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1.「死ね」と言われて10

 沈黙し続けると、りっくんが心配する。めんどくさい事に巻き込まれそうだって、いよいよ迷惑がられてしまう。  それに……せっかく持ち直した気力と人の良い笑顔を、絶対に曇らせちゃいけない。僕は〝何か〟と同じになんてなりたくない。 「…………」  ……よし。とにかく怪しまれないように、僕も笑顔でいよう。  りっくんは僕に助けられたって言うけど、僕だって……。  あの場にりっくんが来なかったら、物音でビビらせてくれなかったら、〝死にたくない〟と思わせてくれなかったら、きっと僕は今頃──。  これからのことなんか何も考えてなかったけど、生きてればなんとかなる。……多分。 「──あの、もしかして、帰れない事情があるんですか?」 「いや、……ううん。近くの駅で降ろしてくれたらいいよ。お礼も別に要らない。これ、貰ったし」 「そんな、お茶一本ぽっちで今日のお礼をした事にはなりません」 「そう言われてもなぁ」  一生懸命考えた策は、律儀な大人によって一蹴された。  どこかで降ろしてくれたらいい……そう言った僕に、りっくんは血相を変える。 「話してもらえませんか? 俺に出来ることがあれば力になります」 「いいって! ほんとに大丈夫だから。話したとしても、聞かなきゃ良かったって思うよ」 「そんなの分からないじゃないですか」 「……分かるよ」 「分かりません」  なんで即答できるんだよ。  話したとして、何になるの。りっくんが困るだけだよ。  家を追い出されたって、それはただの痴話喧嘩でしょと鼻で笑われて終わり。あげく家が無い、頼れる家族も居ない、そんなヤツめんどくさいの一言だよね。  でも分かってるんだ。  りっくんがただのお人好しじゃないことくらい。 「分かるって」 「分かりません」 「分かるって言ってんじゃん!」 「分からないと言っています!」 「りっくん引かないな!」 「あなたもですよ、冬季くん!」 「…………っ」  りっくんとの言い合いの末、剣幕に負けた僕の体が硬直した。  穏やかな人が声を荒らげると、普段出し慣れてないせいでボリューム調整が下手くそで、今のりっくんもそうだった。  僕は昔から、近くで大声を出されると思考が止まる。  叩かれたり髪の毛を引っ張られたり、熱いものを押し当てられたり、そういう色んな恐怖が蘇ってきて肩が竦んじゃうんだ。  無意識に体を引いていた。  いつものこと。慣れていること。  だけど記憶の底に沈めたママの顔がチラついて、急いで頭を振った。どんなに頑張っても嫌いになれなかった人は、僕の人格形成に多大な影響を及ぼしている。 「冬季くん、……冬季くん」 「…………っ」  呼吸が浅くなってきた僕を見て、ただ事ではないと思ったらしい。  手を伸ばしてきたその時、僕は一瞬ビクついてしまった。それでも構わず、りっくんは僕の両手を取った。大きな手のひらで包み込むようにギュッと握って、眉根を寄せる。 「冬季くん、大きな声を出してごめんなさい。でも「人は見かけによらない」……冬季くんがそう言ったんですよ。僕にも事情があります。あなたにもそれ相応にあるんでしょう?」 「…………」 「全部話してくださいとは言いません。でも困っていることがあるなら……助けたい」  あまりにも真摯な瞳に、ハッとした。吸い寄せられそうになった。  握られた大きな手のひらから、温かい気持ちがどんどん伝わってくる。  自分だって、絶対そんなにメンタル強くないじゃん。何なら僕より打たれ弱そうじゃん。  事情も素性もよく分からない僕なんかを構うような余裕、まだないでしょ?  僕がもし、りっくんを裏切るような最低な人間だったらどうするんだ。  親切心につけ込んで悪さするような最悪な人間も、人の心を傷つけたって何とも思わない非情な人間も、世の中にはたくさんいるんだよ。  また心が壊れたらどうするの。  僕が〝何か〟だったら……どうするの。 「りっくん……そんなこと言っていいの?」 「俺は大人ですから。自分の発言には責任を持っているつもりです」  良かれと思って突き放したのに、凛と言い返されてしまった。  ──ダメだ。……泣きそうだ。  こんなに親切な人がこの世の中にいたんだ。  その優しさは上辺だけかもしれない。また数ヶ月後には、僕は裏切られているかもしれない。手首の傷が増えているかもしれない。……考えないわけじゃなかった。  でもりっくんが、すごく……すごく、温かい瞳をしていたから。  僕が望み続けた温度で、〝冬季くん〟って……呼んでくれるから。 「……助けて、ほしい」  張り裂けそうな胸の内を、こぼしてしまっていた。  りっくんは頷いて、優しく頭を撫でてくれた。泣けない僕はその時、とても変な顔をしていたと思う。  〝サヨナラが惜しい〟と思ったのは、お兄さんが初めてだった。

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