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・・・終

 父は、李一の実母であり、冬季の義母であった女性を何年経とうが忘れられず、李一にツラくあたってしまっていたと苦々しく認めた。  母が金を持ち逃げしただの、李一を育てるためにかかった費用をすべて返せだの、親としてあるまじき無茶苦茶を言って李一を手放すまいとした事も同時に白状し、その件についても父は李一に謝罪している。  李一を憎んでいたわけではなかったのだと。ただ李一を見ていると、自分を〝裏切った〟者がチラついて平静を保てなかったのだと。  大人げない事をして悪かった── 父はそう、かつての不遜な態度が信じられないほど真っ直ぐな謝罪を李一に述べた。  二十九年間蓄積された父への不満を心いっぱいに抱えている李一は、どう反応すべきか非常に困った。  しかしそれを受け入れるよう諭したのは、他でもない冬季だった。  父に対しまったく物怖じしない冬季が、見事二人の関係修復の橋渡し役になったのである。  医師家系の名家に生まれた父は、少しの隙も見せず、堅苦しく頑固一徹で居なければならなかった。  私生活でも仕事でも肩肘を張っていた父にとって、屈託のない無邪気な笑顔を向けられた事がよほど衝撃的だったのか、『冬季は元気か』と三日おきに連絡してくるのだ。  李一との会話をも目論む父の不器用かつ粘着質なやり口は、彼らが親子であると再認識するには充分であった。 「あのね、お父さん。お父さんもまだ現役のお医者さんで忙しいんだから、あんまり無理しないでくださいね?」 『言われなくても分かって……』 「あっ! こういう時にそういう事言ったらみんな怖がります! どうせ今ムッとした顔してるんでしょ!」 『……労いありがとう』 「ふふっ、いいえ。僕なんかよりずっと、お父さんとりっくんは立派なお仕事をしてるんです。疲れちゃうのも当たり前です。たまにはお仕事をお休みして温泉にでも行って疲れを……」 「ふ、冬季くん、そろそろ……」  何やら仲睦まじい会話に、李一はたまらず待ったをかけた。  『冬季が温泉に行きたがっているぞ』という父の言葉に、李一は「分かりました」とだけ返事をし通話を切った。  だが時すでに遅しだろう。  二時間後にここへ来院する父は、冬季のために超高級旅館をいくつかピックアップしてやって来る。それから、困惑する冬季に父が「どこに行きたいか選べ」と凄む様が容易に目に浮かんだ。 「あれ、りっくん? ……拗ねてる?」 「……はい」  冬季の腰を抱き、自身の膝の上に乗せた李一は分かりやすくむくれていた。 「冬季くんのおかげでわだかまりが解けたと言っても過言ではないので、父と仲良くしてくださるのはすごく嬉しいですし、ありがたいんですが……。複雑です。冬季くんがいつか父になびいてしまうのではないかと、不安でもあります。俺と父は似ているようですし……」 「りっくん……っ」  冬季は、李一の嫉妬深さに言葉を失った。  彼の父でさえも嫉妬の対象になるとは、おちおち長電話もしていられない。  そういう風に見られているとは思いもよらなかったので、冬季は李一の表情の変化を見逃してしまった。  嫉妬で徐々に余裕を無くしていく李一の表情は、未だ開発止まりのベッドの上で見るそれとおそらく似ている。 「りっくん、そういうところがたまんないって言ったら……怒る?」 「……俺が怒っても喜ぶだけじゃないですか、冬季くんは」 「えへへっ、その通り!」 「まったく君って子は……」  可愛がられ甘やかされて喜ぶならまだしも、李一の優しい叱り方が大好きな冬季は怒られれば怒られるほど好意が膨らむ。  叱られ慣れている冬季にはその方が落ち着くのかもしれないが、彼の過去を知っている李一は当然、本気でなど叱れない。  嬉しそうな顔をしている冬季が可哀想であり、また儚く可愛く映るのでいたたまれなくなっては抱きしめて愛情を与えるのだ。  冬季は抱きしめられることによって不安が解消され、李一も同様に彼の温かさで乱れた気持ちが落ち着いていく。  生い立ちを考えれば、もっと荒んでいてもおかしくない冬季の真っ白な心。  それほど大それた事などしていないと言う冬季は、李一とその父、そして空に還った〝ママ〟さえ救っていることに気付いていない。 「……ありがとうございます、冬季くん」 「ふふっ……りっくん、くすぐったいよ」  李一は冬季の手を取り、痛々しく残る根性焼きの痕に数回唇を落とした。  運命の悪戯とはまさにこの事だと感慨深く思いながら、冬季の頬にも口付ける。  照れた冬季が身を捩り、「仕事中でしょ、李一先生」と軽口を叩くと、李一はピシッと固まってやや恨めしそうに冬季を見た。  そんな李一の真面目なところも、根がひたすらに優しいところも、冬季は大好きでたまらない。  お互い脆弱な部分があるのは否めないが、二人が愛し合っていれば何もかもうまくいく。無垢な冬季は、そう信じて疑わない。 「ねぇりっくん。いつか一緒に、ママからの手紙読もうね」 「はい、いつか。現時点での俺のプライオリティは君なので、もう少し先で心に余裕が出来たら、その時こそは」 「……あとで調べとく」 「何をですか?」 「〝プライオリティ〟の意味」 「……っ、あはは……っ」  唇をへの字にした冬季は、「ぜひそうしてください」と笑う李一から力一杯抱き竦められた。  黒く染め直され、少々襟足が短くなった髪に口付けられると、冬季の胸いっぱいに幸せな気持ちが広がる。抱きしめ返せば、さらに強く甘い愛情となって返ってくる。  求めていたもの、足りなかったものが李一によって補われていく度に、冬季の心は目に見えない温かな思いで満たされていった。  名前を呼んでほしい、頭を撫でてほしい、ぎゅっと抱きしめてほしい── 。  冬季は、ほんの僅かでも愛情を感じられればそれで良かったのだ。  だからと言って、誰でもいいわけではない。  行きずりのどうでもいい〝元カレ〟ではなく、心の底から愛してほしかった〝ママ〟でもなく、無関心だった冷たい〝パパ〟でもなく、抱きしめてくれるのなら〝りっくん〟がいいと、冬季は日々その想いを強くしている。  彼と出会ったあの日、冬季は何かに背中を押されたような気がした。  絶対に助けなければ。  出会わなければ。  刹那的に行動を起こさざるを得なかった。  もしかすると、あれはきっと── 。 僕らのプライオリティ・終

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