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2.出会った二人は9

 窓の外を眺めていた横顔は、触れるとたちまち消えてしまいそうな儚さだった。俺が着替えのために一分ほど独りにしていただけで、あの切ない表情だ。  俺の存在に気付くやすぐにその表情を打ち消し、何事もなかったように笑顔を向けてきた冬季くんは、悲しいことやツラいことを隠しながら生きてきたのかもしれないと、俺はそんな勝手な推測を立てた。 「どこへも行っていませんように……!」  赤信号でブレーキを踏む度、気持ちが急いた。  縁があったとはいえ、俺みたいなよく分からない男の家になどいられるかと、家を飛び出して居なくなっていたらどうしよう。  帰る場所が無いと言っていたから、飛び出したあとの行動は一つしか思いつかない。  いくら衝動的だとしても、あの暗い森に居たのは最期だと意を決していたからで、俺の存在によってその決意を鈍らせてしまったのは確かだ。  寂しげな後ろ姿といい、冬季くんの心が不安定な状態にあるのは間違いない。  どういう方法で、かは分からないが、独りになった途端に耐えきれないものが心に押し寄せたら、きっともうそこには居ないだろう。  気付けば駐車場からマンションのエントランスまで、短い距離だが走っていた。エレベーターで3のボタンを押し上昇していく最中も、気が気でなかった。  玄関の扉を開けるのが怖かった。  靴が無くなっていたら、そういうことだから──。 「あ、ほんとに帰ってきた。おかえりー、りっくん」 「冬季くん!!」 「……っ、ビックリしたぁ。そんな大声出してどうしたの?」  靴の有無を確認する前にバスルームから出てきた冬季くんと鉢合わせた俺は、つい大きな声で名前を呼んでしまった。  冬季くんはお風呂上がりのようで、タオルで髪を拭きながらビクッと肩を揺らす。  ──良かった、家に居た! しかも起きている! 「おかえり」とまで言ってくれた!  俺の心中とは裏腹に何気なく返されてしまったけれど、独りにしていても生きる気力を失わなかったことが分かる濡れた髪に、相当な安堵を覚えた。  ここに居てくれて、生きていてくれて、本当に良かった。 「な、なに? なんか鬼気迫ってるね」 「い、いや……冬季くんが居たので……つい」 「僕居ちゃいけなかった?」 「違いますよ!」  冬季くんのネガティブな発言に、リビングへと移動しながら即答した。  俺が冬季くんをここに連れてきて、〝勝手に居なくならないこと〟を約束させたのに、なぜそんな発想になるかな。  タオルを首に引っ掛けた冬季くんに、ソファへ座るよう促す。彼はやはりギャップが甚だしく、遠慮ばかりする。俺もその隣に落ち着いて、もう一度「違います」と漏らした。 「ホッとしたんです。思ったより冬季くんがケロッとしていて……」 「……僕、カエルに似てる?」 「か、かえるにですか……?」 「りっくんが今言ったんじゃん。ケロッとしてるって。僕かえる顔なのかな……」 「えっ? あぁっ、違います! 冬季くんがケロッとしていてホッとしたって言ったんです。独りで思い詰めていないか、すごく心配だったので」  いきなり何を言い出すかと思って、焦ったじゃないか。  なーんだ、と笑った冬季くんは、よくよく見てもカエルには全然似ていない。強いて言うなら……なんだろう。すごく整った顔立ちだから、動物には例えようがないな。 「……りっくん?」 「…………」  聞き間違えを曲解した冬季くんは、一瞬だけショックを受けた顔をした。だから俺は、そうじゃないことを示すため似ている動物を捻り出そうと、冬季くんが戸惑うほど顔面をまじまじと見つめる。  だがその凝視が少々気色悪かったようで、居心地が悪いとばかりに冬季くんは立ち上がってキッチンに向かった。  俺はさらに、その後ろ姿を目で追う。  男の子にしては身長が低めだからか、歩幅が小さい。冬季くんのペースに合わせてゆっくり下山していた時にも感じたけれど、何かを躊躇うような重たい足取りは癖なんだろうか。  色が白くて、性別を知ってもなお信じ難い風貌からは同性の匂いをほとんど感じない。喉仏もあまり目立たないし、全体的に華奢な骨格のようでそれがまた性別不詳疑惑を再燃させる。  そんなことで嘘は吐かないだろうから、疑うことはしないけれども。 「あのさ、りっくんのお弁当買ってあるんだけど食べる?」 「えっ!?」  コンビニの袋を持って戻ってきた冬季くんの言葉に、不躾に彼を見つめていた俺は衝撃を受けた。 「俺の分も買っておいてくれたんですか!?」 「うん。食べるなら温めるよ」 「嬉しい! ありがとう、冬季くん! 食べます、温めてほしいです! あ、でも電子レンジの使い方を……」 「それくらい分かるよ」  年甲斐もなく、テンションが上がった。自分で自分を気味悪く感じるほどはしゃいでしまった。  コンビニの袋からお弁当を取り出し、表示された文字を見ながら再びキッチンに向かう後ろ姿を、懲りずに目で追った。  冬季くんは、歩いて五分とかからない近所のコンビニに出掛けたのだ。そのままお金を持ち去る選択もあったはずなのに、あろうことか俺のお昼ごはんに気を回し、ここに帰ってきてくれていた。  俺との約束を……守ってくれた。 「ありがとう、冬季くん」  温まったお弁当を手に、冬季くんが隣に腰掛ける。俺が間髪入れずに礼を言うと顔を背けられ、「言い過ぎだよ」と言われた。 「元はりっくんのお金なんだから、「ありがとう」は違うんじゃない?」 「いいえ、ありがとうですよ。だって……嬉しいな。冬季くんのことが心配で、帰ってくることしか頭に無かったですから」 「…………」  冬季くんが選んでくれたのは、肉も魚も野菜もまんべんなく入っている幕の内弁当だった。最高だ。最高のチョイスだ。  しかも割り箸まで手渡してくれる、この心遣い。十二時間前に出会った十も下の青年に、俺は何度も感動と感謝をもらっている。  膝の上にお弁当を乗せて、隣から何やら物言いたげな視線を感じつつではあるが、「いただきます」と手を合わせた。

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