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7.真実と共に8

◇ ◇ ◇  このあまりにもショックな真実を聞いて平然としていられるほど、僕は心が大人じゃない。  どんなに準備してたって、こんな衝撃的で不快な偶然聞かされたら誰だって気を失うと思う。  心の準備が足りなかった。いや……そういう問題じゃないか。 「……りっくんだ」  三十分おきに鳴る短い通知音。  〝起きたら連絡してください〟──同じ文章が並んでいる画面を見て、僕は深いため息を吐いた。  ほんとは一時間前から起きてるけど、返事を返せないでいる。  どうしてだか、昨日はあんなにすぐそばに感じていたりっくんが……遠くへ行っちゃったみたいな妙な感覚が心を支配してしまった。  りっくんは何にも悪くないのに、顔を合わせたくないって思ってる僕は最低な男だ。 「……りっくん……」  目覚めてすぐ、僕はどう気持ちを落ち着けたらいいのか分からなかった。  おかしいな。洗面所にいたはずなのに、なんでベッドで寝てたんだろ。  ……考えるまでもない。  優しいりっくんが、キャパオーバーで気を失った僕をここに運んでくれたんだ。  きっと「どうしたんですか!」と大騒ぎして、病院に連れて行くべきかとか色々考えて、とりあえず一晩様子を見ようって……横たわった僕を心配気に見やる想像まで簡単につく。 「りっくん……っ」  体を起こして、連絡先に〝りっくん〟しか入ってないスマホを抱きしめた。  〝目覚めなきゃ良かった〟と思った。  だって……。  こんなことが現実にあるの? こんな偶然、起こるはずない。絶対何かの間違いだ。  ずっと同じ疑問が頭の中をぐるぐる駆け巡っている。  忘れられていた記憶が鮮明になったからって、どうしてこんなに動揺するのか分からない。  だって、だって……僕は、ママのこと憎んだことないもん。  今さらって思いもあるし、小さすぎてよく覚えてなかったから、記憶はどんどん薄れていって二人の顔さえ思い出せなくなっていた。  憎む、憎まないじゃないんだ。  僕の中では、あれが両親……ママとパパだったから。  それ以上でも以下でもなくて、誰が聞いても僕の家族はおかしいって言うけど、そうじゃない。  痛かったし、苦しかったし、悲しかったし、なんで僕を叩くのか、なんで僕はママって呼んじゃいけないのか、全部の思いが交錯して、何もかも分からなくて……そんなことを考えられる年齢でもなかったから、とにかくひたすら泣いて、怯えて。  でも僕にはそれが当たり前で。  今考えれば、あんなの本当の親がすることじゃないって分かる。  周りの大人が「かわいそうに」と僕の頭を撫でて哀れんでくれても、僕は両親の異常さに気付けないほど子どもだったから分からなかっただけ。  今も、その気持ちを引き摺っているだけ。  痕を見ないようにして、泣きたくなるのを堪えてたのもママとパパを思い出してムカつくからじゃない。  ただ、悲しくなるからだ。  叩かれるのはイヤで、罵声を浴びせられるのも怖くて、逃げたくて逃げたくてしょうがなかったくせに、〝だれかたすけて〟と思いながら暮らしてた日々を思い出すから……。 「──はぁ、はぁっ……! 冬季くん……!」  目を閉じても眠れなかった僕は、とうとう返事を返せないままお昼になった。 「冬季くん……」 「…………」  りっくんが呼吸を乱しながら帰ってきたのが分かっても、迷わずベッドルームの扉を開けて僕のそばに立ち竦んだ気配がしても、反応してあげられない。  僕は心が狭い。  おまけに、弱虫だ。 「熱は……無いか。呼吸も安定している……」  寝たフリを決め込んだ、僕のおでこや首筋に触れた大きな手のひらはいつもみたいに温かくはなかった。  ひんやりとしたそれに、体がビクついてしまいそうなのを堪えるのに必死だった。 「起こしてあげた方がいいのかな……? でも昨日あんなことがあったから疲れてしまっているのかもしれないし……」  そばで独り言を語るりっくんに、たった一言「おかえり」と言ってあげるだけでいいのに……僕はそれが出来なかった。  結局りっくんはたくさん独り言を呟いたあと、僕がただ眠っているだけだと判断してベッドルームを出て行った。  扉の外から聞こえる生活音に、胸が苦しくなる。布団をぎゅっと握り締めて、鼻をすすった。 「ごめん……ごめんね、りっくん……」  どうしてこんなに切ない気持ちになるの。  りっくんはりっくんなのに、どうして……。 「あ、……」  視線の先で見つけたのは、薄汚れた黄色いリュックサック。  あれは、すごくすごく機嫌がいい時のママから貰った、僕にとって唯一無二の贈り物。  その時のことは全然覚えてない。なぜなら僕がうんと小さかった頃のことだから。  でもあれは……あの背中に書いてある僕の名前は、ママの字だ。  物心ついた時にはあれがあったから、僕は縋ってしまったんだ。  ママだってほんとは僕を愛したいはず。  「冬季」って呼んで抱きしめたいはず。  とうとう最後の最後まで目を吊り上げて僕を見ていたけど、ママからの贈り物を今も手放せないほどには……僕は未練がましく、愛してくれなかったことだけを恨んでいる。 「手元に戻ってきたその日に……なんて。ママはとことん意地悪だね……」  ベッドから抜け出してリュックを手に取る。  微かにしか見えなくなった名前をなぞって、今どこで何をしているのかも分からないママに苦笑を送った。  これから死ぬんだし、と自暴自棄になってこれを忘れてったこと、ママは怒ってるのかもしれない。  だからこんな意地悪するんでしょ。  ね、りっくんの〝お母さん〟。

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