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8.晴れてゆく。2
元カレに会ったことで、冬季くんの心が限界を迎え寝込んでしまった気持ちが、今こそ本当に痛いほどよく分かる。
よく知りもしない他人は言うのだ。
〝そんなことで?〟と。
当人からすれば、全然〝そんなこと〟じゃない。
心臓をキュッと握られたような痛みと息苦しさを、なぜ他人に計られなくてはならないんだ。
何が引き金でそうなるのか、それは本人の気の持ちようや感じ方でどうとでもなるかもしれない。
だがそれが容易くない人間が一定数居る。
自傷行為をやめられなかったという冬季くん然り、たった数分の通話で生気を削られたような気がする俺も、そのうちの一人だ。
「──冬季くん、今日もその……ここに泊まってもいいでしょうか」
俺は帰宅早々、冬季くんの「おかえり」に被せるようにしてお伺いを立てた。
新妻のように毎日出迎えをしてくれる冬季くんの自由時間を奪うようで気が引けるが、ここのところ毎日、俺はアルコールを飲む飲まない限らず居座っている。
冬季くんが寝込んでしまってからの三日間は、様子がおかしかったから心配だという口実があった。
しかしその後は、特に理由も無く図々しくも同じ布団で眠っている。
離れがたいのだ。……冬季くんと。
「あはは……っ、泊まるって何? ここはりっくんの家だって言ってるのに」
神妙な顔をしていると、俺から弁当を受け取った冬季くんが明るく笑い飛ばした。
俺に気を遣わせまいとして、あえてそうしているのだと知っているからか、目を細めてくしゃっと笑う可愛らしい表情にうっとりする。
笑顔も笑い声も可愛ければ、何気ない優しさまで兼ね備えた冬季くんは素晴らしい人だ。
「ありがとう、冬季くん」
「…………っ」
礼を言い、俺はまっすぐバスルームへ向かった。その途中で冬季くんが俺の上着を預かってくれ、さらに新妻みたいだと頬が緩む。
「冬季くん、パステルイエローもよく似合っていますよ」
「わ、分かったってば! それ毎日言わなくていいよ!」
「ふふっ……」
新しく買ったボア素材のあったかパジャマを褒めると、冬季くんは真っ赤になって走って逃げた。
軽やかな足音が遠のいていき、リビングで止まった。
俺の見えないところで顔をパタパタ仰いで冷ましている姿を想像し、目尻が下がる。
あぁ……可愛いな。
毎日言うなと言われても、冬季くんによく似合っているんだからついつい無意識に褒めてしまう。
予約患者がキャンセルになり、十分ほど空き時間があった隙にインターネットで購入したものだが、素材やデザインは吟味した。
男女兼用だとあったが、思った以上に女性っぽい色味でヒヤリとしたものの、五色の色違いパジャマを冬季くんはいたく気に入ってくれ、届いた翌日からきちんと着てくれている。
一昨日はパステルグリーン、昨日はパステルブルー、今日はパステルイエロー。
明日はピンクとオレンジのどちらを着るのかな。
「しかもボア素材って……もこもこしていて可愛いんだなぁ……。触りたくなっちゃって困るなぁ……」
冬季くんが明日は何色のパジャマを着るのかというどうでもいい予想を立て、湯船に浸かりながら独りニヤつく俺は自分で自分が気色悪い。
こんな独り言も、とても冬季くんには聞かせられない。
隣同士で食事をしている時、ベッドで横になった時、少し手を伸ばせば触れられる位置にいる冬季くん。
だが、「もこもこして可愛いね、触っていい?」などと気持ちの悪い発言をすると、俺は自動的に〝お兄さん〟から〝変態ジジイ〟に成り下がってしまう。
「よくない。よくないぞ……。考えるな。冬季くんは友人、冬季くんは友人……」
可愛いパジャマを可愛い友人が着ている。それだけのことだ。
触れたくても我慢しろ。
俺は冬季くんにほんの少し好意を寄せているかもしれないが、冬季くんは俺にまったく興味が無いんだ。
タイプではない、年上すぎる、出会ったばかり……の三重苦。
毎日の積み重ねで俺を好意的に見てもらえているのは分かるが、結局はそれ止まりだ。
想いを伝えるには早すぎる。だからとのんびりしていたら、真面目な冬季くんが再び自立への道を探り出し、外の世界に目を向け、気付いた時には新しい恋人を見つけてしまっているかもしれない。
冬季くんが幸せならそれでいい。同年代の男性と、今度こそ最高の愛を育んでくれたら、俺も幸せだ。
──いや、そんなことがあるか。
少なくとも俺は幸せじゃない。そんなのは綺麗事だ。俺は出来れば冬季くんと長く一緒に居たいんだ。
冬季くんが依存体質なら、俺は彼が音を上げるかもしれないほどの束縛体質である。
ほら、相性ピッタリじゃないか。
「……ダメだな。なんでだろう。どうしてこういう思考に……。……近頃抜いてないからか」
ことごとく自分への言い聞かせが空振りに終わった。
どんどんと都合の良い考えになっていき、〝冬季くんの幸せが俺の幸せとは思えない〟時点で危ない思考になっていることにふと気付く。
そこに俺が居ないなら、きっと冬季くんも幸せじゃないはず……ここまで考えた俺は恋の病に冒されたと言っていい。
「……っ、上がろう! ぬるま湯に入ってるから余計なことを考えてしまうんだ!」
下半身に手を伸ばしかけた既のところで、俺はザブンと派手に湯をこぼして立ち上がった。
冬季くんを想像して抜こうとした自分を、そして反応しかけた自身を叱咤する。
何か別のことを考えようと、ガシガシと荒く髪を拭いていて最適の人物が脳裏に浮かんだ。
「……そうだった。つい三十分前まで俺は……」
その効果は絶大で、萎んだ心が物語ったように〝余計なこと〟を考えずに済んだ。
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