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6.疑惑は4

◇  あれほど動揺し、緊張していた俺自ら冬季くんをベッドルームに連れ込んだ。何をしたかと言えば、寝転んだ冬季くんに大きく口を開けさせての診察。  当然冬季くんは「え? 何するの?」と戸惑っていたが、自宅にも常備しているゴム手袋をサッと装着し、覚悟を持って痛みの原因を診た。 「──親知らずが生えてきています。しかも斜めに」 「えっ、そうなの? 僕親知らずあったの?」  往診用のペンライトを使い、痛みを感じるという右上の奥を目視したところ、ちょこんと歯ぐきを突き破る八番(親知らず)が確認できた。  レントゲンを撮ってみれば詳しく分かるのだが、現段階の生え方を見る限り厄介そうである。  冬季くんは自分に親知らずがあったことを驚いているけれど、これは日本人に限ってのデータだが遺伝や体質などで生まれつき無い割合は三割前後といわれているのだ。  埋もれていた親知らずが生えてきてもおかしくない年齢であるし、冬季くんの場合は顎が小さいためにこのままいくと今後手前の大臼歯を脅かす存在になりかねない。 「あの……少し触ってもいいですか?」  ミラーが欲しいと思いながら診ていると、どうしても触りたくてしょうがなくなってきた。  俺を歯科医だとは夢にも思っていないだろう冬季くんが、再び戸惑いの声を上げる。 「えぇっ、さ、触るの? なんで?」 「きちんとエタノール消毒もしますので」 「いやそういう問題じゃ……」 「お願いします。五秒くらいで終わりますから」 「それならまぁ……いいけど……」  本来八番の診察で触診はしないが、痛むという歯ぐきの状態を確認するために条件を付けて願い出ると渋々頷いてくれた。  やった、と内心でガッツポーズをし、手袋のまま衝動をして一旦乾燥させ、おもむろに人差し指を患部に添える。 「んっ……」  歯科治療の形跡が無い冬季くんは、口腔内に触れられることに免疫が無いようだ。  患部に触れた瞬間ビクッと体が緊張し、思わず声が出てしまったと赤面する冬季くんは可愛かった。  開いた口が閉じかけていたので、一度態勢を変える。横からよりも頭側からの方が俺もやりやすい。  左手で下顎を支え、右手の人差し指を再び患部に置く。若々しく引き締まった歯ぐきだ。 「ここですよね。ムズムズしますか?」 「ふん、ムフムフ……っ!」 「ふふっ……冬季くん、俺の指噛んでます」 「ほめんっ」 「ほら、また」  小さく頭を動かしてくれれば分かるのに、きちんと言葉で返事をしようとする冬季くんの歯先が俺の指にチクチクあたってくすぐったい。  歯ぐきに触れられてムズムズするのは当たり前で、〝五秒〟の条件を忘れさせるためのお遊びに過ぎなかった。  だが真面目な話、斜めに生えてくる親知らずは放っておいても良いことがない。今後も引き締まった歯ぐきを突き破ってどんどん生えてくるだろうし、体調によっても違和感や痛みを誘発する恐れがある。  右手の人差し指を右上顎七番(第二大臼歯)に置き、冬季くんがジッとしているのをいいことに素知らぬ顔で口腔内を診ていった。 「うーん……この親知らずはやはり抜いた方がいいかもしれませんね」 「えぇーっ!? ヤら! ぬひはふないよ!」 「ですがこのままいくと手前の歯を押すような形で生えてきますので、そうなるとこっちの歯にも影響が出るんです」  簡易的な説明をし、人差し指でトントンと大臼歯を叩いた時だった。 「んぁっ……」 「…………っ!」  顎を反らせた冬季くんが、何とも悩ましいうわずった声を上げた。  ドキッとした俺は、即座に指を引き抜いてベッドの端に腰掛け直す。驚いたというより、これ以上触れているのはよくない気がして体が勝手に動いた。 「……な、なんかエッチな声出ちゃった」 「……ですね」  あぁ、良かった。冬季くんにもその自覚があったのか……。  背を向けた俺に笑いかけた気配がして、少しだけ安堵する。  患者さんでもたまに悩ましい声を上げる方がいらっしゃるからな、珍しくないさ。……って、いや居ないでしょ。少なくとも俺はそんな患者さんを診たことはない。  どうしよう……冬季くんのエッチな声が鼓膜にこびりついてしまった。……どうしよう。 「りっくん歯医者さんみたいだね」 「あ、まぁ……似たような仕事をしていますので」  またもや狼狽している俺に比べ、冬季くんは何ともあっけらかんとしていた。  前屈みになって座る俺の隣にちょこんと腰掛け、ニコニコと笑いかけてくる。 「そうなんだ! そっか……なんか納得」 「……嬉しそうですね?」 「そりゃ嬉しいよー! だって、りっくんってばどんな仕事してるかも全然教えてくれないからさ、気になってたんだよ! 歯医者さんみたいな仕事って言われてもよく分かんないけど! ちょっとはりっくんに近付けたかなって」 「…………」  この時、えへへ、と目を細めて笑う冬季くんが殊更可愛く見えた。  何も語らない俺を不審がることなく、それどころか気になっている素振りさえ見せない冬季くん。  きっと聞きたいことは山ほどあるはずだ。けれど、俺が話したいと思った時でいいという殊勝な姿勢は、出会った時から変わらない。  無欲な冬季くんが本当に、いじらしいと思った。 「君って人は……」 「えっ……」  知らず、大福のようなもちもちの頬を撫でていた。  俺に近付けたと言って儚く笑うなんて、少しばかり反則だ。  中性的な顔もさることながら、無邪気な君が本当に、本当に、可愛い。  そんなに可愛げに溢れていると、そうそう手放せなくなってしまうよ。

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