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10.君のプライオリティ6

◇ ◇ ◇  積もる話は、また夜にということになった。  それは李一ではなく、冬季が言い出したこと。さらに冬季は、約四時間後には出勤しなければならない李一を気遣い、少しだけ離れて眠るようにとも提案した。  隣に李一がいるというだけで、ドキドキして眠れない。手を繋ぐことはもちろん、抱き合って眠るなどとんでもない。  それほど清いつもりは無かったけれど、心の準備をさせてくれないまま好きに抱きしめてくる李一のおかげで、冬季の体が少々おかしくなっていた。  李一はやや不満そうだったが、冬季が〝お願い〟すると「分かりました」とすんなり納得してくれた。  頭を撫で、頬を撫で、最後に耳たぶをふにふにといじられ眠れなくなった冬季をよそに、横になるやすぐに寝息を立て始めた李一は相当に疲れていたようだ。  そうは言いつつ、わずかな睡眠時間で冬季の知らぬ間に仕事に行った李一からは、相変わらずマメにメッセージがくる。  寝ぼけ眼の冬季を見透かしたようなものから、勝手に家から出ないことを彼氏として命ずるもの、冬季を不安にさせないための帰宅時間を知らせるものまで、合間合間に何件もだ。  窓際の動物園に置き去りにしていたスマホを片手に、ソワソワと落ち着かない冬季は掃除を隅々まで行った。  昼休みに一度帰って来た李一が驚くほどピカピカにしたはいいが、午後からは暇を持て余してしまった。  だからなのか、ここに住まわしてもらうまで毎日どのような時間を過ごしていたかを反芻した。  冬季は、少しでも空いた時間があると不安に陥り、カッターもしくは睡眠薬を手にしていた。そして、まるでラムネ菓子を食べるように睡眠薬を過剰服用し、躊躇いなく手首を切った。  たらたらと滴り落ちる血液を見て生きていることを実感すると、今度は悲しくなって〝どうして何もかもうまくいかないのだろう〟と嘆いた。  壁に背を預け、痛いのか悲しいのか寂しいのか自身でも分からない感情を自覚する前に、夢に堕ちた。  まったくもって不健全だった。  それが良くないこと、当たり前でないことだったと、今なら分かる。 「おかえり、りっくん」 「ただいま帰りました」  メッセージ通りの時間に必ず帰ってくる李一に、冬季は照れと安堵を滲ませ〝恋人〟として彼のコートを受け取った。  ふわりと微笑まれると、心臓からよくない鼓動音がするので出来れば控えてほしいが、この笑顔が曇ってしまうことだけは言いたくない。  自傷行為の衝動を一切起こさせない李一に、冬季は言葉では言い足りないほど感謝しているのだ。  こっそり探したが何故かどこにも見当たらないあの手紙では、とても伝えきれない思いがまだたくさん冬季の心の中にある。  帰宅して早々ぎゅっと抱きしめられるや、即座に硬直していては何も伝えられないままだが。 「あの……冬季くん。今日は手を繋いで寝ませんか?」 「えっ」  控えめにそんなことを言われ、李一の背中に伸ばしかけた冬季の腕が宙で止まった。 「本当は抱きしめて眠りたいところなんですが、まずは手を繋ぐことから。……どうでしょう?」 「あ、……うん。……お願いします」 「良かったです。拒否されたらどうしようかと思いました」  照れ笑いする二人の間には、初々しく熱い空気が充満していた。  依存と好意を履き違えた冬季の恋愛遍歴では、この雰囲気に慣れるのは容易くない。だが少なくとも、女性と交際していた李一はこういう経験があるはずなのだ。  共に食事をし、まどろみの時間を過ごせば、考えたくはないが大人の付き合いであれば当然性行為にまで至るだろう。  李一ほどの男が童貞とは考えにくい。  しっかりとブラッシングまで終え、家中どこへ行くにも冬季の手を引いて歩く李一の想いを疑っているわけではない。  しかし一度生まれた不安は、病みやすい冬季の心を渦巻いていた。 「あの……りっくん……」 「はい?」  仲良く恋人繋ぎをして横になった途端、抱え込んでいてはいけない重要なことを確認すべく、冬季は勇気を出した。  話す前から手汗が噴き出していそうで、しかも話しかけたことで冬季の方を向いた李一の気配に、心臓がドクンと大きな音を立てた。 「えっと、……確認なんだけど、りっくんは僕が僕だって分かってるよね……?」 「……どういう事でしょうか。君は冬季くんではないんですか? よく似た別人……?」 「違うよ、そうじゃなくて……っ」  予想だにしていなかった天然発言に、直接的な表現を憚られていた冬季は困ってしまった。  口に出すことで自身にもダメージがありそうだったので、とても薄いオブラートに包んでみたのだが、それが無駄だと分かり内心では非常に焦った。  やはりズバッと聞くべきかと唇を噛んだ冬季に、李一は彼らしからぬ意地悪を仕掛けてくる。 「ふふっ、冗談ですよ。君が言いたいことくらい分かります」 「ほんとに?」 「はい。俺と同じものがついていると言いたいんですよね?」 「うっ、まぁ……そう、なんだけど」 「それがどうかしたんですか?」  李一の方がダイレクトだった。  まさかこの期に及んで女性と間違えているのではないか、いざ事に及ぼうとした際「やはり男の子はちょっと……」と苦笑交じりに言われやしないか、冬季はそれが不安でたまらなかった。  何ともあっけらかんと返した李一は、何が可笑しいのかクスクスと笑いながら、冬季の手のひらを強く握った。  その反応に戸惑いを覚えつつ、それならば話が早いと冷静に答えた。 「だってりっくんは女の人が好きなんでしょ? 男と付き合うなんて考えたこともないんじゃない?」 「それはもちろん、否定はしませんが」 「えっ? じゃ、じゃあ、考え直した方がよくない? 僕だよ、僕。別に無理に付き合わなくても、そばにいる方法はいくらでもありそうじゃ……」 「俺が〝彼氏〟では不服ですか」 「えっ? わわわ……っ」  紛れもない本心を語った冬季は、次の瞬間やや怒った表情をした李一から押し倒されていた。  見上げたすぐそこに、李一の顔がある。  表情と同様の強い瞳に見つめられ、冬季の心拍数は急上昇した。 「りっくん……っ?」 「…………」  恋人繋ぎで絡み合っていた二人の手はあっさりと解かれ、李一の腕は今、冬季の顔の両側にある。  自分の存在こそが〝地雷〟だと思っていた冬季は、その時初めて誰か ─ 李一 ─ の地雷を踏んだのだと悟った。  想いを通わせたとしても、様々な理由でどうしても肉体関係にまで至れないカップルが稀に在る。  もしも李一がそうだとしても、冬季はそれを受け入れるつもりでいた。  何しろ李一は、安心させてくれる。甘えさせてくれる。構ってくれる。行動を制限し束縛してくれる。  これ以上を望むのは〝高望み〟であるとさえ思ったのだ。  心音でかき消されそうなほどの掠れた声で、落ち着かない冬季はもう一度李一の名を呼んだ。 「り、りっくん……?」 「あのですね、言わせてもらいますけど。俺は、君の元カレにも、元々カレにも、とにかく冬季くんと付き合ってきた男性全員に嫉妬しています。そのうちの何人が冬季くんの裸を見たのか、気になって気になって仕方ありません。俺が平然と君の隣で寝ていたと思っているんですか? 性欲を理性で抑えるのは大変なんですよ? 同じ男なら、冬季くんもこの気持ち……分かってくださいますよね?」 「う、うう……っ?」  ゆっくりと穏やかな口調で、李一が怒っている。  怒らせておいて何だが、徐々に顔が熱くなってきた冬季は途中からほとんど聞いていなかった。  李一は、抑えるのが大変なほど冬季に欲情している── そう捉えて相違ない。  冬季にとってそれは、告白と同等に嬉しい怒りだった。

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