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5.運命のいたずらで2

 たった三回行ったコンビニで、冬季くんはレジの男から好意を持たれているようだ。  百円分の駄菓子が入った袋を可愛らしく結び、それを口実に冬季くんに話し掛け、見え見えのアプローチでもしたのだろうか。  まったくもっていけ好かない。  冬季くんはたしかに、ボーイッシュな女の子と言われても違和感が無い。ついつい声をかけたくなるようなアンニュイな雰囲気があって、顔立ちもとても綺麗で、透き通るような美しい声を持ち、何とも庇護欲をそそる純真な心まで持ち合わせている。  でも今、冬季くんと密接な関係にあるのは他でもない俺だ。少なからず冬季くんも、俺に心を開いてくれていると思う。  ……とはいえ、怯えさせてしまったことについては猛省している。  声をかけた男と、リボン結びされた袋を嬉しそうにゆさゆさと振っていた冬季くんのどちらにも、無性にイラ立ってしまったのだ。  咄嗟に「悪ノリ」という下手な誤魔化しをしてしまったが……あれは半ば無意識下での行動だった。  驚いて目を丸くし、俺を見上げてきた冬季くんの表情に何とも言えない感情が湧いた。容易く名前を付けられない感情だ。 「おっと……物思いに耽ってるヒマはなかった」  すぐに戻ると伝えて三分も経過している。  どうやって察知しているのか、冬季くんは来た初日から、俺が扉を開くと玄関先で出迎えてくれる。「おかえり」の言葉も継続中で、帰宅するのがとても楽しみなのだ。  早く帰らねばと、エンジンをかけてギアを握ったその時──たった今シャツの胸ポケットにしまい込んだスマホが震えた。  直後、俺はとてつもなく嫌な予感がした。  冬季くんだったらどんなにいいかと、恐る恐るスマホを取り出す。 「う、……」  画面に表示されていたのは、しばらくその存在さえ忘れていられた〝父〟。ドライブに入れたギアをパーキングに戻し、がっくりと項垂れる。  応答しなければしつこい相手なのは分かっているが、この人はいつもいつも俺を絶望の淵に叩き落とすことしか言わないので、少し躊躇うくらいは許されるはずだ。  二回ほど深呼吸し、心づもりをしてから通話を開始した。努めて平静を装う。 「……はい」 『考えたか』 「……何をですか」  すでに胃が痛い。  挨拶も無く本題に入られるのには慣れているが、一瞬本当に分からなかったのだからしょうがないじゃないか。  この威圧感たっぷりの声色が俺のトラウマでもあるのだから、即答しろという方が無理だ。  電話の向こうで俺を嘲笑う父の鼻息が聞こえた時には、何のことだか見当はついていたが。 『それは少しも可笑しくない冗談だな。かれこれ三週間経つが何も音沙汰が無いのはどういう事だ。私を馬鹿にしているのか』 「そんなつもりは……」 『言い訳は結構。返済計画でも練っていたと思いたいがどうだ。返事を聞かせてもらおうか』  父の話し方は、相変わらず一方通行だ。俺の考えや意思など何も興味が無く、問いの答えが彼の望むものでなければこちらが精神を病むほど愚弄してくる。  三週間前、冬季くんと出会うきっかけとなった出来事の再来に俺は屈しかけた。  だがしかし、俺がここで言い負けてしまえば父の思う壺だ。  言うべきことは言っていいはず。  俺だって一端の社会人なのだ。発言権くらいはあって良いだろう。 「お言葉ですが、先日受け取った書類の額はすぐには用意できません。院を畳む予定はありませんし、そちらの病院に就くつもりもありません。……ですが母の借金を返せというなら、それだけは一年で何とかします」 『おかしいな。お前自身が抱えているローンの完済は条件に入っていなかったか』 「…………」  入っていたさ。何もかも。  俺に押し付けたすべての完済を十年以内になど、無理に決まっているだろう。  返せと言うなら、俺にも何かを寄越せと言いたい気分である。  父は俺に何をしてくれた?  俺に無関心な兄弟たち、意地悪な義母、威厳ばかりで温かみの無い父が暮らす家で、肩身の狭い思いをしながら無感情で生きてきた俺をただ置いていただけじゃないか。  それも将来、諸々かかった金を全額請求するつもりで。  何不自由ない暮らしなど要らなかった。  呼吸さえしづらいあんなにも冷たい空間に置かれるくらいなら、母と一緒に居たかった。  俺を捨てたのには何か理由があるはずだと、心の奥底で信じていた俺はそんな母にも裏切られたけれど。  言われっぱなしは納得がいかない。  俺と母はどこまで惨めでいなくてはならないんだ。 「それなら……」  下唇を噛み締め血の味がしたところで、とうとう俺の感情が爆発した。 「それならなぜ……なぜ、勝手に無縁仏なんかにしたんですか……! 俺は母の顔も知らないままだ……それどころか母についてを何も知らない!」 『知ってどうなる。お前の母親についてなど私も覚えておらん』  ……覚えて、ない……?  一度は愛した女だからこそ、俺を産ませたんじゃないのか?  たしかに母は悪いことをしたかもしれない。だが最期は散々たるものじゃないか。  身寄りのない無縁仏として葬っておいて、よくもそんな……っ! 「……あなたは無慈悲だ」 『何だと?』  俺の言葉に、唸るような恐ろしい声で父が不機嫌さを顕にした。  けれど俺は引かなかった。  不愉快極まりなかったからだ。 「書類には、俺を育てる上でかかった費用も事細かく計上されていました。つまりあなたは、俺のことなど育てたくもなかったんでしょう。忌々しい女の息子にびた一文払いたくない、だから俺に返せと言うんでしょう。返しますよ、返せばいいんでしょう!? あなたが見下している最底辺の仕事で、全額耳揃えて返してみせますよ!」 『……戯言を』 「無慈悲で金の亡者であるあなたとは、二度と話したくありません。俺まで壊れてしまいそうになる。……あとは公正証書でも作って、何かあれば弁護士の方から連絡をお願いします。それでは」  矢継ぎ早に言いたいことを告げるや直ちに通話を切り、電源までオフにしてしまう。 「……はぁ、はぁ……っ」  ハンドルにもたれかかり、胸を押さえた。心臓にまで手が届きそうなほど強く、シャツを握り締めた。  俺は、父に歯向かったのも、父からの電話を自分から切ったのも、生まれて初めてだった。  

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