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ずるい大人

大人が入るだけで、もったいないとも思えるほどの湯がザパリと音を立てて流れ出る。 お湯に押し流された桶を救出しながら、排水溝の上で渦を巻くお湯を眺めていた時だった。 「喧嘩したって、どっちが悪かったんだ?」 「えぇ?」 なんだかその質問が腑に落ちなくて、ちょっとムッとしてしまう。別に好きで喧嘩したわけではないのだ。 「…わかんないけど、どっちも悪いし、悪くないよ。」 「なんだか大人みたいなこと言うな…」 「大人にはわかんないよ!」 「まさかきいちからそんな言葉を聞く日が来るとは…」 何故ちょっと感動されているのかはわからなかったが、やっぱりお父さんはちょっとずれている。 「お父さんこそ、なんかあったでしょ」 「へ?」 「お母さんと」 むっ、としながら見上げると、お父さんは少しだけたじろいでから、バツが悪そうに言った。 「…別になんかっていうほどではないかな…。」 お風呂場の上にある小窓を見上げながら話を流そうとするお父さんに、なんだかずるいなと思ってしまう。 「お父さんは聞いてきたのに、」 「そりゃ聞くよ、喧嘩したって言ってたじゃないか。」 「僕は答えたのに、言わないなんてずるい。」 「えぇ…」 自分のことは言わずに、誤魔化そうったってそうはいかない。きっと夫婦喧嘩をしたに決まってる。しかも、大体はお父さんだけが拗ねているパターンが多いのだ。 「じゃあ聞かないから仲直りすればいいじゃん!」 「子供と違って大人はややこしいんだよ。」 「大人は言い訳ばっかだ!」 ややこしいだなんて難しい言葉を使って話題を終わらせようとする、大人は子供のわからない言葉を使ってばかりだ。 だから僕がお父さんの、子供のくせに、という言葉に思わず言い返してしまったのは仕方ないと思う。 言い訳するな!とよく言うくせに、都合のいい時だけ大人を出す。僕が大人だったら、絶対言い訳しないのに。 「わかったような口を利くんじゃない!」 大人の男の人の怒鳴り声が浴室にこだまする。 なんだよそれ、なんだよそれ! 「僕何にも悪くないじゃん!」 心臓がはねるくらい、驚いてしまったことを取り繕うかのように言い返した。お湯の中に入っているのに、つま先から徐々に体温が奪われるのに対し、目の裏側からジワリジワリと悔しさが顔を出す。 だって、絶対悪くないじゃん。二人のこと心配しただけなのに、なんで 「おい、きいち」 「子供に言えないくせに!大人ぶるなんてずるい!」 泣きそうになっている自分が嫌だったこと、家族の話なのに、仲間はずれにされたこと。なにより、誤魔化すお父さんの姿に傷ついたことが、どれほど自分の中で大きかったことか。 その大きさに比例するくらい声を張り上げて、言葉をぶつけた。後ろでお父さんが何か叫んでいたけど、考えるのもままならないくらい、いろんな感情で頭の中がぐちゃぐちゃだった。 大したことじゃないなら、それこそいえよ。 そんなふうに、軽い感じで言えれば何か違ったのかもしれないと、今では思うが、そんなこなれた返しをガキンチョが出来るわけでもなく、一向に取れないもやもや感を抱えたまま、一人自室に籠城することでしか自分を納得させるすべはなかった。 六村先生のことで、俊君を守る為にどうやって戦っていくか。さっきまでそのことで頭がいっぱいだったのに、うちに帰ってきてからは家族のことで良くわからない何かに苦しめられる。 今度はそのことが意識のすべてを占めようとする。 6畳の自室は、決して狭いわけじゃないのに、自分の居場所がベットの上しかないと錯覚してしまう。一体何を間違ってこんがらがってしまったんだろう。 何も考えたくなくて、足の指先でシーツを手繰り寄せる。 下の階からは何やら言い争うような声が聞こえるし、家の中の空気が悪いのにお腹はすいてくる。なんて薄情な体。 自分の体なのに、緊張感のない腹の虫に情けなくなる。こんなに気持ちはいっぱいいっぱいなのに、お腹は誤魔化されてくれないんだな。

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