きな目を見張って俺の顔を見た。瞳の中で深い海の青が揺らめいている。はっと息を継いだあと慌てて床に跪こうとしたので、止めて椅子に座らせた。
他の客も呆然とした顔でその場に固まっている。
「お前が廃嫡されたのは俺のせいだ。学園の試験だが、本当はルイスが毎回トップだったんだ。学園長は王子である俺を一番にするために試験結果を捻じ曲げた。ルイスの本当の実力が分かっていればオブライエン伯爵家の奴らもお前を廃嫡などしなかっただろう。本当にすまなかった。謝罪を受け入れてはくれないだろうか?」
その場で深く頭を下げてルイスに謝罪した。
俺を咎め、謗ってくれてもいい。
そう思ったのにルイスの返事は甘やかなものだった。
「分かりました。王子だと黙っていたことの謝罪だけは受け入れます。でも試験結果が覆っても弟に跡を継がせたかった両親は別の理由をつけて自分を廃嫡したでしょうし、試験結果を歪めたのは学園がしたことですからアルベルト様が謝罪する必要なんてないんですよ」
ルイスは俺の肩に手を置いて顔を上げるよう促した。
「こっちこそ急にいなくなってごめんなさい。学生時代はずいぶんあなたにお世話になりました。君は今まで僕に罪の意識を感じて生きてきたんですね。もう思い悩む必要はないですよ」
ああ、何も変わってなどいなかった。
彼はいつも俺に一番欲しい言葉をくれる。
優しい所も、自分のことよりも人のことを考える心の清さも、優しげな微笑みも、何もかも自分が好きだった学生の頃のルイスだ。
ようやく見つけた俺の好きな人。
最終試験の次の日にルイスに言おうと思っていた言葉がスルリと口を衝いた。
「ルイス、俺はお前が好きだ。俺と付き合ってくれ!」
「え、嫌ですけど」
間髪を入れず、一刀両断で断りの返事をもらった。
「何言ってるんだコイツ!」
「おい、ふざけんな! 俺たちのルイスに手を出すな!」
「王子様だかなんだか知らないがルイスに手を出したら殺す」
俺たちの後ろで客たちの怒声とニコラスの大爆笑が聞こえた。
「今日は帰る。ニコラス、行くぞ」
まだ苦しそうに笑っているニコラスに声を掛け、ルイスに笑いかけた。
「ここは酒場なんだろ? では俺たちがまた呑みにきても客だから問題ないよな」
「それはそうだけど……」
「では時間が許す限り呑みに来る。じゃあまた」
俺はルイスの手に金貨を一枚握らせた。
「釣りは次回の呑み代に。俺はもう二度とお前を離さないから覚えておけ」
さっきの告白はいきなりすぎた。告白しようと思ってからもう三年。それだけ待ったんだから俺を好きになってくれるまでいつまでも待てる。ルイスは今、目の前にいるのだから。
「アルベルト様はお前が学生の頃からずっと好きだったんだ。お前をずっと探していたんだよ」
ニコラスがルイスに話す声が聞こえた。
ニコラス、余計なことを言うんじゃない。
今ルイスはどんな顔をしているんだろう。気になったが振り向かずに酒場の扉を開けて外へ出た。
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