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2.出会った二人は8

 ◇  俺が冬季くんに対し「純真無垢」だと言ったのは、単なる直感だった。  まず非科学的なものを〝オバケ〟と呼称し、さらに一人称が〝僕〟、話し方は背伸びしているけれど隠しきれない幼さが際立っている。  俺の直感……案外言い当てている気がしてならない。 「安達さん、駄菓子って主食になりますか?」 「はい?」  午前の診療時間の合間、次の患者用の治療器具をユニットにセット中だった安達さんは突然の俺の問いに首を傾げた。 「駄菓子は主食じゃないですよ。おやつです、おやつ」 「……ですよね」  頷いた俺は、出掛けに交わした冬季くんとの会話が頭から離れなかった。  自由に使える現金は持っておいた方がいいだろうと、財布に入っていた一万円札を冬季くんに手渡そうとした時だ。 『あ、そんなに要らない! りっくん、僕百円だけ貸してくれたらいいよ!』 『百円? ……百円? え、なんで百円……?』 『駄菓子買うから!』 『だ、駄菓子……っ? 一応朝とお昼代にと思ったんですけど……それでも余るでしょうから、それでおやつも買えばいいのでは……』 『立派なごはんだよ』 『……ん?』  言っている意味が分からなかった。  駄菓子は知っている。知っているだけで口にしたことはないんだけれど、それがごはんになるとはどうしても思えない。  眠気もあり、思考が鈍っていたとはいえ冬季くんの発言には謎しかなかった。 『僕、主食が駄菓子だから』 『えっ!?』 『いや、もちろんごはんも食べるけどね?』 『でも駄菓子で済まそうとしたじゃないですか』 『安くて腹持ちがいいラインナップ揃えるのうまいんだよ、僕』 『へ、へぇ……』  新しいグローブ(医療用ゴム手袋)を嵌めて神妙な顔をしている俺を見て、すでに安達さんの目元が細くなっている。  俺は度々「李一先生って天然ですよね」とスタッフ全員から揶揄われるが、まさにその時と同じ目元をしていた。 「李一先生、駄菓子を買った経験や、召し上がったことがありますか?」 「いえ、ありません」  即答すると、爆笑のスタンバイが完了していた安達さんは診療室に響き渡るほど豪快に笑い始めた。  実家が裕福だとか、俺の素性に関わることはほとんど話していないのに、ここのスタッフさん達はなぜかみんな俺がそうだと信じて疑わない。  だからといって無理に聞き出そうとしないのはありがたいのだけれど、そのせいか俺が世間知らずな言動をするとこうして笑われてしまう。  何に笑われているのかは分からないが、スタッフさん達の楽しそうな笑顔が見れて嬉しいから俺も微笑む。するとさらに笑い声は大きくなる。  彼女たちの笑いのツボがよく分からない。 「もう、李一先生ったら! 笑わせないでくださいよっ、化粧が崩れるでしょう!」 「……すみません……?」  駄菓子を買ったことも、食べたこともないというのは、ティッシュで目尻の涙を拭うほどそんなに可笑しいことなのだろうか。  タービンにバーをセットしつつ、俺は出掛けの冬季くんとの会話を思い出し、さらに困惑した。  ちなみにタービンとは、大体の人が苦手とする〝あの音〟が鳴る歯を削る器具の一つの名称だ。  タービンの先端に装着するのが、〝バー〟である。これは様々種類があって、切削の仕方によって都度最適なものに変える。 「李一先生、いいですか。一般的な家庭の子であれば、小銭を握り締めて駄菓子屋に行った経験が一度はあると思います。有金でいかにたくさんお菓子を買うか、子どもながらにすごく頭を使うんですけど、あれがまた楽しいんですよ」 「へぇ……そうなんですね」 「なんでまた、そんなことを?」 「いえ、ちょっと気になったもので」 「なんですか、それ!」  濁すと、また笑われてしまった。  冬季くんとの会話が釈然とせず、プライベートでは二人のお子さんの子育て真っ最中である安達さんに何気なく問うてみたのだが……適切な返答ができるわけもなく。  安達さんはクスクスを堪えきれていなかったけれど、次の患者を呼び込むため受付の町田さんにサインを送った。  それから間もなく、平日はバリバリ働いているという女性患者が診療室に入ってきた。 「──こんにちは、伊達さん」  初診時に歯医者が苦手だと震えていた伊達さんに、今日は麻酔をする治療だと言い伝えていたため緊張の面持ちでやって来るかと思えば、化粧がバッチリ施されたその顔は意外にも綻んでいる。 「先生、こんにちは。待合室まで楽しそうな笑い声が聞こえていましたよ。ここはいつでも賑やかで明るくていいわね」 「そう感じていただけて、僕らもありがたいです」 「それに先生は美形だし」 「うーん……。伊達さん、眼科への受診をおすすめします」 「先生ってば謙虚なんだから」  衛生士である安達さんもコップやエプロンを準備しながら会話に参加し、治療前に何気ない会話をして少しでも患者の緊張を解すよう努める。  〝歯医者が大好きだ!〟なんて猛者は見たことがない。ただでさえ、出来れば一生世話になりたくないであろう場所に来ているのに、愛想の悪いスタッフや歯科医師の居る医院だと、終始ピリついた雰囲気で緊張感が倍になる。  この伊達さんも、今まで通っていた日曜診療の医院がそうだったらしく、終わる頃には汗をびっしょりかいていたという。  新しい歯科医院はどうだろうかと恐る恐る入ってみたら、この通り。これまでの苦手意識を払拭できたと聞くと、俺は〝この道を選んで正解だった〟と自信が湧く。  冬季くんのことが気になってほとんど仮眠は取れなかったけれど、仕事が始まると眠気は飛んだ。スタッフさんや患者のおかげだ。  そんなこんなでお昼休みまでに十二人の患者を診たあと、俺は大急ぎで自宅へと帰った。  

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