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第3話 後

「いらっしゃ……、また来たの?」  ルイスが嫌そうな顔で俺たちを出迎えた。 「いつもの」 「はいはい。アルベルトは蜂蜜酒でニコラスは麦酒ね」  あれから俺は時間を見つけては何度も酒場に通った。一人だったりニコラスが一緒の時もあった。今では常連たちも俺の顔を見ると話しかけてくれるようになった。 「いつもすまないね女将さん。これ、常連さんたちのぶんもあるのでみんなで食べて下さい」  俺が手配した王都で有名な菓子屋のチョコレートをニコラスが如才なく甘い物好きな女将に渡している。こうして少しずつ外堀を埋めている。 「アルベルト、何度来たって返事は変わらないよ」 「そんな素っ気ないこと言うなよ。こんなにも俺はルイスのことを愛しているのに」 「あいっ……!!」  で、常連に冷やかされるというパターンが出来ていた。 「だいたい宰相補佐様がこんな所に何度も通っていいのか?」  王子と分かった時は敬語だったのに、最近ではすっかり友達口調(タメぐち)になった。王子だと知っている常連客たちも、そんなルイスの態度を見て俺に敬語で話しかけるやつはいなくなった。学園では平民で通っていたので俺もその方が楽だ。 「お前に会うために仕事はさっさと終わらせてきた。心配してくれるなんてルイスは優しいな。そんな所も好きだ」 「〜〜〜〜っ!!」  あまり照れさせても仕事に支障が出るので今日はこの辺で勘弁してやろう。 「王子様、凄え」 「流れるような告白……」 「あんだけ好き好き言われたら俺だって好きになっちまう……」  酒場では俺がルイスを落とせるかどうかが賭けの対象になっていた。  もちろんそんな俺を面白く思わないヤツもいた。  初めて俺が店に来た時にルイスの腰に手を回しやがったフィリップ・エンダーだ。 「おい! ルイスが嫌がってるだろうが。いい加減諦めて帰んな」 「おや、本気でルイスが嫌がってるように見えるかい? あれは愛情の裏返しってやつだよ」 「テメェ」  麦酒の入ったジョッキをガンっと机の上に置いてフィリップが立ち上がり俺の胸ぐらを掴もうとするが、鍛え方が違う俺はさっと身体を避けた。フィリップがたたらを踏んで倒れそうになる。  倒れそうなフィリップの腕を掴んで立ち上がらせると、彼はフラフラと椅子に倒れ込んだ。 「フィリップのやつ、相当酔っ払ってるな」 「あいつ、ルイスのこと王子様が来る前から好きだったからなぁ」 「三角関係ってやつか」  常連客たちは言いたい放題だ。 「僕はどっちとも付き合ってないっ! だから三角関係は違う!」  バンバンとトレイで常連客を叩くルイスが可笑しくて俺たちは笑った。 「うん、そんな所も可愛くて好きだ」  俺がそう言うと、ルイスは真っ赤な顔をして俺の頭上にトレイを振り上げた。  ***** 「で、実際はどうなんだい?」 「何がですか?」  酒場を開ける前に床にモップをかけるのがルイスの仕事だ。いつものように掃除をしていたらテーブルを拭いていた女将さんに声をかけられた。 「王子様、そうとうアンタのことが好きみたいだけど、ルイスも満更じゃないんじゃないの?」 「それは……」  学園では身分差を気にせずに人に接し、運動もでき、頭も良く自分と試験の点を競っていたアルベルトは、その容貌と強さが相まってとても輝いていた。今では宰相補佐なんて偉い仕事をしているのに驕ることなく店のみんなにも平等に接してくれる。  そして何よりもーー。  アルベルトは長い間、ずっと僕を探してくれていた。  そんな彼に毎日のように好きだ好きだと言われ続けたら絆されてしまう。好きだと言われて嬉しくなってしまう自分がいる。  でも僕は…………。  アルベルトは僕のことを好きだと言ってくれるけど今の自分は平民だ。彼は王子で宰相補佐で、自分とは住む世界が違いすぎる。もし万が一王族のアルベルトと付き合うとなるとここの仕事は確実に辞めなければいけないだろう。もうここで働くことは出来なくなる。 「彼とは身分が違いすぎます。それに僕はここが好きなんです。ここから離れたくない……」  それは分かるけど、と前置きして女将さんが言葉を続ける。 「立場とか身分とかは関係なく、ルイスの今の気持ちはどうなんだい? 好きでも嫌いでもいいからさ、まずは自分の素直な気持ちを王子様にちゃんと伝えた方がいいよ。まあ嫌いだって言ってもあの王子様はあんたを諦めないと思うけどね」 「はい……。そうですね……」  キッチンに入って食材の入っている箱を見ていた女将が声を上げた。 「あらやだ、今日寒いからスープをたくさん作ろうと思ったのに、ビーツがあとこれだけしかないじゃないか。ルイス、雪の中悪いけど三キロ分買ってきてくれないかい?」 「あ、はい」  ルイスは二階の自分の部屋で貰い物の黒のロングコートを着て手袋を嵌めてから市場へと出かけた。外での買い物は気分転換にちょうど良かった。ゆっくりとアルベルトのことを考えられる。外は少し前から雪が降っていて、このままだと明日の朝には積もっているだろう。足元が悪いから今日はお客さんが少なそうだ。    雪の中を歩いていると伯爵家を出た日のことを思い出す。  あの日も雪が降っていた。  降り積もる雪の中、僕は何故かアルベルトにだけは別れを言いたかったと思った。  あの時の気持ちは一体何だったんだろう。  次に学園でのアルベルトを思い出す。  過労と栄養失調で倒れた時、一度だけアルベルトに運んでもらったことがあった。かすかに残る意識の中、その力強い腕と太陽のような匂いに安心して身を任せた。  ベッドで目を覚ますと、深い紫の瞳が心配そうに自分を見つめていた。その瞳に安心してまた眠った。  自分の境遇を聞いたのだろう。その日からアルベルトが何くれと僕を気にしてくれるようになった。それに自分はいつも甘えてばかりいた。  こうして思い返してみると、あの頃の自分はアルベルトのことを憎からず思っていたんじゃないかと思う。  市場は雪のせいか足場が悪く、いつもはごった返す人の流れも今日は少なかった。馴染みの八百屋で言われた通りビーツを三キロ買って袋を両手で持ち、元来た道へと戻った。  しばらくさくさくと雪道を歩くと、目の前に顔を赤くしたフィリップ・エンダーが立っていた。雪に足を取られないように下を向きながら気を付けて歩いていたので、こんな近くにいたのに全然気が付かなかった。  フィリップの足元はふらつき、顔が真っ赤になっている。まだ夕方なのにどうやらずいぶんと酔っているようだ。出会った頃は良く喋る陽気で明るい性格の男だったのに、いつの間にか酒に溺れるようになり、最近では街で喧嘩を繰り返しているらしい。  フィリップはフラフラとルイスの方へ近づいてきたと思ったら、ビーツを持つ僕の肩をつかんで強い力で引っ張った。ビーツが落ちて足元にバラバラと散らばった。  降りしきる雪のせいで急いで帰宅する人たちは誰も二人を気にしない。 「ちょっとエンダーさん!? 手を離して!! 酔ってるの?」  そのまま腕を取られずるずると裏道に引き摺り込まれ、背中を壁に押しつけられた。途中、ビーツを踏んでしまいうっすら積もった雪の上に薄く赤い色がついた。フィリップは何も言わずに僕の脚の間に膝を割り入れ、両手首を片手で掴んで頭の上に縫い付けた。 「ちょっと! 何を……、ぅ、んうう……」  もう片方の手で僕の後頭部をつかんで動かないように押さえつけて唇を合わせてきた。生温かい舌が強引に口内へ入ってきて歯列を舐め、舌を重ね合わせた。  強い酒の味がする。  気持ちが悪い。  とてつもない嫌悪感が背中を走った。  なおも舌を絡めようとするので歯で思いきりフィリップの舌を噛んだ。手の拘束が緩んだ隙に身体を離して逃げようとしたが、身体がすくんで上手に動かせず、足がもつれて膝から地面に倒れ込んだ。ズボンが雪に濡れてとても冷たく、寒さと恐怖で身体がガタガタと震えた。 「何で逃げるんだよ! 王子なんかより俺の方がずっとお前のことが好きなのに!」  口から血を流したフィリップは座り込む僕の身体を強く押したので、今度は横向きに倒れて膝だけでなく全身が雪に塗れた。フィリップはそんな僕を暗い目で見つめ、胸ポケットから折り畳みナイフを出して僕の首に突きつけた。 「お前はやっぱりあいつの方がいいのか? 俺はあいつよりもずっとお前のことが好きだ。お前が俺の物にならないのならこのままいっそのこと……」  首に当てたられたナイフに力が入り、熱さを感じた。  嫌だ。  痛い。  怖い。 「あ…………」  その時、頭に浮かんだのはアルベルトの顔。  自分がアルベルトの事を好きだと自覚した瞬間だった。 「アル…………、アルベルト! アルベルトォ!!」  必死に身体を捩って名前を呼ぶ。  怒ったフィリップがナイフを僕の頭上に振り上げた。  目を閉じて刺されることを覚悟する。しかしそのナイフが振り下ろされることはなかった。  そっと目を開けると、ナイフを持ったフィリップの腕を捻り上げるアルベルトがいた。ナイフが地面に落ち、それをブーツで遠くへ蹴ってからフィリップを殴り飛ばした。アルベルトの背後に走り寄って来るニコラスの姿も見える。  アルベルトがうずくまっている僕に手を差し出した。 「大丈夫か? 遅いから迎えに来たんだが、本当に来て良かった」  その大きな手を取って立ち上がると、いきなり強く抱きしめられた。  仕事が休みだったアルベルトとニコラスは、雪が降る前に早めに王都を出て店の開店少し前に店に来たが、買い物に行った僕がなかなか帰って来ないことを女将さんに聞いて探しに来たとのことだった。  大きな腕に包まれながら頭だけを少し離してしばらくお互いの顔を見つめ合った。 「ビーツが落ちていたからこの辺りにいると思って探してた。首、怪我してるが平気か?」 「ん……、平気。ありがと」  濡れた身体にアルベルトの体温が温かくて気持ちが良かった。  まだ少し震えている僕を安心させるように、彼は僕の瞼に優しく口付けた。 「ゴホン。あの…………、お二人さん?」  ぱっとアルベルトから身体を離して声のする方を振り向くと、赤い顔をしたニコラスがフィリップを後ろ手に拘束して立っていた。 「えっと、俺はコイツを憲兵に引き渡してくるから。女将さんにはルイスが雪で転んで怪我して診療所へ行っていると伝えておくから……。その……、あとは二人でごゆっくり」  そしてニコラスはアルベルトに何やら声をかけてから、フィリップを連れて歩いて行った。  ーーーーー 「ここを真っ直ぐ歩いた少し先に連れ込み宿がある。風呂も付いてるから服を乾かして濡れた身体を温めてやれ。ルイスは雪で転んで一日だけ様子見で入院ってことにしといてやるけど、歩けなくなるまではやらないようにな」  などとニコラスがアルベルトに忠告していたなんてルイスは夢にも思わなかった。  アルベルトはニコラスに特別手当てを弾まないといけないなと思った。

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