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10.君のプライオリティ16
どちらが怖いかと聞かれると、冬季は間違いなく、迷いなく、「りっくん」と答えるだろう。
「ん、っ! りっく、ん……!」
無感情で過ごさなくてはいけない期間が長かったからなのか、怒りを感じている時のみ表情が抜け落ちる李一の瞳から、光が無くなってしまうのだ。
そこに一切の悪感情は感じられないというのに、不機嫌なのがありありと分かる細められた瞳に冬季はめっぽう弱い。
唐突に唇を塞がれようが、冬季の心は李一の懸念通り弾んでいた。
「ん……っ! んむっ……むっ……!」
引き結ばれた形の良い唇が、その執着心を分からせるかのように何度も冬季に迫った。
だがしかし、触れるだけの子供騙しのような口付けだとしても、あからさまな嫉妬心をぶつけられて喜びの感情が勝る冬季の胸は、ドキドキと高鳴るばかりだった。
触れては離れを繰り返す李一の瞳と、一瞬だけ目が合う。その度に心音は大きくなった。
いっそこのままもう少し大人なキスを教えてくれてもいいのにと、冬季が李一の背中に腕を回そうとした、その時。
「少しだけ、口を開けてもらえますか」
生々しい感触が冬季の唇と心を蕩けさせていた最中、ふいに舌なめずりをした李一が冬季の上気した柔らかな頬をさらりと撫でた。
「え、っ……はぅ……っ!?」
それはお伺いではなく、命令だった。
言うなり唇を合わせた李一は、惚けた冬季が戸惑いを顕にした隙を狙い、薄く開いたそこへするりと舌を滑り込ませた。
「んむ、っ……!」
ぬるっとした感触のものが冬季の舌先に触れた途端、李一にも伝わるほど体が跳ねた。
それは、たった今ぼんやりと願った大人のキスに違いない。
初めて感じた他人の舌は生温かく、思っていたよりやわらかいものだと冬季は思った。
絡ませようと追ってくる舌はいやらしく湿り気を帯びていて、油断しているとまた下半身が反応してしまいそうだ。
とはいえ口を開けるよう命じたにしては、彼の舌は決して強引などではなかった。怒りに任せている風でもない。
李一は、どうしていいか分からない冬季の舌を探し当てると、反応を確かめるようにじわりと引っ込み思案な舌先を舐めた。
「りっ……むっ、ん……!」
触れるだけのキスとは、比べものにならない。唇が重なった時よりも摩擦音が大きく、卑猥に感じる。
冬季のたどたどしい様子に気付いた李一が、強引に舌を絡ませようとしていないだけまだ良かった。
それでもたっぷり、奥手な舌を舐められはした。李一は執拗に、冬季の緊張を解そうと固まった舌先を愛撫していたのだ。
想像よりもいやらしく、そして苦しいものなのだという感想を抱いた冬季は、さらに頬を熱くして瞳を閉じる。
口腔内で舌を舐められているという羞恥に加え、温かな感触に心と性器が疼いた。
彼の背中に回そうとしていた腕は宙で止まり、布団を浮かせている。
その間、冬季は一切呼吸をしていなかった。大人なキスがこれほど苦しいものだとは知らず、いよいよ限界だった冬季は硬直した腕をやっとの事で動かし、李一の背中を叩いて合図した。
「んーっ! んんっ……ぷは、っ……!」
「……やけに初々しい反応をしてくれますね。キスは嫌いでしたか? 恥ずかしながら俺もそんなに経験が無く、上手くリード出来なくて申し訳ないんですが……冬季くんの反応はあまりにも……」
ふぅ、ふぅ、と呼吸を整えている冬季の目尻には、涙が溜まっていた。それを李一が人差し指で拭いながら、困惑を口にする。
そう言われても、冬季には上手い下手を判断する事はもちろん、嫌いかどうかも即答出来なかった。
李一は、冬季がその手の事に経験豊富だと勘違いしている。今の発言でそれがはっきりした。
「……っ、僕、初めてだから……っ」
未だ整わない呼吸を乱しつつ、冬季は潤んだ瞳で李一を見上げた。
「……ん?」
「キスは初めてなの! ちゅってするのも、い、今みたいなのも……っ」
「え?」
少しの嫌悪感と嫉妬心から、思わず冬季のディープキスを奪った李一の目が点になった。
確かに冬季は、こういう事がまったくの未経験というわけではない。経験があるとすれば口淫と素股くらいなものだ。
逆を言うと、それ以外── キスも、抱き合う事も、全身をくまなく愛撫される事も、アナルを使っての性行為も、経験が無い。
単なる性の捌け口に他ならないそれは、冬季が中性的な面立ちで、女性のように華奢な体つきをしているから迫られていただけであって、彼らに冬季への愛は感じられなかった。
必要としてくれているという曲がった充足感で心を満たしていた冬季にとって、躊躇なく口付けてくれたあげく、性器に触れ射精まで促した李一のような男の方が貴重で、珍しいと思ったほどだ。
「いやいや、そんな。そんなはずないでしょう? 冬季くんは俺より経験豊富なので気を遣ってくださってるんですよね?」
まさか李一と付き合うことになるとは思いもせず、そこまで生々しい話をしていなかったためか、冬季を手練れだと思い込んでいる李一の勘違いは根深かった。
軽やかに唇を奪い、初経験にたじろぐ舌を誘い出そうとした李一こそ経験豊富じゃないかと、次は冬季が嫉妬に駆られる番だった。
「なっ……!? なんでそうなるかなっ? そんなことで気を遣うわけないでしょっ? 神さまに誓って、キスはりっくんが初めてだよ! 神さまだけじゃ足りないなら、ママとパパにも誓う! そういうりっくんこそ慣れてるよね! 僕が苦しいって合図しなかったら、ずっと……っ」
「…………っ!」
李一が童貞ではないというだけで、若干のショックを受けた冬季だ。
彼の年齢であれば、そしてこの風貌と物腰ならば引くて数多だったろう事も、頭では理解できる。しかし過去にこうして李一と共寝した女性がいると思うと、浮かれた心がぎゅっと萎んで痛くなるほどには嫉妬する。
「そ、それは……本当なんですか?」
ムスッとして言い返した冬季を、光の戻った瞳で李一が見つめる。
信じられない、とはじめは吃驚していた李一だったが、次第に表情が崩れていくのを冬季は見逃さなかった。
心臓に悪い美形が、少しずつ迫ってくる。
無意味な嫉妬で心を乱す二人の間で、またも意味深な視線が交わった。
「り、っく……ん、っ」
「このキスも?」
「む、ん……っ」
顔色を伺いもせず冬季に口付けた李一は、間髪入れずにもう一度唇を奪う。
「……こんなキスも?」
「ふぁ……っ、んっ……んっ……!」
今度は歯列の隙間から舌を差し込み、先程よりもねっとりと冬季のそれを堪能した。そうすると怖気付いたようにたちまち引っ込んでしまう冬季の舌を、李一は構わず舐めていく。
冬季はまたしても呼吸困難に陥った。
唾液が混ざり合う扇状的な行為に、心も体も追いつかない冬季が李一の背中をパシパシと叩く。
「んっ、んーっ! んーっ!」
必死の合図に離れざるを得なかった李一は、心なしか嬉しげな表情で肩で息をする冬季を見下ろした。
「本当に初めてなんですね?」
「そうだって、……っ、言ってるじゃん! ドキドキしてるし、そ、その……っ、嫌いじゃないけど、もうちょっとお手柔らかにお願いしたいっ! 苦しいっ!」
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