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2.出会った二人は3
成宮家の本宅は、俺の住んでいるところから車で一時間はかかる。
到着してまず辟易するのは、車内に居ながら顔認証にて門が自動的に開くところ。俺に気付いたお手伝いさんが飛び出してきて危ないし、長居するつもりはないのにキッチリ駐車場に停めさせられるところも、父の言いつけを守っているようでいけ好かない。
「李一さん、おかえりなさい」
「……ただいま」
初見のお手伝いさんと短い挨拶を交わすと、十mは先にある玄関へと歩んだ。
高級住宅街に佇む豪邸と呼ぶに相応しい三階建ての一軒家は、ビルトインガレージや庭を含め千坪の敷地面積を誇る。
誰が見ても立派な邸宅だけれど、良い思い出が一つも無いこの家に俺が抱く感想は、〝冷たい建物〟だ。
「まだあそこ焦げてるんだ。直せばいいのに」
見つめた先のコンクリート塀に、年代物の煤けた痕が残っていた。
あれは俺が十二歳の頃、一度庭でボヤ騒ぎがあった。たまたま庭を歩いていた俺になぜか疑いがかかり、その日のうちに庭師の煙草の不始末が原因だと分かったから良かったものの、決めつけた父から疫病神扱いされた俺は今でも納得がいかない。
さらにはあの、庭に特設されたガーデンパラソル。
新しい母は、あの場所でよく優雅に寛いでいた。自身の息子と俺を比べては「我が子が一番可愛い」アピールをし、そのくせ父の前では詰られる俺を庇って慈悲深い母を演じていた。
〝あなたは誰からも愛されていなくてかわいそうね〟
……なんて、俺が不憫だと思うならわざわざ言葉には出さないでしょう。それも二人きりになった途端、笑顔を封じた鋭い目線付きで。
誰からも愛されていないことくらい、分かっていた。
おかげで俺はまともに恋人の一人も作れやしない。いや、交際の経験はあるがまったくもって長続きしないのだ。
女性は必ず二面性がある。義母のおかげでそれが判明し、今も昔も疑わずにはいられない生き物だと思っている。
あちらから言い寄ってくるくせに、少々しつこく本心を聞いたり、些細なことを訝ったり、根拠のない疑いをかけると、途端に相手はうんざりした態度を見せた。
真っ赤な顔をして、時には鬼気迫る必死さで「好きです」と言うから、俺はその言葉をまずは信じてみただけのこと。
なぜ〝好き〟なのに二ヶ月と保たないのか分からない。
愛されたことがないから、愛し方も愛され方も分からない。
努力してそれを知ろうとも思わない俺に難があるのかもしれないけれど、五人の女性と同じことを繰り返すとさすがにもう面倒になった。
独りが気楽だという結論に至り、幸いにも生きがいとなった仕事に専念できているので、俺は生涯 独身貴族を気取るつもりである。
「……思い出したくもない」
実母、義母、実父、年の離れた兄弟たちは皆、俺を妾の子……つまり汚らわしい厄介者だと思っているのだ。
子は親を選べないのだから、仕方がないだろう。
半分は血が繋がっているのに、皆が俺を見る目は冷めきっていた。
一周回って、俺がすべて悪いのかもしれないと思った時期もあった。居なくなればいいんだろうと立入禁止の学校の屋上に無断で侵入し、よくない考えに及んだこともあった。
俺が生きていることで彼らを不快にさせているなら、死ぬしかない──。
そんなことを思わせて、心を握り潰した張本人たちはまったく痛手を負わないとは、不条理がまかり通る恐ろしい世の中だ。
「……やめやめ」
小さく頭を振り、俺の身長のさらに二十センチは高さのある玄関の扉を開けた。するとさっそく、待ち構えていたお手伝いさん二名から「こちらへ」と招き入れられ、おとなしくついていく。
向かうは奥の書斎だ。
昔から、お手伝いさんに連れられてこの廊下を歩くのが苦痛で仕方なかった。行って笑顔になった試しが無い。
今日も鬼瓦のような風貌で、俺を嘲笑して暇をつぶす気でいる父が、革張りのソファでふんぞり返っていることだろう。もしくは、デスクの方で老眼鏡をかけ、高価な万年筆で何かを書き留めているか。
「旦那様、李一さんがただいま帰られました」
そんなことをいちいち言わなくていいですよ。……心の中でだけ、お手伝いさんにツッコミを入れる。
中からは特に何も返ってこない。相変わらずだ。
「失礼します」
お手伝いさんの手によって書斎の扉が開かれるこの瞬間、いつも胃が痛くなる。
ここで俺は何度、泣くのを堪えたか知れない。逃げ出したいと思ったか知れない。
「遅かったな」
「……すみません。思った以上に道が混んでいて……」
「言い訳はいい」
予想の後者通り、デスクで書き物をしていた父の前へ足取り重く歩む。部屋の両サイドに医学書が並ぶ背の高い本棚が、圧迫感と胃痛を増幅させていた。
事実を一蹴され、「申し訳ありません」と萎縮して俯いた俺に、父は間髪入れずに信じられないことを口にした。
「お前の母親が死んだ」
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