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9.僕は10

 寒さをしのごうと蹲っていたら、体が思うように動かなくなった。冗談みたいに体が震えた。  足が痺れて膝をついた瞬間、自然とまぶたが重くなってきて、とうとう目を閉じてしまった。  その瞬間から意識を飛ばすまで、僕は〝生きたいのに死んでしまうかもしれない〟恐怖をまざまざと感じて、さらに震えがひどくなった。 「……っ、冬季くん……!!」  まぶたを開いたそこに、夜の闇と同化した誰かの顔があるなんて思いもしなかった。  僕を抱きしめてすすり泣く声の主をこの目に捉えるまで、とても信じられなかったんだ。 「……りっくん、……?」 「冬季くん……っ、こんなに冷たくなって……!」  目が合うと同時に、りっくんは自分が着ていたコートを僕の肩にかけてぎゅっと抱き締めてきた。  良かった、と心の底から安心したように僕の耳元で囁いたのは、他でもないりっくんだった。  この寒空の下、まるであの日を彷彿とさせるようなシチュエーションに理解が追いつかない。  されるがままの僕は、ジッとりっくんの目を見つめて掠れた声を出した。 「ど、どうしてりっくんがここに……?」 「話はあとです。体を温めなければ」  〝話〟……!  いつの間にかあぐらをかいたりっくんに横抱きされていた僕は、今は一際敏感なワードに大きく目を見開いた。  そうだ、りっくんはお父さんと話をしたんじゃないの?  それなのに、なんでここにいるの?  どうして僕がここにいるって分かったの?  僕は……りっくんのそばにいちゃダメだと思ったから、逃げてきたんだよ?  りっくんはもうこれ以上、傷付かなくていいんだ。  なんで……なんで……僕を見つけちゃったの。 「だ、だめ……っ、だめ……!」 「はい? ちょっ、冬季くん……っ」  りっくんの膝の上から降りた僕は、這いつくばって少し距離を取った。 「だめ、だよ……! 僕はりっくんとバイバイするって決めたんだ……!」 「…………」  足に力が入らない。立てる気がしなかった。  りっくんのコートをずるずる引きずって、枯れ葉を巻き込みながら這って移動した。  完全に目が覚めてしまうと、とてもじゃないけどりっくんの顔なんて見られない。  まだ手紙を読んでないかもしれない、まだお父さんから真実を聞かされてないかもしれない── とは到底思えなくて。  りっくんがここにいるってことは、何もかもを知って〝死にたくなった〟と考えるのが妥当だ。  そこに偶然、僕が居た……だけ。 「── 知ってしまったからですか」  僕の背中に、感情の消えたりっくんの声が刺さった。 「……なにを?」  聞かなきゃいいのに、僕は背中を向けたまま返事をしていた。  どんな答えが返ってくるのかなんて分かりきってるのに、それを言わせようとしてる僕は最低だ。  目が慣れてきちゃって、橋の下を流れる川が鮮明に見えてきた。どれくらい深さがあるのか分からないそれを、僕は初めて怖いと思った。  たまらず目を瞑った背後で、落ち葉を踏む音がする。りっくんが立ち上がった気配に、僕の体は縮こまった。 「……俺の母が、冬季くんに……ひどいことをしていたと聞きました」 「…………っ!」 「俺の顔を見たくないと思うのは当然です。冬季くんの心と体を傷付けたのが、俺と血の繋がった母親だったんですから……」  ……言わせてしまった。  僕が、りっくんに、真実を語らせてしまった。  ガサ、ガサ、と落ち葉を踏み鳴らす音が近付いてくる。  どんな表情、どんな心境で僕を見ているのか分からない声色で、りっくんがすぐ後ろに立った。  それでもまだ、僕は振り返れない。  だってりっくんの言い草が、あまりにも切なかったから。  どうして僕が、りっくんの顔を見たくないと思うの。……逆だよ。  そんなの〝当然〟じゃないよ……。 「どうすれば……俺は何をすれば、許してもらえますか」 「え、……?」  胸を押さえていた僕に、りっくんは絞り出すような声でそう言った。  恐る恐る振り返ると、月明かりの逆光に照らされたりっくんのほっぺたに一筋の涙が光っていた。 「どんな償いをすれば、許してもらえますか……?」  許す……?  僕が……?  何を、許すの……?  りっくんが、何をどう、僕に償うの……?  いったい何を言ってるの、りっくん……? 「り、りっくん……?」  静かに涙を流しながら、りっくんはしゃがんでいる僕をふわっと抱きしめた。  その腕にぎゅっと力を込められる。寒さなんか少しも感じなくなるほど、息苦しいくらいの熱量に心臓が痛くなった。  僕は軽いパニック状態に陥っていた。  真実を知ってなお、なんでりっくんが〝ママ〟の代わりに許してもらおうとしてるのか、分からなかった。  形だけでも、〝お母さん〟を取った僕を疎ましく思うならまだしも、……。  動揺して瞬きが多くなった僕の耳元で、切なげに一度「冬季くん」と呼んだりっくんは、とても言いづらそうに思いを吐露した。 「こうして抱きしめているのも、きっとおぞましく感じていますよね。それも当然だと思います。俺の母が冬季くんに対して行ったことは、どんな理由があろうと許されません。冬季くんが俺のことを許せないと思っても……仕方がありません」 「……りっくん……」 「俺が冬季くんのそばに居て、母の罪を償い続けることは許されませんか」 「りっくん……っ」  だから、どうしてりっくんが〝罪〟を償う必要があるの。  僕はそんなこと望んでない。  ここでこうして、りっくんが僕を抱きしめてくれただけで嬉しいんだ。  お父さんからすべてを聞かされても、死にたくてここに来たんじゃないって分かったから、それでいいんだよ。 「こんなところに居ては風邪を引いてしまう。……帰りませんか、冬季くん」 「でも……」 「俺はまだ、冬季くんに見せたい景色がたくさんあります。美味しいごはんも食べ足りない。手をつないで抱き合って眠るベッドは、これからも常に清潔にします。君は我儘を言ってくれないので、俺は全然、構いきれていないと思っています。俺の愛情表現を嬉しいと感じてくれていたなら、〝出会ってくれてありがとう〟は俺のセリフです。こんなことなら、もっと早く冬季くんを見つけ出して、罪滅ぼしとして冬季くんをめいっぱい愛したかったです。この傷が……ここまで増えてしまう前に」 「…………っ」  背後から僕の左手を取ったりっくんが、ふとリスカの痕に口付ける。  そんなことをされた僕の心は、とんでもなく重たい愛情を前に激しく揺さぶられていた。  りっくんは僕の手紙を読んでる。隠しきれなかった僕の気持ちを知った上で、バカな僕を探しに来てくれた。  ……そうだよね?  何をどうしたら許してもらえるのか……その答えを、りっくんはもう分かってて泣いてるんだよね?  だから、僕のことを捕まえて離さないんでしょ?

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