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ヒーローの本当

「もう一度言いますか?俊君机を元に戻しなさい。」 先生は俊君の様子を気にも止めずに硬い声で言った。 僕はなんだかそんなふうに言われる俊君を見ていられなくて、思わず手を握ってしまった。 「俊君、」 「あとで、」 かすれた声でぽそりとつぶやく。クラスメイトは、興味津々とばかりにぶしつけな視線を俊君に注ぐ。僕の隣に、紹介カードに記入したような俊君はいない。そこにいたのは、ただただ小さくなりながらうつむく俊君だけだった。 しわくちゃになった僕の紹介カードは、強く握られたためにぐちゃぐちゃだった。 俊君の呟いた、あとでの意味は分からなかったけれど、ぺらぺらな紙切れにすがるような俊君の様子に、僕の心臓に冷たい水滴を一つ落とされたような気分になる。 俊君、何があったの 具合悪いの? なんでそんなに泣きそうなの。 親友なはずなのに、そんな簡単な言葉さえ出てこない。 ここに、俊君が頼れる大人がいたら違ったのだろうか。 授業は変な空気のまま、終わりのチャイムが教室に響いた。 「俊君、あの」 「きいちごめんな」 「え?」 なんでそんなふうに謝るの、と戸惑う。 もしこの言葉を僕が言わせてしまっていたのだとしたら、それは違う気がした。 「ちゃんと話すから、帰りまで待って」 「…僕が俊君に嫌な思いさせたとかなら」 「ちがう、ほんとごめん、なんか、今はちょっとまとまらない」 そういって、大人びた顔で、でも何かを諦めたような顔で線引きをされてしまえば、僕の出る幕は今じゃない。 「かえり、鳥山公園ではなそ」 「うん、ありがとな」 「いいよぉ、そんな…」 僕と同じ歳で、そんな顔するんだ。 俊君、何があったの。 その一言が言えたなら、僕も少しは大人になるのかな。             学校から少し行ったところに、数字の8を横に倒したような大きな公園がある。 その公園の左側、シンボルのように大きな木の周りを囲むベンチの一角に、入口から隠れるようにして僕たちは座っていた。 「あのさ、」 切り出したのは俊君だった。ポケットから出したぐちゃぐちゃになった紹介カードの皺を丁寧に伸ばして差し出される。 なんとなく受け取って、どうしたらいいのと意味も込めて見つめれば一言、ごめんな。と言われた。 「俺、きいちが思ってるような奴じゃないんだ。」 「どうして?俊君は僕にとってヒーローだよ?」 わけがわからなくて困ったように首を傾げれば、嫌なものを口にしたように顔をゆがめてうつむいた。 「…きいちが書いたその紙、食ったら違う自分になれんのかな。」 「えぇ…、絶対不味いからやめた方がいいよ…。」 ヤギじゃあるまいしと思わず続ければ、ふはっと小さく噴き出して、やっと笑ってくれた。 「あのさ…」 くしゃりと前髪を掴むようにしてうつむきながら吐き出してしてくれた内容は、例の六村先生絡みのことだった。 親が忙しい為、音読カードにサインをもらいたくても言えないこと。何回も繰り返される例のお仕置きが怖いこと。 忙しい親に、不真面目な生徒だと言われたくないこと。そして何より、先生のお仕置きがばれた時に、親に嫌な顔をされたくないということ。 全部吐き出した俊君は、いつの間にか両手で顔を隠していたので表情をうかがい知ることが出来なかった。ただ、ゆっくり繰り返される呼吸に、今にも泣きそうなことだけはわかってしまった。 「え、と」 「びびりだろ、俺、全然かっこよくなんかないよ…」 この時ほど僕は、自分自身が嫌になったことはなかった。なにせ俊君がこんなに六村先生からのキスを重く受け止めて悩んでいたのに、僕自身は何とも思わないまま俊君の隣でのんきにチョコもらえてラッキーと思っていたからだ。 なんなら、俊君はチョコが嫌いなのかと思っていた。でも違った。俊君は六村先生からのチョコを食べないことで、抗っていたのだ。 なんで気づいてあげなかったんだ、本当に、なにが親友だ。 「俊君ごめんね、僕…」 「きいちは悪くないだろ、簡単に謝るなって…そういう人間になっちゃうぞ。」 「でも、僕何も考えてなかった!」 「なんだ急に、だから大丈夫だって、」 ぽそぽそと言いにくいであろう本音を語ってくれたのに、まるで線引くように突き放す俊君に、なんだか無性に腹が立った。

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