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6.疑惑は3
冬季くんの両肩に手を置き、カッと目を見開く。
畳み掛けられているうちに動揺と狼狽で揺れていた心がピタリと定まり、ついには冬季くんの最後の一言で俺は本心をだだ漏れさせた。
「俺は嫌だなんて思っていません! 寝相なんか気にしません! 冬季くんがゆっくり快適に眠れるようにしたいから、俺はベッドを提供しているのであって、一晩出とけなんてことも言うわけありません!」
「あ、あぁ……うん。そうなの?」
「そうです! むしろ冬季くんの方こそ、二十九歳にしてうだつの上がらない男が隣で寝ていても良いのでしょうか!」
同世代の友人同士、飲み会の延長で寝るのとは訳が違う。俺がもっと若ければ気軽に考えられたのかもしれないが、どう見ても冬季くんが気を遣っているとしか思えないのだ。
彼の方から提案してくれたとはいえ、素面の頭が堅い俺は最後の安心を得たかった。
だがそんな俺の狼狽心は、可愛らしい冬季くんの笑い声によって一蹴される。
「……っ、あはは……っ! やめてよりっくん、笑わせないで……っ」
「え……」
俺の目の前でお腹を抱えていた冬季くんは、しまいにはソファに転げて足をジタバタさせて笑い始めた。
そんなに可笑しなことを言っただろうか……。
楽しそうに笑い転げる冬季くんに近寄って行くも、どうもツボに入ったらしくなかなか俺の方を見てくれない。
まぁ……肩を落として泣いているより、笑っていてくれた方が俺は嬉しいんだけれど。
「りっくんってホント面白いよね。あーお腹痛い」
「……そこまで笑われると恥ずかしいのですが……」
「あはは……っ、僕のおばけ発言で爆笑したお返しになっちゃったね〜」
細い指先で涙を拭った冬季くんは、捲れたシャツを直して弾みをつけて立ち上がった。どこへ向かうのかと思いきや、洗面所からドライヤーの音がして何故かホッと胸を撫で下ろす。
「おばけ発言で爆笑したお返し……? あぁ、あの時のことか」
はじめは何のことを言っているのだろうと首を捻ったが、そう言えば冬季くんは俺のことをおばけだと勘違いしていたのだった。
非科学的なものだというのに、それでも二度も命を絶つなとばかりに勢いよく腕を引っ張られたあの時の光景は、今もまだ鮮明だ。
「出会いから今日まで、一ヶ月も経っていないなんて……」
冬季くんとは毎日顔を合わせているからか、もう長いこと一緒に暮らしているかのような錯覚を覚える。
素性をまったく知らなかったあの日と比べると、当然彼についてはたくさん知った。可哀想な過去も、それによって形成されたであろう人格、人となりも。
知ったからとて、俺たちの関係性があやふやなままなのは変わらないが。
俺は放っておけない友人だと思っているけれど、冬季くんはいったい俺のことをどう捉えているのだろうか。
まだ〝お人好しで変なお兄さん〟だったら……少し悲しい。
「りっくーん、歯磨きするー?」
「あ、……はい」
洗面所から顔を覗かせた冬季くんに頷いて見せると、毛先に歯磨き粉をのせた歯ブラシを二本持ち、根元が黒くなってきたシルバーの髪を揺らして戻ってきた。
歯磨きを誘われてしまったということは、まだ大人が休むには随分早い時間だが……そういうことだろう。
受け取った歯ブラシを口に含み、左下から磨いてゆくが気もそぞろだ。
俺は今日……冬季くんと一夜を共にするのか。あぁ、いや……共にする、なんていやらしい言い方はいけない。ただベッドで眠るだけだろ。冬季くんが女性であれば俺だってドギマギしていただろうが……男の子相手に何をそんなに緊張しているんだ、俺は。
冬季くんが戸惑わせるから、心の中での独り言が多くなっているじゃないか。
まったく……と冬季くんを見下ろすと、どうしてだか洗面所へは戻らず俺のそばで歯磨きを始めている。
俺は何気なく、冬季くんがブラッシングしている様を見ていた。職業柄何点か指摘したいところはあったが、何日か前に墓穴を掘った俺は同じ過ちを繰り返すことを恐れている。
「奥歯って磨くの難しいよね。僕さ、たまに右上の奥歯が痛くて……」
「えっ!? 痛いんですかっ?」
それは歯科医師として聞き捨てならない発言だ!
すぐにでもうがいをさせ、冬季くんを横たえて診察したいが……ダメだ。そんなことをしたら怪しまれる。
ここは冷静に、「歯医者さんに行ってみてはどうですか」と言うのが無難だ。
しかし冬季くんは、唇の端に歯磨き粉を溢れさせながら、さらに細かい症状を訴えてくる。
「うん、でも歯が痛いっていうより歯ぐきが痛いって感じなんだよ。虫歯ではないと思うんだけどさー。だってたまにしか痛くならないんだもん……っ」
「ちょっ、ちょっと待って冬季くん!」
口腔内の泡が唾液と混ざり合い、とうとう喋れなくなった冬季くんが洗面台へと走った。
自身のブラッシングもそこそこにあとを追うと、うがいをしている冬季くんの背後で、俺は二度目の墓穴を掘る覚悟をした。
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