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第1話

 友達が来てるよ、と店に呼び出されたのはいいが、そこにいたのは最近俺の周りをうろついている後輩の日辻とその連れだった。俺の家は花屋だ、花を買いに来たのは分かる。が、いったいこれは何の真似だ。 「うお、このひまわりちっちゃいな」 (日辻、それはガーベラだ) 「あ、このバラとげがない、すげぇ!」 (そうだな、トルコキキョウにはとげはない) 「なー、吉田、このパンジーでかいけどどう?」 (それはデンファレ,…その鉢植えをどうする気だ)  店内がほわほわと綿菓子のような空気に包まれていく。俺の家族も客も、もれなくにやつかせている日辻の横で、吉田は順当にバラの棚の前に行き、こちらを見た。 「先輩、このバラでブーケお願いします!」 「はいよ、どんな感じがいい?」  彼女のダンスの発表会に花を持って行くという吉田は、割とまともそうだ。 「クラシックかつ前衛的で、落ち着いた雰囲気の中に情熱溢れる感じで!」  うん、やはり日辻の連れだった。  花を買いに来てくれたんだ、どんな注文でも断る理由はもちろんない。こいつの言うことを俺が表現できるかは別問題だが、善処はする。  バラとグリーンを選んでいると、いわくありげな顔で横にピタリとついてきた。最近の1年はみんなこんな距離感なのだろうか。財布の中から何か取り出してきたけれどよく見えない。 「先輩、映画好き?」 「まあ人並みに」 「あのですね、ここに無料鑑賞券あるんですよ。これ花代の足しにならないかなーって」  別にそんなのなくても少しならおまけしてやる、と言ったけれどチケットは2枚だった。じゃあその分たっぷりとした花束にしてやる、と交渉が成立したところで背後に視線を感じた。振り返ると日辻が不満そうな顔をして唇を突き出している。 「吉田、いつの間に大上先輩と仲よくなったんだよ! 俺だけ仲間はずれにすんなよー」 「ちげーよ!」  吉田の高めの声と俺の低音が見事にリエゾンした。  大体吉田(コイツ)はお前の連れだろう。それを日辻にわざわざ指摘されることが無性に気持ちを乱してくる。この曖昧な気持ちが何なのか、分かりそうで分からない。もう治ってしまったすり傷のかさぶたのようなむずがゆさ。爪ではがしてるうちは楽しいのに、うっかり力加減を間違えると生々しくひりつく。  胸の奥のもやもやを押し殺して、クラッシックで前衛的で落ち着いた情熱的な雰囲気になるようにまとめていく。スモーキーピンクのバラを中心にアジサイのリーフで囲い、チョコレートコスモスでアクセントを付けたブーケを渡すと、吉田は満足そうにうなずき「あざっす。あ、因みに、日辻も映画好きですよ。じゃ!」と振り返りもせずに店を出て行った。 謎の情報を受け取って振り返ると、日辻も不可解な表情で見送っていた。 「えーと、お前は?」 「空気読んでくださいよ、彼女のダンス見に行くのに俺がついてくなんて野暮じゃん。馬に蹴られるわ」  発表会なら邪魔にならないのではと思ったが、それよりも日辻に『空気読め』と言われたのが可笑しかった。この店の空気をほのぼの一色に塗り替えたお前が言うな。  なんとなく店内をうろうろして話をしていると日辻の視線が俺の腰のあたりで止まっている。 「先輩、ポケットから何か落ちそう」  唐突に指摘されて、さっきもらった映画のチケットのことを思い出した。 「ああ、今何の映画やってるか知ってる?」 「あー、帝都廻戦が今日までだった気がする」  ズボンで手を拭いてからチケットを取り出して見せると、日辻の瞳が輝いた。 「招待券だ! いーなー」  何の接点もない日辻とは、やつが俺の背中に石を蹴りつけたことがきっかけで話をするようになった。最初は、俺の見た目が怖いからと言って一方的に逃げ回っていたけれど、こっちが怒ってないことが分かると手のひら返したみたいに懐いてきた。  俺を見つけた途端すごい勢いで(実際足が速いのだ)きて、にこにこ笑いながら話しかけてくる。そのくせ、何かの拍子に俺の顔を見て目を丸くすると、慌ててどっかに逃げていく。 別に逃げられたって問題はないけれど、何で走って寄ってくるのに同じ速さで逃げるのか。理解不能だ。かといってこっちに気付きながら寄ってこられないのもさみしい気がする。 「お前暇なら今から行くか?」  嬉しそうな表情のあとに目を泳がせて瞬きをしている。2枚重なっていたチケットをずらして見せると、「あ!」と分かりやすく表情が変わった。 「2枚あるんだよな、これが」 「行く!」  いい返事だけど、こっちが驚いた。  映画館だぞ。こっちは構わないけど、隣に座るし逃げられない。お前はそれでいいのか?  でも、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけの意地悪な気持ちと好奇心で、俺はその言葉を飲み込んだ。 *  夏休み後半だけあってか映画館は混んでいた。2人横並びの席を選択していると、隣で日辻が目を丸くして画面と俺の顔の間で視線を往復させている。  選択肢はふたつ。席を離すか、このまま気付かないふりして決定ボタンを押すか。 「おい、早くしろよ」  後ろのカップルの男の声がとげのある声で怒鳴ってきた。手には先に買ったらしい帝都廻戦のグッズがある。なるほど、急いでいるんだな。2人並びの席はこれがラストだ。俺は満面の笑顔で日辻を黙らせて、決定ボタンを押した。  最後尾列の、一番奥まった席に腰を落ち着けると、日辻は観念したようにまだ何も映っていない画面に顔を向けていた。そして唐突に首を回してこちらを見た。なにやら唇が動いている。『推しだ、推しだ、これは恋さ、いっぱいの花を背負った推しだ』? うん、意味不明だけどそんなにこの映画が観たかったのならまあいい。  あまりの真剣な顔に、なんと返していいのか分からないので笑顔で応じると、はっとして俯いて首をぶんぶんと振った。いつも通りの安定の挙動不審で安心する。  首を振った風圧で真ん中に置いたポップコーンの山がカップの中でカサッと音を立てた。一つつまんで口に入れ、奥歯で噛むとクシュっとつぶれる。ポップコーンの歯ごたえはとても微妙だと思う。フワフワしてるくせにたまに固いところがあったり、全く気が抜けない。そんなことを考えていると隣から日辻の手が伸びてきた。控えめに、しかし大胆にポップコーンをつかんで口に放り込んでいた。  やがてブザーが鳴り、映画が始まった。

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