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2.出会った二人は

─ 李一 ─  俺が毎夜繰り返し見る夢は、悪しき記憶の断片。 〝誰のおかげで飯が食えてると思っているんだ〟  お父さんのおかげです。何不自由なく暮らせているのは、お父さんがぼくを捨てなかったからです。 〝お前はアイツに似て疫病神だな〟  はい。申し訳ありません。疫病神のぼくを捨てないでいてくれて、ありがとうございます。 〝能無しのお前は人より何十倍も努力しなければ〟  精一杯がんばります。お父さんのために、寝る間を惜しんで勉強します。 〝さすが妾の子。アイツに似て器量良しの不出来なようだな〟  ……申し訳、ありません……。  二十年も前の映像がこうも鮮明では、死ぬまで忘れることは不可能だろう。  鬼瓦のように険しく厳しい表情で、〝ぼく〟を罵倒し続けた父。俺の母親は相当に手酷い手段で父と縁切りをしたらしく、その恨みを一心に買った俺は常に劣等感と虚無感を抱えて生きていた。  代々医師家系で、父は総合病院の院長。腹違いの兄と姉は父の病院ですでに外科医、内科医として働いており、俺も当然医師を目指すよう幼い頃から言いつけられていたが、結果歯科医師となって早々に家を出るや個人医院を開いた。  理由は単純、父の元で働きたくなかったからだ。  俺は一刻も早く、あの憎悪に満ちた瞳から逃れたかった。それは、半分は血の繋がった我が子に向けるべき瞳ではなく。  顔を合わせれば詰られ、母を引き合いに出されては嘲笑された。  顔も知らない実母に愛着が湧くはずもなく、新しい母の見え透いた庇いも虚しく感じ、「がんばります」と口癖のように言っては父を裏切ることで鬱憤を晴らしてきた。  そうする事で余計に火に油を注いでいたのかもしれないけれど、彼の言う通りには出来なかった。  父が言うには、医師と歯科医師は歴然とした差があるそうだ。ハッキリ言ってしまえば、下に見ている。  バカバカしい差別的考えだとは思うが、当時の俺は若干なりとも同意見だったから、父の敷いたレールから逸れることが出来たのは事実だ。  ──これで良かった。  あの瞳から逃れられ、やかましい声を毎日見聞きしなくて済むのなら、年に一度や二度の皮肉めいた言葉くらい耐えられる。  下に弟が出来たことも功を奏した。  父は間もなく七十だ。  見下している歯科医師に自身の口腔内を診せるとは思えないので、やがてそう遠くない未来に別れはくる。断言は出来ないが、俺はそう思っている。  口腔ケアは生命維持、増進に直結するというのが近年明らかになっているからだ。 「── 李一先生〜、十八時半の予約だった佐藤さんが残業で来週に変更になりましたー」  四.五帖のささやかな院長室でレントゲン写真のチェックをしていると、扉の向こうから受付の町田さんがそう声を掛けてきた。 「はーい、じゃあもう今日は閉めちゃいましょうか〜」 「分かりましたー!」  三十分早く帰宅出来るとあって、扉の向こうから「やった〜」とスタッフさん達の嬉しそうな声が聞こえた。  今日は土曜日。多くの医院が半休を取っているなかで、俺が院長を務める〝成宮歯科クリニック〟は土日も十九時まで開けている。  その代わり平日に半休や全休を挟んで、スタッフさんの勤務負担を軽くしているつもりではあるけれど、軌道に乗るまでの一年間は本当に色々と大変だった。  〝成宮〟の名が通用しない町で、勤務医上がりで実績も無い俺が一から歯科クリニックを開くのは、父からの嘲笑もやや頷けるほど難しかった。  開院から支えてくれているスタッフさんのおかげもあって、先々月にめでたく二年目を迎えた今、近隣の歯科医院と同等なほどには患者さんも定着してきている。 「明日もよろしくお願いします。お疲れ様でした」 「お疲れ様でしたー!」  片付けを終え、町田さんに呼ばれた俺は受付まで歩んで形ばかりの終礼をする。  ベテランの歯科衛生士が三名、俺とそう変わらない年齢の歯科助手が三名、受付が二名の小規模なクリニック。  けれど彼女たちが居なければ、この歯科医院は回らない。  本当に感謝している。 「李一先生、あまり飲み過ぎないでくださいね!」 「分かりました」 「寝坊したら容赦なくお家まで行きますからね!」 「はい、すみません。よろしくお願いします」 「いやいや、そこは「寝坊なんてしません」が正しい回答ですよ!」 「あ、そっか。寝坊しないよう努力します」 「もう、李一先生ったらー!」  笑顔でスタッフルームを出て行く彼女たちを見送って、俺も白衣を脱いだ。  明るくて優秀なスタッフに恵まれたことに感謝しながら、車で十五分の自宅に帰る。  「飲み過ぎないで」と言われてしまうのは、いつも晩酌をするのを知られているからで、気が付いたらテーブルに突っ伏して眠っていることもしばしばある。  夢を見るのが嫌で、深酒をしてしまうのだ。

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