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10.君のプライオリティ3
冬季の頭は混乱していた。唐突にも程がある、とギョッとして李一を凝視する。
「わ、ワガママって……」
温もった車内で、項垂れたまま動かなかった李一は疲れきって眠ってしまったのだとばかり思っていて、しっかりとした声音で話しかけられた事にも驚いた。
困惑の瞳を向けた冬季を、李一は熱く見つめた。
眠気など微塵も感じさせないその視線に冬季は口ごもるしかなく、とはいえ何も返答は浮かばない。
我儘を言い慣れない冬季が、見つめられるとたちまち体温が上がってしまう李一からこれほど凝視されると、たとえどんな易問でもすぐに答えられる自信は無いだろう。
どんどんと大きくなる心音と、頬の熱。
しばらく李一と見つめ合っていた冬季が限界を迎えそうになる寸前、ふと視線を外したのは李一の方だった。
両手で顔面を覆い、くぐもった声で「冬季くん」と呼ばれ耳を澄ます。
直後、いよいよ冬季の全思考が停止した。
「俺は……冬季くんのことが好きなんです」
「……え?」
〝我儘〟よりも突飛な発言だと思った。
これは誰に向けて言っているのかと、真っ白な頭を振ってキョロキョロと左右を見回したが、当然冬季の他に誰かが居るはずもない。
左側には汚れたガードレールがすぐそばにあり、その向こうには暗くてよく見えないが田んぼらしきものがある。前方には一定の間隔で灯る点滅信号、右側には顔面を覆った李一の姿。
心なしか耳が赤いような気がするが、冬季も人のことは言えないほど顔面が熱いので、意味もなく李一の真似をしてみた。
だが冬季は、すぐにそれを後悔する羽目になる。
「冬季くんのことが好きなんです。俺は、冬季くんのことを好きになってしまったんです。出会ったばかりじゃないかと言われると何も言えないんですが、そばにいてほしいと思ったんです。あの手紙を読んで、訳が分からないほど泣きました。出て行ってほしくないんです。冬季くんのことが好きなので、どうしても、そばにいてほしいんです……」
視界を遮断したせいで、李一の切々とした告白がひどく鮮明に聞こえてしまった。
たまらず目を開けて顔を上げた冬季に対し、李一は未だ合わせる顔がないとばかりに顔面を覆っている。
息苦しさを感じた冬季の心音が落ち着くのを待たず、李一はなおも続けた。
「母がとんでもないことをしたというのに、俺は……っ。償いたいだなんて、一番卑怯な口実でした。本当は、ただそばにいてほしいだけなんです。冬季くんのことが好きなんです。俺のことを好きになってほしいんです。最低だった母の代わりに、与えられるだけの愛情を注いであげたいんです……っ」
「…………っ」
思いの丈をぶつけられた冬季は、まばたきを忘れていた。
色素の薄い長めの髪を揺らし、十も年上の男から次々繰り出される熱い言葉に鼻の奥がツンとする。
まさか李一から告白されるとは思いもよらず、まだ自分は気絶しているのではないかと頬を摘んでみたりしたが、痛みを感じてすぐにやめた。
冬季にはそれだけ、あり得ないことだったのだ。
彼の表情を窺えないのが残念でならないが、冬季の真っ赤な顔を見られずに済むのでむしろその方が都合が良い。
好きになっても届かない人だと諦め、想いを打ち明けないことに決めた瞬間の李一の告白に、冬季は大いに戸惑った。
〝償い〟こそ口実だったと聞かされ、もしかして応えてもいいのかとわずかな期待が膨らんだ。
「りっくん、……あの……」
「すみません。こんなこと、勢いに任せて言うべきでないことは分かっているんですけど、嘘を吐いていたくなくて……。我儘を言ってほしいと言ったのも、どうにか冬季くんを繋ぎ止めていたくて……」
冬季は、一張羅がクタクタになるのも構わず胸元をクシャッと握った。
髪の隙間から見えた李一の耳が、さらに濃く赤くなったのだ。見間違いではなかった。
顔から火が出そうなのは、冬季も同じだ。
生まれて初めて好きな人から告白された喜びを、すぐには受け止められなかった。
正直者な李一が言葉を詰まらせながら紡いだ重い愛情に、冬季の指先が震えてくる。
嬉しいという感情で心がいっぱいになり、冬季は無意識に李一の手首を掴んでいた。
「りっくん」
「……はい」
「りっくん、顔見せて」
「…………はい」
じわりと手のひらを外した李一だが、冬季の方を見られないでいるようだった。冬季に手首を掴まれたまま、真っ赤な顔で俯いている。
口実まで作り冬季をそばに置こうとした李一の想いを、どれだけ喜んで受け取ったのかを冬季も伝えたいのだが、明らかな照れを含んだ横顔を目の当たりにすると何も言えなくなってしまった。
李一は、感情が昂ると大きな声を出す癖がある。だが冬季への想いを伝えていた李一の声は、比較的落ち着いていた。
伝えたところでどうにもならない。現実は変えられないが、伝えなくては気が済まない── そんな葛藤が、心境が、李一の言動から痛いほど伝わってきた。
冬季はそんな李一のことが、生意気だけれど愛おしいと思えてならなかった。
「りっくん、……ぎゅ、してほしい」
「えっ」
俯き続けた李一は、冬季の返事を貰う気でいない。
それならばと口にした冬季の台詞に、李一は素早く顔を上げた。
「ワガママ、聞いてくれるんでしょ?」
「いやっ、それは我儘では……っ」
「ぎゅしてくれないなら、僕の気持ちも言わない」
「えぇ……っ」
ぷいとそっぽを向いた冬季は、窓ガラスに映った李一の狼狽えた顔を見て胸が苦しくなった。
どうしようもなく照れた。
── 僕だって恥ずかしいんだから、りっくんが抱きしめてくれなきゃ言えないよ。好きだって言うの……こんなに勇気がいるなんて知らなかったんだもん……。
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